小説

車上にて

 待ち合わせの時間ちょうどに二宮くんの家の前に着くように車を走らせる。偶然つけたラジオ番組が、車内のスピーカーから流れている。パーソナリティのお姉さんのはなやかな声を合図にして、お姉さんに紹介されたばかりの流行りの音楽が流れ始めた。いま流行っているらしいこの音楽は、軽快なドラムの音が特徴的な、女性ヴォーカルのロックチューンだった。夏の頃に聴ければもっと最高だろうな、と思いながらわたしはハンドルを握る。フロントガラスの向こう側には、よく晴れた冬の夜が広がっている。冬は、曇りの日が多いように思うせいか、夜でも外が白んでいるように見えて、少し明るく感じるのであるが、今日はよく晴れているせいか、普段よりもずっとくらい夜のように見えた。冬は、日が暮れるのが早い。夏であればまだ明るいだろう時間のはずなのに、すでに月と、星が空を埋め、街灯はぼんやりとしたひかりを灯している。くらい空に流行りの軽快なロックチューンはあまり合っていないようにも思うが、この音楽を聴いていればなんとなく、気分が明るくなるように思うので、悪くないなと思った。ラジオの音量を少し上げて、車を走らせる。この音楽がサビに差し掛かったところではじめて、わたしが日ごろよく使うコンビニの有線音楽で聴いたことのある曲であることに気が付いた。あの曲はこういう曲だったんだな、と思いながら、女性ヴォーカルの歌声に合わせてメロディを口ずさむ。運転席でハンドルを握るのも、なんだか楽しいような気がしてくるので、音楽というものは不思議だと思う。
 比較的大きな三車線道路から住宅街の方へと車を走らせると、車線が減り、道路の幅も少し狭くなる。わたしの見える範囲に走る車の姿は見えない。徐行しながら目的地に向かっていると、目的地のそばに人の影が見えた。たぶん、今日のわたしの待ち合わせの相手は、わたしが来るよりも早くから外で待っていたのだろう。

「お待たせ。寒かったでしょ」
「いや」
 
 助手席に乗り込んだ二宮くんが手早く、シートベルトを着ける音が聞こえる。シートベルトを着け終わった二宮くんが、慣れた手つきでラジオの音量を下げ、暖房の向きを調整していた。この道は車の通りが多いわけではないが、いつ車が来るかわからないので、この道で車を止めている時は少しだけ緊張してしまう。わたしは、メーターの傍に点灯していたシートベルトの着用ランプが消えたのを確認してすぐに、ギアを入れた。
 
「じゃ、行くね」
「ああ」

パーキングからニュートラルを経てドライブモードへ、踏んでいたブレーキから足を放し、ゆっくりとアクセルペダルを踏み込んだ。徐行しながら住宅街を抜けるときに、二宮くんが「悪いな、毎度」とわたしに向かって言った。それが、二宮くんの都合にわたしを付き合わせていることへの謝罪の言葉であることは知っている。別に、いつも律儀にそう言ってくれなくても良いと言っているのだが、彼はいつもそう、わたしに言うのだ。二宮くんが、自分のコートのポケットのあたりをあさる音が聞こえたので、そのポケットのあたりに入っているだろう財布から、二宮くんがお金を出す前にわたしは彼に向って言った。「今日はガソリン代要らない、前貰ったのがまだ余ってるから」そう言ったのに、二宮くんは財布からお金を出す手を止めようとしなかった。「礼だと思ってくれればいい」二宮くんが渋い顔をしてそう言っているのが何となく想像が出来てしまって、可笑しくなった。交差点が見えたときに、信号が黄色に点灯し、赤に変わる。ブレーキペダルをゆっくり踏み込んで、車を止めた。ガラス窓に隔たれた向こう側で、歩行者用の信号機が青であることを知らせる、鳥の鳴き声を模した電子音が一定の間隔で響いている。わたしはこの隙に、二宮くんの顔を盗み見た。わたしが想像したとおりの顔をした二宮くんが、一番単位の小さなお札を既に三枚取り出していた。「いや、いいって。それに、多いよ」裸銭を持ったままの二宮くんと、わたしの目が合った。二宮くんは眉間の皺を濃くしてわたしに向かって口を開く。

「信号は赤でも前を見ろ」
「ごめん」

彼の言う通りなので、わたしは謝罪の言葉を吐いた。「そんなに言うなら今度ランチ奢ってよ」わたしと二宮くんが通っている大学にある学食には、千円出しておつりが少し出てくる、他のものよりもちょっと高い定食がある。わたしはそれを食べたいと二宮くんに言ってみたが、二宮くんが是とも非とも言わなかったが、彼が納得していないということだけはとてもよく、分かった。このやり取りも、過去に何度か行っていて、わたしは学食のランチで十分だと言っているのに、二宮くんはそれをわたしが遠慮していると勝手に思っているのか、わたしの話を聞いてくれたことは一度も無い。

「この後時間はあるか?」
「うん」
「なら帰りに飯でも行くか」
「ランチくらいのところね」

そう、彼に釘を指すと、二宮くんは渋々納得してくれた。「戻ったら車置いていつものところに行くか」と二宮くんが言うので、わたしは今回はその店ではなく、帰り際に車でどこかに寄ることを提案した。二宮くんは「お前に足を出させてどうする」と言っていたけれど、わたしが寒い外を歩くのが嫌だと言って、わたしの都合を優先させてもらった。歩行者用信号が点滅していることを知らせる音が、ガラスの向こう側から聞こえる。数十秒待てば、車道の信号が青に変わった。わたしはブレーキペダルから足を放し、アクセルペダルをゆっくりと踏んで、車を発進させる。住宅街に比べ、比較的広い道路に出ると、車の流れが一気に早くなる。わたしは更にアクセルペダルを踏み込んで、まわりの速度に合わせて車を走らせた。

