小説

ちょっとカワイイ

 日ごろ散々、暑い暑いと言っていても、その暑さが永遠に続くわけではない。煩わしく思っていたセミの鳴き声が少しずつ小さくなり、嫌になるくらい青々としていた木々の葉の中に病葉のすがたがちらほらとみえるようになれば、もう夏の終わりもすぐそこにあった。米屋陽介が、初めて彼女の姿を見たのは、夏の終わりの足音が聞こえ始めてきたころのことである。
 米屋陽介は、ボーダーで組んでいる部隊の隊長である三輪秀次と本部基地までの道のりを歩いていた。活発に行われている部活動の様子を見ながら、校門を通り過ぎ、通い慣れた本部基地までの道のりを歩く。「そういやさあ」米屋が今日の防衛任務の時間と、担当する区域がどこであるかを三輪に問えば、三輪は呆れたような顔をしたあとに防衛任務の時間と担当区域を言った。「忘れるなよ」そう、小言を言われてしまった米屋が、「んなことしねえよ」と三輪に言ったところで、何の説得力もない。結局、三輪はそれ以上の小言は言わなかったが、彼の目は、彼の言葉以上にモノを言っており、疑り深い顔をして米屋の顔を見ているだけであった。高校のちかくの細道を抜け、比較的大きな通りに出ると、遠くから同じように学校の授業を終えた学生の姿があった。同じ高校の制服を着ている人もいれば、違う学校の制服を着ている人もいる。通りの反対側から、ワイシャツとスカートの女子生徒の群れがやってくるのが見えた。市内でも制服が可愛いと言われている学校だな、と米屋がぼんやり考えているうちに、その群れとすれ違う。

「あれえ、米屋じゃん」
「お?ユッコだ」

 女子高生の群れの中をよく見ると中学の時に同じクラスで似たようなバカをして盛り上がったヤツがいた。彼女たちは、思い思いのおしゃれを楽しんでいた。明るい色をした髪の毛と、自分が一番可愛く見える制服の着崩し、通学でくたびれた鞄を派手な色合いのぬいぐるみやキーホルダーで飾っている。女子高生というのは、そういう自分を魅せることに一生懸命になるイキモノだと、米屋は自分の学校の女子生徒を見て、校則の許す限りの範囲でうまいようにやりくりしている様子を見て思うのであるが、それはもしかしたら他校の彼女たちも例外ではないのだろう。ただ、目の前の彼女たちは自分らの学校の先生が見たら卒倒するかもしれない。「げんきー?」そう、軽い調子で聞く女子に、「まあなー」と答えてすれ違おうとしたときに、群れの中から「秀次くん」と三輪の名前が呼ばれた。三輪の名前を呼んだ、サイズの合っていないカーディガンを着た女子──制服の上からカーディガンを着ている、というよりは着られていると言った方が正しいくらいには、女のからだの大きさにあっていない。スカート丈とカーディガンの裾の丈が同じところにあったし、袖から手も出ていない──も、彼女らの群れの中ではまだ落ち着いている方なのだろうが、比較的派手な格好をしている女子高生であるには違いなく、学内では比較的おとなしい三輪のような人に話しかけるところはあまり想像できなかった。このときに何時もの通り、三輪がただ目礼をするかだけで終わっていれば米屋は何も思うところはなかったのだろうが、この時の三輪はわざわざ手をあげて「ああ」と答えていた。米屋にとって、さして親しくもなさそうな人にたいして三輪が、三輪の中ではフレンドリーなしぐさをしたことに驚いていた。しかしながら、彼女たちにとっては薄いリアクションに違いなく、「リアクション薄」と文句を言われていたが、三輪はさして気にしていないようであった。彼女たちは「じゃあね」と言ってそのまま去って行ってしまう。時折聞こえる大きな笑い声が、賑やかだった。米屋は、本部に向う道のりを再び歩き始め、三輪に話しかけた。「なあ、秀次」さっきの子、知り合い?そう、問おうとしたが、彼の後ろに三輪の姿は無かった。三輪は先ほどの場所に立ち止まったまま、彼女たちの後姿が消えていくのをジッと見ていた。

