小説

群青#4

 喫茶店で早めのランチを食べた後に、わたしは慶くんに市内を案内されていた。よく待ち合わせした喫茶店、バイトの帰りによく寄って買い食いをしたコンビニ、それから、過去のわたしが買い物に行くのに付き合ってほしいと強請って慶くんを連れまわしたらしい、市内では少し大きめのショッピングセンター。どれもこれも、わたしの記憶の中にそれらしい風景は無いのであるが、慶くんが寄るたびに、このコンビニではよくわたしが冬に肉まんを買い食いして、店の外で食べるたびに熱いと文句を言っていたとか(理不尽極まりない)、ショッピングセンターで服を買うのに色に悩んだ結果選べないと言ったわたしに、慶くんが「どっちも買えばいいだろ」と言ったときに「どっちも買う金があったら買ってるんだよ」と逆ギレしていた話など、彼の口から出てくるわたしは相当理不尽なことを言っていたようで申し訳なくなってしまった。

「なんか、すみません……過去のわたしが……」
「気にすんなよ。俺は楽しかったぜ」
「理不尽な扱いをされることが?」
「違えよ。まあ、それも含めてなかなか面白かったぜ」

慶くんが案内してくれたのは、わたしが昔に服に延々と悩んでいたらしいショップだった。比較的大きなショッピングセンターの二階の角にある店は、ショッピングセンターの中にある他の店舗に比べて随分と広い店だった。ちょうど、わたしと慶くんが来た時にはそのお店がバーゲンセールをやっているせいか、わたしと同じくらいの年の女の人でごった返していた。タイムセールと書かれた札を持ったお姉さんが、道行く人たちに売り込みの言葉を投げかけては、それにつられた若い女性が店の中へと入っていくのに圧倒されていた。タイムセールと書かれたワゴンには、結構な人が集まっており、わたしは遠めでそれをみるので精いっぱいだった。

「広い」
「確か前来た時もこんな感じだった気がするからたぶんここだろうな」
「何回か来たことあるの?」
なまえとここに来るときは毎回寄ってた」
「なるほど」
「そこにいるから見たいなら見て来いよ」
「慶くんは来ないの?」
「……わかった」

店の中の洋服を右から左まですべて見ていく。わたしの家のクローゼットの中に入っている服の系統は確か、こんな感じの系統だったような気がするなあとか、色は明るい色と暗い色がバラバラに入っていた気がするとか、そういうことを思いながら見ていた。うしろから歩いてきている慶くんはあまり興味が無いのか、彼の視線はセールで買い物をしている客の群れの方に引っ張られていた。わたしは、ハンガーに吊るされた今期の新商品のワンピースを見る。季節にあった色合いに、シンプルなプリントデザインが入ったものだった。明るめの色と暗めの色の二着が吊るされているのであるが、そのどちらも魅力的で、どちらか一つを選ぶのは難しそうだった。財布の都合が合えば買ってもいいかもしれないなと思い、わたしは、服の値札を見てみたが、自分が思った以上に服の値段が高かったので、わたしは値札をみなかったことにした。

「なんだ、買わないのか?」
「今日はやめとく。荷物になっちゃうし」
「ちょっと高いしな」
「よくわかったね」
なまえが昔言ってた」
「そうなんだ……たしかに、迷って二着買うのは厳しいかな……」
「ははは」

わたしが服を元の場所に戻したときに、肩を叩かれたので後ろを振り返った。わたしの目の前には、わたしより身長が少し高い女性が立っていた。明るい色の髪の毛と、口元の黒子が色っぽい印象を与える女性で、わたしが過去に彼女を見たことがあるのであればきっと、忘れることが出来なさそうな顔立ちをしている。

なまえじゃない。あと太刀川君」
「なんだ、俺はついでか?」
「えっと……」
「久しぶりね。なまえ、市内に戻ってきたの?帰ってくるなら教えてくれればよかったのに」

目の前の女性はそう、朗らかに話した。「あなたがここにいるって知ったらみんな会いたがるわよ」と口元に手を当てて上品に笑う姿が、なんとも様になっている。わたしが困惑して慶くんの方を見ると、慶くんは目の前の女性の名前を呼んだ。

「加古」
「太刀川君もなまえが戻ってくるって知ってたなら教えてくれたって良かったのに」

そう、加古と呼ばれた女性は楽しそうに、「でも、デートだったらお邪魔になったかしら?」とくすくすと笑った。「いえ、えっとそういう訳じゃないです」としどろもどろになりながら言うと、彼女は上品な笑みを浮かべてわたしと慶くんを見ていた。「なまえはそこで待機」そう、慶くんはわたしに言って、加古さんを連れて店の外へと出て行ってしまった。大方、わたしの事情を彼女に説明するのだろう。ふたりは、店の外で話をしたのちに、数分としないうちにわたしのいるところへと戻ってきた。

「いきなりびっくりさせてしまってごめんなさいね」
「いえ」
「私は加古望よ。あなたは私を望って呼んでたから、望で構わないわ」
「わたしは、みょうじなまえです。望ちゃん」
「そんなに畏まらなくてもいいのよ」

太刀川くんに事情はぼんやり聞いたのだけどね、と望ちゃんはそう続けて言った。

「私も、太刀川くんと一緒よ」
「バイトのお友達、ですか?」
「ええ……まあ、そんなところね。なまえは大変だったみたいね。でも良かったわ、怪我もう治ったみたいで」
「うん。ありがとう」

