小説

十二月六日:傘を買いに行く話

「今日も人多いね」
「うん」

「倫太郎見失うかも」そうわたしが言うと、倫太郎は「どうやって見失うんだよ」と突っ込んできた。駅は人でごった返していた。自宅の最寄り駅から数駅のぼった先にあるこの駅は、主要路線の乗り継ぎ駅でもあるせいか、いつ訪れても人でごった返しているのであるが、それがカレンダー上の休日ともなれば尚のことであった。目の前を行き交う人の群れを見ながら、わたしと倫太郎は、つい苦い顔をしてしまう。わたしはつい、倫太郎の腕を引いて、彼の手を握った。

「どうしたの」
「手、握られるの嫌?」
「嫌じゃないけど」
「倫太郎がいなくなったら困るから」
「いなくならないよ」

外出先で見る倫太郎は、普段見る倫太郎より少し大きく見えた。倫太郎の頭は、他の人よりもあたま一つほど高いところにある。普段一緒に居るときも倫太郎の身体が大きいことは知っているけれども、こうして相対的に見る機会があればなおのことである。この中で、倫太郎がわたしを見失うことはあり得そうだが、わたしが倫太郎を見失うことは無いだろう。されるがままの倫太郎の手を引いて、目的地の方へと歩き始めると、倫太郎が「そんなに急がなくても傘は逃げないよ」と言った。自然と早くなるわたしの足に、倫太郎はゆっくりとした一歩で追いついてくる。倫太郎の一歩は大きい。わたしが二、三歩歩いた時と、倫太郎の一歩と少しの大きさが同じくらいなのだから不思議だった。倫太郎の言う傘のお店は、存外近いところにあった。ショッピングセンターのモール内を歩いて数分とかからないうちに、一角に、天井から床まで、色とりどりの傘が並べられたお店を見つけることができた。「ねえ、あそこかな」そう、思わずわたしが指をさして倫太郎に声をかければ、倫太郎ははしゃぐわたしを宥めながら「指は指さない」と言ってわたしの指先を丸め込んだ。「ごめん」わたしが思わずそう言えば、倫太郎は「うん」と答えた。
傘屋にわたしたち以外のお客さんはいなかった。店の中じゅうに飾られた傘を上から下まで眺めていると、自然と口から「凄い」という言葉が漏れた。折りたたみの雨傘を見に来たはずなのに、他の長傘や日傘にも目移りしてしまいそうになってしまう。「ねえ」倫太郎がわたしに話しかけてきた。「どうしたの?」わたしが倫太郎の方を見ると、シンプルな折り畳み傘を持った倫太郎が、「これ、俺使ってる奴だ」と言ってわたしに見せてきた。「本当だ」わたしがそう言って倫太郎の持っている傘を眺めていると、ショップの店員さんが是非傘を差して見てくださいね、と言うので、その言葉に甘えて傘を開いた。わたしの想定していた折りたたみ傘よりも一回り以上大きい。骨もしっかりとしていて風にも強いですよ、と言う店員さんの言葉を聴きながら傘を眺めていた。「結構大きいね」思わずわたしがそう言えば、店員さんも「男の人で買っていかれる方が多いんですよ」と言っていた。傘を倫太郎に返して、わたしは他の傘を眺めた。明るいパステルカラーから、シックな色合いのもの、柄物からシンプルな無地のものまで、あまりに数が多すぎるので、この中からお気に入りの一本を探すとなると一苦労だろう。「選べない」そうわたしが言えば、倫太郎は笑っていた。「服選ぶのも結構悩むもんね」そう、倫太郎はわたしに言った。

「うん、かなり悩む」
「ゆっくり考えなよ」
「かなり時間かかるよ」
「覚悟してる」

倫太郎はそう言った。陳列された折りたたみ傘を端からずっと眺めていると、わたしの目をひときわ引いた傘があった。

「倫太郎、あれとって」
「どれ?」
「一番上の、右から三番目のやつ」
「どうぞ」
「ありがとう」

倫太郎から傘を受け取って、開いた。派手な模様が描かれた可愛らしい色合いの傘だった。「その柄はつい最近出たばかりなんです」そう、店員さんはわたしに言った。「その隣に掛かっているのが同じ柄の色違いですよ、そちらも良ければ」そう言われて、わたしはもう一本の傘も倫太郎に取ってもらって傘を広げて見た。どちらの色合いも可愛らしいものであった。どちらの色合いも可愛くて悩ましい。「柄はそれでいいの?」倫太郎がわたしにそう問うた。「うん、いいなって思ったから」そうわたしが答えれば、倫太郎は「そっか」と言った。

「どっちが似合うと思う?」
「どっちも似合うよ」
「何時ものわたしの服の感じだったらどっちかなって話」
「……今日の服だったら右もいいと思うけど、何時も着てる服なら左じゃない?」
「やっぱりそう思う?」
「うん」
「じゃあこっちにしようかな」

わたしが金持ちなら迷わず二本買ってたと思う、と倫太郎に言えば、彼は「傘二本買っても良いんじゃない」と言った。

「どうして?」
「また盗まれるかも知れないし」
「もう盗まれたりしません」
「どうかな」

倫太郎は冗談めかして言った。もう傘泥棒に合わないように傘立てに傘を置いたりしないから大丈夫だよ、と言えば、倫太郎は「反省してんじゃん」と言って笑っていた。
2020-12-06