「なに、好きな子でもいた?」
「……」
「無視すんなよ」




 米屋陽介が二度目に彼女を見たのは、自分の学校の校門の前だった。秋も通り過ぎ、冬のはじまりを感じさせる風が吹き始めた頃のことである。色の変わった赤や黄色の葉が地面の上に落ちているせいで、地面がなんとも賑やかである。米屋は、校門に立っている、この学校の制服ではない制服を着た女子の姿を見た。明るい色の髪の毛と、サイズの合っていないカーディガンが印象深い。くたびれた鞄に派手な色合いのキーホルダーをたくさんつけて鞄を飾った女子生徒の姿がそこにあった。サイズの合っていないカーディガンの丈は、スカートの丈と同じくらいの長さがあるし、袖は折り曲げられている。カーディガンに着ているというより着られているという方が正しい女子のことをどこかで見たことがあるな、と思いジッと見ていると、視線に気づいた彼女の方から声をかけてきた。「アッ、すみません」短いスカートから伸びた足は、そろそろ寒いんじゃないかと思うのであるが、おしゃれのためなら多少の我慢はするとクラスメイトの誰かが言っていたことを思い出して、ナルホドと思った。

「三輪ってもう帰りました?」
「秀次?アイツ今日委員会だからまだ残り」
「そっか、よかったァ。ありがとうございます」

彼女はほっとしたような顔をして、校舎の方を眺めた。スマートフォンを鞄から取り出して、慣れた手つきで操作し始めた。見知ったメッセージアプリの画面に文字を一生懸命打ち込んでいる。不躾を承知で画面を覗くと『三輪秀次』とよく知った名前が表示されていた。彼女のメッセージの送信相手はたぶん、俺の知る秀次に違いないらしい。

「秀次の知り合い?」
「はい」
「へえ」
「あなたはユッコの知り合いなんですよね?」

ユッコ、というのは米屋の中学の時のクラスメイトの名前だった。米屋は、彼女の問いに「中学の同級生」と答えた。

「ああ、やっぱりあのときの秀次くんの友達だ」
「あのときの?」
「覚えてないかもしれないんですけど、二か月くらい前に大通りのところでユッコたちと歩いてる時にすれ違ったんだけど……」
「ああ~思い出したぜ。秀次にしては珍しい知り合いがいると思ったんだわ」
「わたしも秀次くんにしては珍しい友達だって思ったから」
「そう?」
「秀次くんはどっちかというと静かな人たちといそうだから」
「あ~たしかにな」

彼女はみょうじなまえと名乗った。「苗字より名前のほうが慣れてるから、名前で呼んで」米屋も自分の名前を名乗った。「米屋くん、よろしく」「おー」なまえはスマートフォンを操作した。メッセージが表示されている画面には、『来ちゃった』から始まって、『米屋くんに会いました』のメッセージが新たに追加されて送信されていた。なまえは送信したメッセージを満足そうな顔をして眺め、スマートフォンをくたびれた鞄の外ポケットの中に挿し、折ったカーディガンの袖を指先で遊びながら、彼女は校舎の玄関口の方を見て、三輪がやってくるのを待っていた。玄関口から出てくる生徒の姿の中に、三輪の姿は未だ、無い。

「今日は、秀次くんに何も言わないで来たんです」
「びっくりさせようと思って?」
「そういうつもりじゃないんだけど、急に会いたくなったから」
「へ~」

なまえの鞄からバイブレーションの音が鳴り始めた。なまえは鞄からスマートフォンを引っ張り出す気配はなく、米屋に話しかけていた。「秀次くん学校ではどんな感じなの?」「秀次はいつもの秀次だぜ」暫く鳴り続けていたバイブレーションが止まった。しかしながら、スマートフォンは間隔を空けずに再び鳴りだした。

「鳴ってね?」
「秀次くんかな」
「かもな」
「でもいいや。すぐ来るなら電話出なくても良いだろうし、ほかの人からのだったら後ででいいから」
なまえが出ないから、オレの方に来たな~」

なまえのスマートフォンが静かになったと思えば、次に鳴ったのは米屋のスマートフォンだった。電話の相手は渦中の人物だった。電話を取った瞬間に「いるんだろう」と言ってきたあたり、三輪はすでに米屋の状況も、今この学校になまえが着ていることも知っているようであった。二言、三言それに返事をすると、電話はすぐに切れた。

