小説

十二月三日:ゴミ出しに行く話

「ゴミ捨て行ってくる」
「ちょっと待って」

 玄関から聞こえた気だるそうな声をきいて、わたしは慌ててその声のする方へと向かった。玄関先には大きなゴミ袋を二袋持った倫太郎が立っていて、慌てで出てきたわたしのことを不思議そうな顔をして見ていた。わたしがポストの中身を見にいくときにしか履かない、赤色のチェック模様のスリッパを履いている倫太郎はなんとも奇妙な感じがする。倫太郎は何時もシンプルな服や靴を履くことが多いせいか、赤色のチェックという、かわいらしい柄のスリッパを履くところがあまり想像できない。実際、履いている倫太郎を見てもあまり似合っていないと思う。可愛らしいスリッパがあまりにも似合わない倫太郎をつい、マジマジとみてしまった。わたしが彼と彼の履いているスリッパについて、そんなことを考えているとは露程にも思っていない倫太郎が、「どうしたの」と問うた。「えっ」倫太郎に急に話しかけられたわたしがうまく答えられずにいると、「もしかして、ゴミ入れ損ねたヤツあった?」そう彼は言って、口を締めたばかりだろうゴミ袋を開けようとするので、慌てて彼の手を止めた。

「ちがうよ、ゴミはちゃんと全部ゴミ袋にまとまってるよ」

たぶん、とわたしは根拠のない返事をした。この家の中にあるゴミはすべて、掃除の担当をしている倫太郎がすべてきれいに纏めている。部屋にあるゴミ箱と言うゴミ箱の中身を一か所にまとめて、ゴミを出しに行くのは、掃除の延長線で、倫太郎の仕事だった。倫太郎がゴミを取り損ねているところを、わたしは過去に一度だって見たことがない。今日も特に確認はしていないけれども、ゴミの忘れ物は無いだろう。

「じゃあどうしたの」

倫太郎は、ゴミ袋を玄関先において、そう問うた。倫太郎にそう言われてしまったわたしは、回答に困ってしまった。わたしはただ、外にゴミ捨てに出ようとする倫太郎を見送りたかっただけで、倫太郎に深い用事があるというわけではなかったのである。急いで引き止めてしまった手前くだらない理由を言いづらくなってしまってつい、黙ってしまった。「……」わたしは、答えを言い淀んで、自分の頭二つ分は上にある倫太郎の顔をじっと見ることしか出来なかった。倫太郎はわたしから向けられる心地の悪い視線を、訝しげな顔をして見ているだけだった。

「倫太郎」
「え、そんなに深刻な話?」

しかも今?と倫太郎が言うので慌てて首を横に振った。そうして、わたしは意を決して口を開いた。「……いってらっしゃいがしたくて」そう、彼に言うと、倫太郎はジトリとした目でわたしの顔を見て、「えぇ……」と言った。「そんなこと?」深刻な話かと思った、そう倫太郎は言ったのちに、面倒臭そうなものを見るような目でわたしを見た。「何その顔」そうわたしは倫太郎に問うたのであるが、倫太郎からしてみれば、朝から深刻な様子でそんなくだらないことを言ったわたしの方こそ、一体何なんだと思っているのかもしれない。わたしの問いに、倫太郎は「呆れてんの」と答えた。

「そこまで行ってすぐ帰ってくるだけじゃん」

住んでいる家のすぐ横に隣接されたゴミ捨て場のことを指して、倫太郎はそう言った。「それに、普段やんないじゃん、そういうの」倫太郎はわたしの顔を至極面倒そうな顔をしていた。「気まぐれ?」倫太郎は少し意地の悪い言い方をして、そうわたしに問うた。わたしは彼の意地の悪い言葉に首肯した。

「珍しいね」
「うん」

倫太郎がゴミを出す時間は、早い。朝のロードワークを終えて家に帰ってきてから、倫太郎はゴミ出しに出かけるのであるが、彼がゴミ出しに出る時間、わたしは布団の中で夢と現の境目を行ったり来たりしながら、毛布にくるまって夢の世界にとどまろうとしているのが常である。だから、ゴミ捨てに出かける倫太郎を玄関先で見送るのは当然のこと、行ってらっしゃいの挨拶ひとつ言うことすら出来ないのである。

「ゴミ捨て行くときいつも起きれないもんね」

そう倫太郎はわたしに言った。彼の言うことは最もである。「今日は起きれたもん」そう倫太郎に意地になって言えば、倫太郎はどうでもよさそうな顔をして「はいはい、見ればわかるよ」と返した。「戻ってなよ」倫太郎は、寝起きの恰好のまま玄関先に出てきたわたしに、部屋に戻るよう促した。

「倫太郎にいってらっしゃいをしたらすぐに戻る」

そう、わたしが悪あがきをするように言えば倫太郎は「……はいはい、いってきます」と投げやりな口調で言ってドアを開けた。開けられたドアの隙間から、吹き込んできた冷たい冬の風に、思わず身を縮めてしまった。背中を冷たい風が伝って行ったときに、わたしの唇から自然と「寒い」という言葉が溢れた。そんなわたしを見て、倫太郎は可笑しそうに笑って、あけたドアをすぐに閉めた。

「だから戻ってなって言ったじゃん」
「……それでもいってらっしゃいがしたい」
「今のじゃダメ?」
「……ダメ」
「わかった」

倫太郎は面倒臭そうな顔をしてわたしの方を見た。「……なんか改めてやると緊張する」そうわたしが言うと、倫太郎は「じゃあもう俺行っていい?」と言ってドアを開けてすぐに出ていこうとするのでつい、「まってよ」と倫太郎を引き留めてしまった。「いってらっしゃい」そう倫太郎に言うと、彼は心底面倒臭そうな顔をしてわたしの顔を見て「……行ってきます」と言って、玄関先に置いていたゴミ袋を二袋を軽々と持ち上げて外に出て行ってしまった。倫太郎が出て行ったドアから、外の匂いが入ってくる。冬の刺すような空気の匂いと、肌を撫でる冷たい空気に思わず肩を窄めてしまった。わたしはもう一度、布団のところに戻って起きるか寝るかの悪あがきをしても良かったのだけれども、戻ってきた倫太郎に「おかえり」を言うために、玄関先にとどまることにした。数分とたたないうちにドアが開いた後に、「戻ってなって言ったじゃん」と呆れながら言われるだろうことを想像しながら、彼の帰りをただじっと待った。
2020-12-03