小説

十二月二四日:新しいマグカップを買う話

「倫太郎見て」
「どうしたの」
「これ」

彼女が目の前に差し出してきたのは、ふたつのマグカップだった。黄色と桃色の、可愛らしいパステルカラーのデザインはよく似通っている。いわゆる、ペアマグカップというものだった。それを、己の目の前において「どっちが好き?」と彼女は得意げな顔をして己に問うた。「どっちって」この黄色とピンク色のどちらかから一方を選べと彼女は言うのだろうか。それを彼女に問えば、彼女は首肯した。そうは言いつつも、ピンク色のマグカップをこちらに向かって少しずつ差し出してくるあたり、己の選択肢は最初から用意されていないも同然だった。彼女が差し出してきたピンク色のマグカップを受け取って、眺める。どこからどう見ても可愛らしいピンク色をしたマグカップだった。己が自分で選ぶ私物では全くと言っていいほど選ばない色である。マグカップをぐるりと一周見たのちに、「俺が使うにはちょっとかわいすぎない?」そう彼女に言ったのであるが、彼女は得意げな顔をして「まあね」と言うばかりであった。そもそも、己にこの可愛らしい色のマグカップを選ばせるつもりで買ってきたのだろう。

「かわいいねこれ」
「取っ手がハートになっててかわいいでしょ」
「うん」
「色もカワイイ」
「かわいすぎると思う」

たしかに、倫太郎が使うにはかなりかわいいよね、と彼女は笑いながら言った。ピンクのマグカップを片手に持っていると、彼女は「良く似合うよ」と言ってスマートフォンのカメラを向けてきたので、カメラのレンズを手で覆ってやると不満そうな顔をされてしまった。「倫太郎のガタイの良さとピンクのカワイイマグカップのギャップがカワイイ」そう彼女は言った。「せっかく見せてあげようと思ったのに」そう、至極残念そうなふりをしてそう言うのであるが、ただ面白いから写真にとって残したかっただけだろうとしか思えない。

「なんでまた買ってきたの」
「ペアマグとか夫婦茶碗とか夫婦箸とか憧れない?」
「考えたこと無かった」
「えー」
「第一夫婦じゃないし」
「まだね」
「まだ?」
「そう。まだ」

そう含みを持った笑みを浮かべて彼女は己にそう言った。”まだ”夫婦ではないという言葉の意味に隠されているのは、つまりはそう言うことだろう。察しの悪すぎる彼女の口からそう言う言葉が出てきたことに驚いて聞き返してしまったけれども、その行為自体彼女を喜ばせるものになってしまったと気づいたのは、彼女が「ふふふ」とにやけながら己の顔をみていることに気づいた後であった。「で、それ欲しかったの」そう話を逸らすようにして、マグカップの方へと矛先を向けてみたのであるが、彼女はにやついたまま己の顔を見るばかりであった。そのやかましい視線が鬱陶しかったので、彼女の額を小突いてやったけれども、あまり効果は無いようであった。ひとしきりにやついたあとで、彼女が口を開いた。

「うん。倫太郎とお揃いの食器とか結構憧れてたよ、わたし」
「一回もそういうこと言ったことないよね?」
「うん。初めて言ったよ」

だから今回買ってみたんだよね、と彼女は言った。ピンク色のマグカップと、黄色のマグカップを並べてテーブルの上に置く。黄色いマグカップが彼女のもので、ピンク色のマグカップが己のものである。「朝にお揃いのマグカップでコーヒーとか飲んでみたい」そう彼女は言った。

「でも、俺たち朝いつも慌ててるから朝コーヒー飲む余裕ないよね」
「平日じゃなくて休日の話をしてるの」
「今度の休みの日やる?」
「おしゃれな朝食とかも用意してちょっと綺麗なモーニングっぽいことをやりたい」
「朝ごはん何にするの?」
「トーストにジャムにハムエッグとかどう?」
「いいね」

そうして一緒に朝ごはんを食べてちょっとおしゃべりとかしたら面白そうだと思わない、と彼女は言った。あまりに彼女がそれを上機嫌に言うので、彼女の言う通りに、彼女の好きにさせてやりたいと思った。

「だから倫太郎今度の休み朝早く起きてよ、昼まで寝ないでね」
「何時くらい?」
「九時とか」
「早いね」
「わたしがきちんと起こしてあげる」
「ははは」

だから倫太郎はすぐに起きてね、と彼女は言った。そのときの彼女が、あまりに楽しそうに言うので、次の休みの日にほんの少しだけ早く起きるのを頑張ろうかな、と思った。
2020-12-24