「秀次くん?」
「そ。もう来るぜ、じゃ、オレ行くわ」

米屋はそう言って、なまえと別れた。「あっ、秀次くん!」と大きな声で三輪を呼ぶなまえの声を背中で聞きながら、米屋は帰路についた。




 なまえが三輪の学校に行こうと思い立ったのは、退屈な授業を受けている最中のことであった。昼休み開け一番最初の授業は、ついうとうとしていしまう。机の上に開かれた現代文の教科書はただ、なまえが授業を聞いている格好をつけるだめだけに置かれているだけで、黒板の前で教師が読み上げている小説のフレーズも、解説の内容も、あまりなまえの頭には入っていなかった。それでいても、まじめに授業を聞いている人の方が少ないこの教室では、なまえが多少、授業を上の空で聞いていても、教師の目からはまじめに勉強をしている生徒に見えているのか、なまえがぼんやりしていることは指摘されることは無いまま、昼下がりの授業はゆっくりと進んでいった。なまえは退屈な授業を受けている最中に、暇つぶしがてら、袖の余るカーディガンの、折った袖を伸ばして、もう一度折りなおした。自分で服を買うときにはあまり進んで選ぼうとしない、くらい色のカーディガンは、同じ学校に通えなくて寂しいからとねだって貸してもらったもので、なまえの身体のサイズには合っておらず、彼女の身体の大きさよりもふたまわりほど大きいものだった。余っている袖を折りなおしているときに、二か月前のことを思い出した。クラスで仲良くしているユッコらと一緒に、通学路を歩いていた時のことである。通学路の逆方向からやってきた他校の男子高校生二人とすれ違ったときに、ユッコがすれ違った他校の高校生の名前を呼んだ。その人の名前をなまえは知らなかったが、ユッコが声をかけた人と一緒に歩いていたのが、なまえの着ているカーディガンの本来の持ち主である三輪秀次だった。なまえは三輪が制服を着ている所は何度も見たことがあったが、自分たちと同じように歩いて学校に行っているさまというものを今まで見たことが無かったせいで、自分と同じ高校生であることを知りながらも、高校生活を送っている三輪がやけに新鮮に見えた。なまえは三輪秀次という男のことを、おとなしく、あまり愛想のよくない人であると思っている。そのため、ユッコたちがいるときに三輪に話しかけたところで良い反応が返ってくることなぞ少しも期待していなかった。良くて目礼程度に思っていたのであるが、その時の三輪は、なまえの方を向いて返事を返した。ユッコたちが思う良いリアクションからは程遠いことなど承知なのであるが、それでも三輪の中ではかなり愛想のよい仕草だったのだから、なまえはうれしくてたまらなかった。そのことを思い出していたら無性に、本人に会いたくなってしまったなまえは、今日の時間割を確認した。今日は一時間授業の回数が少ない日で、三輪の学校の方が一時間多い日だった。それならば、そのまま三輪の学校まで行って、校門で待っていれば、授業を終えた三輪と合流することが出来るだろう。なまえは、黒板の上に置かれている時計を眺める。授業が終わるまであと一限と半分、今日ほど時間が早く過ぎてほしいと思う日はあまり無いのだろうが、こうして会うことを楽しみにして残りの授業時間を潰すのが、なまえにとっては一番いい暇つぶしになった。




 委員会の集まりを終えた三輪秀次はスマートフォンを片手に固まっていた。メッセージと名前は何度繰り返し読んでも変わることが無い。なまえから送られてきたメッセージは、三輪の通う学校の前にすでにいると言うこと、そして、委員会がなく先に帰っているはずの米屋と会ったことが書かれていた。メッセージを見た三輪は、校門あたりが良く見える窓から外を見る。校門の影に隠れて女の姿は見えないが、校門の前に立っている米屋の姿が見えたので、あの場になまえが居ることを理解した三輪は彼女に電話を掛けるのであるが、一向に電話を取る気配が無い。一度電話を切って、もう一度掛けなおしてみるが矢張り、電話には出なかった。なまえは、スマートフォンを良く見ていることが多いくせに、なんだかんだ言い訳をつけて電話を取らないことがある。一緒にいる時に、あまりに電話が鳴るので「電話が鳴ってるぞ」と言ったことがあるが、なまえは「今は秀次くんといるし緊急だったら何度もかかってくるでしょ」と言って、何度も掛かってくる電話を取らずにいることがあったことを思い出して、眉間に自然と皺が寄る。三輪は電話を掛ける相手を、校門の前に立っている米屋の方に変えると、米屋は数コールもしないうちに電話を取った。