望ちゃんは、わたしと慶くんを見て「どうしてここに来たの?なまえの買い物の付き添いって感じじゃないものね」と言った。「なまえと昔行ったところに来てる」そう、慶くんが望ちゃんに答えると、望ちゃんは「そうね、なまえはよく洋服を買うときはここに来てたし、わたしも昔なまえに教えてもらってからずっとここに来てるのよ」と言った。「望ちゃんは今日、お洋服を買いに来たの?」そう問えば、望ちゃんは「ええ。そのつもりだったんだけど……面白い子たちがいたからつい、ね」といたずら子のような笑みを浮かべて言った。

「時間があるなら少しおしゃべりしましょうよ。わたしだって、なまえと話したいことがあるし……太刀川君、いいでしょう?」
なまえが良いなら良いぜ」
「はい、おねがいします」
「ありがとう。ちょっと会計済ませてくるわね。このあたりでおすすめの喫茶店があるの。そこに行きましょう」
「はい」




 望ちゃんに連れられて入った喫茶店は、ショッピングセンターから少し離れた裏路地にあるこじんまりとした個人店のようだった。わたしたちが店に着いたころには、一番奥の四人掛けの席には、既に先客が居た。わたしはその人が誰か分からなかったが、望ちゃんは「お待たせ」と言っていたし、慶くんはその人の名前を呼んでいたので、二人の知り合いなのだろうと言うことははっきりと分かった。「呼び出して何の用だ」そう、彼は奥の方に寄りながらそう言った。望ちゃんが、彼の隣に座り、望ちゃんたちと向かい合う形で、わたしは慶くんの隣に座った。喫茶店のマスターに慶くんはコーヒーとデザートメニューを注文していたが、生憎わたしは最初に食べたものがまだお腹に残っていたので、今回は飲み物だけにしておいた。

なまえちゃんはいいの?」
「俺となまえさっき朝駅前のとこで食べたんだよ」
「あらそうだったの」

わたしたちが注文を終えたのちに、向かいに座った彼は「久しぶりだな」と言った。

「あのう、みなさんわたしの知っている人でいいんですか?」
「……お前、覚えていないのか」
なまえ、事故に遭って記憶が無くなったんだってよ。それで今日は何か思い出せないかって来たらしい」
「成程」

彼は、「二宮だ」と名乗った。「二宮くん」そう言えば、彼はわたしに視線だけを向けた。

みょうじなまえです。よろしくお願いします」
「知っている。随分しおらしくなったな」
「……慶くんにも言われました」
「記憶がないなら仕方ないだろう」

慶くんも同じことを言っていたんです、と二宮くんに言うと、二宮くんはあからさまに嫌そうな顔をしてこちらを見ていた。「仲良いわよね」そう、望ちゃんが言うのに「はい」と言えば、二宮くんが「やめろ」と眉間に皺を寄せて言った。

「二宮くんもわたしたちと同じよ」
「バイト先、みたいなところが一緒だったと聞いています」
「ああ……そんなところだ」
「皆さん、仲が良いのですね」

そう言うと、二宮くんはあからさまに嫌そうな顔をしたが、慶くんはそんな彼の表情など知らぬ顔をして「まあ、悪くはないな」と言った。望ちゃんは「同じ歳だし、入った時期がだいたい同じくらいなのよ、わたしたち」と続けた。

なまえちゃんは太刀川君と同じくらいだったかしら?」
みょうじは俺よりは先のはずだ」
なまえはたしか俺と同じくらいだぞ」

そう、彼らは口々に言った。あまり仲が良いと言うと二宮くんは否定するが、わたしから見てみれば彼らは随分と仲が良く見える。「休日はよく会うのですか?」そう問えば、望ちゃんは「全然よ」と言った。

「今日だって、偶然だもの。私となまえは待ち合わせして出かけることもあったし、太刀川君となまえも出かけているのを見たことがあるけど、二宮くんとはあまり聞いたこと無いわね」
「休日にみょうじと会った記憶は無いな」
「じゃあ、わたしと二宮くんはあまり仲良くなかったんですね」
「そうでもないだろ。なまえと二宮は本部ではよく喋ってたけどな」
「プライベートで会ってなかっただけだ」
「成程」
「それから、みょうじはその畏まった喋り方をやめろ」

二宮くんが、会ったばかりの慶くんと同じことを言っていたのが可笑しくて思わず笑ってしまった。二宮くんは訝しそうな顔をしてわたしを見ていたが、慶くんが「同じこと言ったばっかだからな」と言ったので、二宮くんは余計に眉間に皺を寄せてしまった。望ちゃんはそれを見て楽しそうに笑っているだけだった。

「懐かしいわね、なんだか二年前みたい」
「そうか?」
「そうよ。このメンバーで集まるといつもこんな感じだったじゃない」
「言われてみればそうかも知れん」
「あら、二年くらい前のことなのにもう覚えてないの?」

望ちゃんはそう言って、手を口元に当てて上品に笑っていた。「そう言えばなまえが昔服買いに行ったのに付き合わされていた太刀川君の話なんだけれどね」そう言って切り出してきた望ちゃんの口から出てくる、過去のわたしの話を聞いていた。確かにそれは自分の話であるはずなのに、どうしてかわたしの知らないわたしの話は、他人の話を聞いているようにさえ思える。仏頂面で話を聞いていた二宮くんが時折、どこか懐かしいものを思い起こすような顔をして見せたり、慶くんが破顔するのを見て、可笑しくなって笑うたびに、望ちゃんが、「あなたの話なんだから」と言う。「何も知らないはずなのにわたし、本当にそこに居たみたい」と、そう言えば、二宮くんは「お前は覚えてないだろうが、お前の話をしているんだ」と大真面目な顔をして言うのが面白くてまた、わたしは笑ってしまった。
2020-01-25