小説

十二月一日:冬のバス停の話

 最寄りのバス停は、自宅から十分程度歩いたところにある。北風がぴゅうと吹き抜けるなか、鼻の頭を赤くしてバス停まで歩くたびに、もう少しバス停に近いところに家をかりるべきだったと後悔してしまう。この部屋に倫太郎と越してきて、三百六十五日を何度か繰り返したはずなのに、この冬の寒さには未だ慣れずにいる。むき出しの頬を撫でるたびに、自然と肩を窄めて、震える唇からは「寒い」という言葉ばかりが漏れてしまう。早朝の寒さは、わたしの身を凍らせるには十分すぎる。コートの下にいくら服を着たところで、十分すぎるように思ったことは一度もなかった。

「……寒すぎる」
「死にそう」
「死んじゃうよ」
「マフラーも手袋もして、服もこんなにモコモコなのに寒いんだ」
「わたしから見れば倫太郎が凄く寒そうだよ」

倫太郎はわたしの顔を半ば呆れたような、可笑しいものを見るような顔をして見ていた(倫太郎がわたしの顔を見るときはだいたい、そういう半笑いの顔をしている時が多い)。わたしから見れば、コート一枚に手袋とマフラーだけを上に着ているだけの倫太郎の方が寒そうに思えて仕方がない(わたしはコートの下にもセーターを着て、さらに厚手の下着まで着こんでいるのにもかかわらず、寒いと思っている)。「寒くないの」倫太郎にそう問えば、倫太郎はこちらに顔を向けて「いいや?」と言った。倫太郎の唇から白い息が漏れると余計に寒くなったような気がして身を震わせてしまった。倫太郎は、早朝出かけるよりも早い時間にロードワークをしに外に出かけているから、体が暖まっているだけなのかもしれないと思った時期もあったけれども、特にそういう日でないときあっても、恰好が普段と変わらないので本当に寒くないのかもしれない。

「コートも着てるしマフラーもしてるからあったかいよ」
「着てても寒いものは寒い」
「筋肉無いから余計に寒いんじゃない」
「それ関係ある……?」

倫太郎はわたしの恰好を、頭からつま先まで見てそう言った。たしかにわたしは、倫太郎のようなスポーツ選手でもないし、どちらかというと運動不足のきらいがあるから筋肉だって無い方だとは思うけれども、筋肉があってもなくても寒いものは寒いだろうと思えて仕方がない。そう言っているときに横から北風が吹いて、思わず肩を窄めてしまうとそれを見た倫太郎が可笑しそうにわたしの顔をみて笑っていた。

「そんなに面白い?」
「面白いよ」

寒い寒いと言っているうちに、最寄りのバス停の屋根が見えた。ここまでの距離が長かったと、人の姿がひとりもいないバス停の時刻表を眺める。朝の時間はまだ、バスの本数が多いのであまり待たずに済むのはとてもありがたいことだった。今日のような寒い日は特に、そう思う。しかしながら、あの暖かさを乗せたバスがやってくるまではまだ暫く掛かるらしい。わたしの乗るバスが来るまで後五分、倫太郎が乗るバスが来るまではあと、八分ほど待つ必要があるようであった。五分間、ほんの短い時間であるはずなのに、冬の朝の五分はひどく長いもののように感じる。特に、こうしてバスを待っている間の五分間は特に、だ。

「……まだ暫く来ないね」

倫太郎はわたしの隣で時刻表を眺めた後に、スマートフォンで時間を確認してそう言った。「……」わたしが、倫太郎の顔をじっと見ていると(このとき、バスを待つのがあまりに嫌すぎて嫌な顔をしていた自覚はある)、倫太郎は「ははは」と笑っていた。「かわいそうだけど、我慢してね」そう倫太郎は言った。このあたりにコンビニでもあれば、バスが来る直前までジッとそこで待つのに、と思うのであるが、あいにく、このバス停にあるのは屋根のある待合所だけでそれ以外のものは何もない。屋根があるだけマシと言われてしまえばそれまでである。「まあ、座ってなよ」倫太郎はそう言って、ベンチに座るように促した。「お尻が冷たいからやめとく」そうわたしが言えば、倫太郎はそっか、とどうでもよさそうな顔をして返事をした。
 身を凍らせるような北風が吹き抜ける。バス停の目の前が大通りに面しているせいか、この冷たい風はとてもよく、通り抜ける。マフラーから出た首筋、むき出しの頬を撫でるように風が吹くと思わず体が縮こまってしまう。「……寒い」そう、わたしは倫太郎のそばに寄った。倫太郎を風上側に立たせて、わたしは倫太郎の体で風を避けているのである。倫太郎はわたしの算段をすぐに理解したのか、「俺を風避けにするなよ」と冗談めかしてそう言った。しかしながら、倫太郎はわたしの隣に立ったまま、そこから動くことは無かった。「でも倫太郎がいるからちょっとマシ」そう、わたしが言うと倫太郎は、あまりに寒がる私の顔を、呆れたような顔をしていた。
 バスを待つ。短いようで長い五分間が過ぎることを今か今かと待ちながら、わたしと倫太郎はただふたり、バス停に並んで立っていた。「仕事、嫌だなあ」そう、わたしがぼやくと、倫太郎が「がんばってね」とスマートフォンの画面を眺めながらそう言った。わたしの方を少しも見やしない倫太郎の少し赤くなった鼻先を見ていると、視線に気づいたのか、倫太郎がわたしのほうをちらりと見た。

「どうしたの」

そう彼はわたしに問うた。「なにもないよ」わたしがそう、倫太郎に答えると、彼は「ふうん」と言って、遠く、バスの走ってくる方向をぼうっと眺めていた。
2020-12-01