「いるんだろう」
「おー」
「すぐ行く」
「りょーかい」

突拍子もない行動をするなと、なまえには普段から言っていっているはずなのに、なまえは相変わらずこうして三輪のことを驚かせているし、三輪は三輪で、そういう行動をやめろと言ってはいるが、なまえのそういうところがカワイイと思っているところがあるのもまた、事実だった。なまえと三輪、友人づきあいもあまりしそうにないように見える二人の出会いも、なまえの突拍子もない行動が原因だった。警戒区域の廃ビルに入りこもうとするなまえを、偶然にも見つけた三輪が引っつかまえて叱り飛ばしたところから始まっている。警戒区域と知りながらも、このあたりで一番高い建物だから、入ってみたかったというどうにもくだらない理由を大真面目に力説するなまえに呆れかえってもう何も言えなくなってしまったのは、三輪の記憶に新しい出来事だった。「じゃあ、ここがダメって言うならわたしを似たようなところに連れてってよ」「なんで俺が付き合わなければならないんだ」「きみがダメって言ったんでしょ」なまえの質の悪い逆ギレに対して付き合いきれないと言っておきながらも、なまえと連絡先を交換し予定まで調節して律儀に付き合った三輪も三輪だった。なまえなまえで、自分のやりたいことに真面目に付き合ってくれる三輪のことを気に入っていたし、三輪は、自分の目の届かないところでなまえが突拍子のない行動をされて問題を起こされる寄りマシだと思って付き合い続けていた。生真面目な三輪の性質と、突拍子もない行動をするなまえは相容れない性質のようであったが、存外、付き合いは長く続いていた。

「あっ、秀次くん!」
「悪い」
「ううん、いきなりだったのはわたしだから」
「まだ着てたのか」

くらい色のカーディガンを見た三輪は、なまえのカーディガンの、折られた袖を見てため息をついた。「……大きすぎないか?」「大きいよ~、でも秀次くん学校いるみたいで楽しいから結構気に入ってる」そう、なまえが言うと三輪は、ため息をついた。

「秀次くんがウチの学校にいたら絶対楽しいのになあ」
「学校でまでお前のわがままに付き合わされるのはごめんだ……それから、電話に出てくれ」
「秀次くんもう来るだろうから良いかなって思って」
「心配する」
「お父さんみたい」
「俺は父親じゃない」

三輪となまえは仲良く歩き出した。一歩先を歩くなまえの後ろをついていくように、三輪が歩く。

「今日はどうしたんだ」
「なんか会いたくなったから」

なまえはそう言って、笑った。三輪は「そうか」とだけ言った。なまえはいつも唐突で突拍子もなく、三輪の考えの斜め上のことを言い始めることが多い。今回だって、その類だった。「昼の授業中にね、前大通りで秀次くんに会ったこと思い出してさあ、会いたくなった」そう、なまえが可笑しそうに笑って言うと、三輪は「真面目に授業を受けろ」と返した。「はあい」なまえはそれに間延びした返事を返した。

「だって高校生してる秀次くんってちょっと珍しいから見てみたくなるんだよ」
「意味がわからない」
「わたしは分かってるから良いんだよ」

だから、会いたくなって来たんだよ、となまえは言った。

「……何もかもが急すぎる」

三輪にはなまえが何処に歩いていこうとしているかを、知らない。なまえもまた、目的地を決めていないのだろうというのが三輪の考えだった。目的地を特に設けないまま、そのときの気分で道路を歩くことをなまえは好んでやる。だから、なまえに目的地を問うだけ無駄であることを、三輪はとてもよく知っていた。「秀次くんは学校でいつも何してるの?さっき米屋くんに聞いたらさあ、『秀次はいつもの秀次だぜ』って言われたんだけど意味わからないよね」そう、なまえはどうでもいいことを好きに話しながら、西日を背にして歩いている。きっと今日もまた、なまえの好きなように振り回されるということはもう、目に見えていた。しかしながら、それもまた悪くないと、そう、三輪は思うのであった。
2019-12-31