小説

素直

「泉くん」
「何」
「わたしね、泉くんのことが大っきらい」


わたしの両親は、わたしが人との接触を断ち、一人でいたがるの特に気にしているようだった。「うちの子、あるときからお友達作らなくなっちゃって」と同じ年の幼馴染のお母さんに相談していたことはよく覚えていて、その度に「なまえちゃんは大人しい子なの?」と幼馴染に聞いていたことも勿論、覚えている。それに対して幼馴染が「なまえちゃんはほかの子とは少しだけ違うだけだし、俺は一緒にいて楽しい」なんて言っていたのを思い出して、吐き気がした。わたしが友達を作らなくなる前――前があるということは私にも友達がいた時期があるということなのだけれど。まだそのときは人並みに友達を作って遊んでいた記憶はあるが、いつからか友達を作るのをやめてしまった。何故友達を作らなくなってしまったのかという理由の部分はポッカリと頭の中からキレイに消えてしまっていて、わたしは思い出そうとしても思い出せない。思い出せないことは無理に思い出さなくてもいいだろうし、忘れてしまう程度のものなのだと思ってわたしはそれについて考えることをやめた。わたしの両親は、わたしが突然孤立してしまったことに、とても慌てていたようだった(多分悪い方に考えていたのだろう)。このまま孤立して、人の輪の中に入れなくなることを危惧した両親は、わたしを同級生の子らの群れの中に入るようにとわたしの背を押していた。しかし、そうすればするほど人の輪の中に入ることを拒みより孤立を深めるのだからわたしはとんだ親不孝ものだ。わたしは小さな頃から素直な性格ではなかったので、誰かがやれと言えば言うほど嫌だというような、可愛げのない子どもであった。それ以来、両親はわたしというこどもはそういうこどもなのだと、もう無理に誰かと接するように小うるさくいうことをやめてしまった。わたしは両親との我慢比べに見事に勝利し、晴れて栄誉ある孤立を手に入れる――はずだった。

なぜかわたしの幼馴染はわたしが孤立するのを良しとしなかった。

わたしが人の輪に入るのを嫌だ嫌だと拒み続けるわたしの腕を引っ張って人の群れの中にわたしを放り込もうとするし、拒めば拒むほど更にわたしの嫌なことをして人の輪に入るほうがまだマシだと、そちらを無理矢理選ばせようとするのだから本当にタチが悪い。お互いにもう四捨五入したら成人になる年なのだから、もう諦めて放って欲しいのに。彼はわたしに変に執着するのだから物好きだと思う。人一倍、人と馴れ合うことを嫌うくせに、わたしには馴れ合いの輪の中に入れというし、わたしに構いたがりなのだから不思議だ。

「はい、おはよ~。早く起きなよね」

わたしだけの、わたしのための要塞なのに他人の声がする。無理矢理身体を揺らされたわたしは意地でも瞼を開けたくなくて、手近にあるはずの布団を顔の方へと引っ張ろうとしたのだけれど、それは阻止されてしまった。わたしの顔を隠すはずだった布団は、無理矢理手から剥ぎ取られてわたしの手の届かない所へと言ってしまった。「もう!寝汚いなあ!」そう呆れたような声がわたしの鼓膜を揺らした。わたしの母親よりも低くて、わたしの父親よりも高めの、わたしの声帯からはどうやっても捻り出すことのできない声。そして、それはわたしがもう暫く聞きたくないと思っていた声そのもの。

「アンタ少しはきちんとしなよ」
「……うるさい」

毛布を取り返すことを諦めたわたしがベッドに再び骨まで埋める体制をとったのを彼が見逃すはずもなかった。わたしの腕を引っ張って無理矢理座らせたあとに、わたしと視線の位置を合わせた彼は、ため息をついた。

「起きた?」
「嫌」

何が嫌なの、と彼はわたしの頬を思い切り引っ張った。アンタのことが嫌なんだよ、と言ったところで彼になんの効果もないことなど実証済みなので、きっと彼に何を言ったところでどうにもならないのだろう。わたしが眠ることを諦めたことを確認した泉くんは、籠城し始めてからずっと開くことのなかったわたしの部屋のカーテンを開けた。太陽はつい今しがた、東側に顔をのぞかせたばかりであった。西日のそれよりも随分と明るい朝日は生活リズムが破綻したわたしが日々見ている太陽は目に悪い。西の方にポッカリと浮かんでお月様とのバトンタッチを今か今かと待ち続けている橙色の光を放つ太陽以外の姿を随分と久しぶりに見た。

「いま何時」
「七時。遅刻するから早くして」
「行かない」
「アンタはいつまでそうして根暗するつもり?」
「わたしは明るくなりたいって言ってないよ」

「泉くんのお節介」そう彼に言うと、泉くんは大げさにため息をついて思い切り顔をしかめた。「ホント、ああ言えばこう言う!」突っ撥ねるような物言いをした泉くんは、わたしに向かって制服を投げつけてきた。わたしがもう二度と、袖を通すこともないだろうと思っていた服が視界いっぱいに広がって、眉間に自然とシワがよるのが分かる。それを彼は見逃してはくれなくて、泉くんは「何その不満そうな顔」とわたしの顔をみて楽しそうに笑った。本当に性格が悪い。

「あのねえ。新学期入ったら使うんだから、押入れの奥に入れるのやめなよね」

:

わたしは夏の長期休みが始まったと同時に、教室の匂いが残っていた制服をすぐにクリーニング屋さんに出した。とにかく、教室の匂いがついていることに耐えられなかった。

学校という場所が好きではなかった。
わたしは学校でいじめられていたとか、そういう事があったわけではないのだけれど、とにかくわたしはあそこが嫌いだった。根暗で一人でいることがすきだったわたしはそっとして欲しいのに、一人で居させてもらえないこの教室が好きではなかった。学校に行けば毎回、ただのクラスメイトであるだけの、わたしの友達でも何でもない人からやたらと声をかけられるのが特に嫌だった。彼らが話しかけてくるときの二言目は、皆泉くんの話だったから尚更だ。泉くんはティーンに人気の男性モデルでそれなりに知名度があるらしい。(残念ながらわたしはそのことに興味がなかったので、母親から聞いた話だけれど。)たしかに泉くんは綺麗な顔をしているけれど、わたしが知っている泉くんの唯一のいいところは顔だけで、それ以外は性格最悪の意地悪な幼馴染以外の何者でもない。だから、彼女たちが頬を染めながらわたしに聞いてくる、泉くんの事――言ってしまえば、泉くんの仕事の話や、彼何が好きなのか――深いところに突っ込むと、彼に彼女がいるのか、わたしは泉くんと付き合っているのか。とにかく、わたしは家でも会いたくなくても泉くんと会ってしまうのに、学校でも泉くんの話を聞かされるのは苦痛以外の何者でもなかった。

わたしは泉くんの仕事のことなんてなんの興味もないし、泉くんが勝手に私のところに来て、仕事の愚痴を吐くだけ吐いて行った時の話しか知らない。そして、彼の人間関係の話など、更に興味がないから、彼が何度も出している同じ名前の人のことを覚えたくなくてもおぼえてしまっただけで、それ以上のことなど聞いたかもしれないけれど全て忘却の彼方だ。だから「知らない」と言えば、彼らは残念そうな顔をして「そう、ありがとう」と言って決まって去って行く。その度にわたしと話したくて話しかけてきたわけではないのだなと少しだけがっかりしてしまう。泉くんありきのわたし、それを嫌でも思い知らされるのが嫌だった。泉くんがいなければわたしの存在が認知されないのではないかと考えるのも嫌だったし、わたしが泉くんの話をすると、わたしだけが知っている泉くんが、彼女たちの中で一人歩きしてしまって手の届かない所に行ってしまうような気がするのも嫌だった。わたしは偶然にも泉くんの近所におうちがあって、偶然にも泉くんと同じ年度に生まれてしまったせいで幼稚園も、学校も殆ど同じルートを辿ってしまっただけで、別に泉くんと好きで今まで一緒にいたわけではない。そんなに泉くんのことが知りたいなら、わたしに聞かないで泉くんに聞けばいいのに。泉くんのいいところなんてわたしは知らない、わたしが知っているのは表にはきっと見えないだろう泉くんの汚い部分ばっかりだ。こうして朝、わざわざわたしを起こしにきて、わたしが学校に行きたくないと行っているのに無理矢理家から引っ張り出そうとする泉くんだ。家に居ても学校に居ても、泉くんのことばかりが頭の中を占めていって、いずれわたし自身が泉くんに侵食されてしまうのではないかという被害妄想までするようになってしまったら本格的に病気だろう。
わたしは嫌な思い出ばかりを思い出させる教室の匂いが忌々しくて仕方がなかった。すぐにクリーニング屋さんに持ち込んだのは、わたしの部屋に教室の匂いを持ち込みたくなかったから。もう二度と、袖を通すことがないのであれば今すぐにでも匂いと一緒に泉くんの思い出すらも落としてしまいたい。彼のことを考えずに済むようになれば、わたしはきっと楽になるはずなのだ。わたしが泉くんの話を聞かれるたびに、泉くんのことを考えなくてもいいように。泉くんにそれで思い出が欠落することなど一切ないこともわかっているのに、そうしたら少しは気持ちが晴れるような気がしたのだ。少なくとも、家にいるときくらい泉くんのことを考えないでいたいから、彼にまつわる話ばかり聞かされる思い出ばかりをブレザーのポケットに詰め込んでしまったこの制服の姿など、一切見なくていいようにと押し入れの奥深くに片付けていたのに。

「泉くん」
「何」
「わたしね、泉くんのことが大っきらい」
「知ってる」

わたしがどれだけ突っ撥ねるように物を言っても、そうやって青い目を細めてわたしを見てくる泉くんが、わたしの脳みそを侵食してきて、泉くんのことだけしか考えないようにさせてくる泉くんのことが大っきらい。わたしがこんなに、泉くんの心を傷つけるような言葉をわざと選んで吐き捨てても、優しく笑っている泉くんのことなんて。
2020-04-04