「今日は玉狛支部で良いんだっけ」
「ああ」
「わかった」

新弓手町駅のほうから、警戒区域の外周を回るように車を走らせ、三門市を流れる川沿いの道路へと出たのちに、橋を渡り川の向こう側に出る。警戒区域は基本的に、川を境にしてボーダー本部基地側にあるのだが、旧三門市立大学のあたりだけは、ボーダー本部基地より川を渡った向こう側まで警戒区域が広がっている。橋を渡ってすぐに川沿いにそのまま走れば玉狛支部にすぐにつくというのに、この足の出た警戒区域のおかげで川を渡った向こう側、さらに旧弓手町駅のあった市営弓手町線の線路を超えた先のほうまでぐるりと回る必要がある。

「いつも思うんだけどさあ、旧大学のところ、橋の内側にならなかったのかな」

警戒区域、誰か今いるかなあとぼやいたら、二宮くんが隊の名前を二つ零した。一つはA級部隊でもう一つがB級部隊、部隊がふたつということはフリーの人がその間に入っているのだろう。

「よく知ってるね」
「……俺は隊を持ってる」
「えっ、全部ちゃんと見てるの」
「一応見ている」

わたしは、隊に所属していないフリーの隊員なので、自分が組む相手のことは知ろうとするけれど、ほかの人の予定までは見ていない。隊長をやるのであればそう言うところまで気を回さなければならないのかと思うと、やっぱりわたしには隊長というものは難しいのではないかと思う。人のことを考えるような、協調性というものもわたしには欠けているような気がするので、隊として動くこと自体も難しいように思う。

「隊は組まないのか」

そう、二宮くんはわたしに問うた。わたしも二宮くんも、ボーダーという組織の中では年長の方にあたるので、隊を率いていても可笑しくない。同期や、年齢の近い隊員を見れば、殆ど隊を率いている人ばかりで、同じくらいの年齢で隊を組まずにやっている人の方が少ない。わたしはその、少数の中の一人で、二宮くんは多数の中の一人である。

「……わたし、隊長とか隊とか、無理だなって思うんだけど」
「そうか?」
「二宮くんみたいに他の人のことまで見れないし、ほかの人の足引っ張りそうだもん、わたし」
「……機動力は問題だと思うが、それくらいだろう」
「協調性とかそう言うのにも自信がない」
「防衛任務においては特筆するほどの問題は無かった」

二宮くんは人に対して歯に衣着せぬ物言いをするから、彼がそう言うのであればお世辞でもなんでもなく、彼の本心でそう思って居ることなのだろう。それに、本格的に隊というものに向いていないのであれば、二宮くんは最初から「やめておけ」と言っているだろうし、話題にも出さなかっただろうから、わたしは彼の言葉はそのまま素直に受け取ることにした。

「褒められるとは思ってなかった」

そう、彼に言えば二宮くんはそれに対して何も言わなかった。彼が褒めたつもりが無ければ「褒めていない」とぶっきらぼうに言い放つので、今回のところは、わたしの思う通りに受け取って構わないのだろう。旧弓手町駅を通り過ぎ、わたしは川沿いの道路に出た。川沿いの道のりを行けば、玉狛支部にはいずれたどり着くので、川沿いのこの道を走るのが一番良い。今日は寒いし、外ももう充分に暗いというのに、河川敷のあたりで散歩をしている人の姿や、ランニングをしている姿がちらほら見える。

「寒いしもう暗いのによくやるね」
「お前も身体を動かした方が良いんじゃないか」
「なんで」
「生身で動けるようになればお粗末な機動力も多少はマシになるだろ」
「……ぐうの音もでない」

暫く、道なりに車を走らせていると玉狛支部にたどり着いた。川のど真ん中にある建物につながる橋のそばに車を止めた。「行ってくる」そう言って、二宮くんは車から降りて支部の方へと行ってしまった。二宮くんが建物の中へと入っていくのを見送って、わたしは思い切りシートを後ろに倒して寝転がった。二宮くんが居なくなり、ひとりになった車内は静かだ。二宮くんが下げたラジオの音量も、誰もいなくなってしまえば音量が大きいように感じてしまう。車を走らせている間に、いつの間にか違う番組変わっており、流行りの音楽ではなく、わたしがあまり聴かない、ジャズピアノのやさしい音が静かな車内に流れている。わたしは、何となくそれを煩わしく感じてしまって、ラジオごと消してしまった。

:

 二宮くんは、失踪した部下を追っている。わたしは、二宮くんの元部下である鳩原さんと深く関わり合いがあったわけではないが、わたしが見知った鳩原さんという人と、二宮くんの話と彼の態度から、どんな人だったかをぼんやりと知っている。二宮くんの口から語られる鳩原さんについての言葉は辛辣で、とうてい褒められたような言葉ではなかったが、二宮くんの口から出てくる言葉の辛辣さと、対象への思い入れが異なるのは、二宮くんとそれなりに付き合いのある人であれば知っているだろう。二宮くんは、態度には素直に出すのに、言葉に素直に出すことを、しない。だから、二宮くんがいくら辛辣な物言いをしていたとしても、彼にとっての鳩原さんが、辛辣な言葉の表面だけで語られて良い人ではないことを、わたしは知っている。そうでもなければ、二宮くんが、失踪してもう半年近く経った彼女の足取りを追いはしていないだろう。

「おかえり」
「ああ」

 一時間も経たないうちに、助手席のドアが開いた。わたしは倒していたシートを戻し、二宮くんに声をかけた。助手席のシートに収まった二宮くんは、大袈裟にため息をついて、口を開いた。

「"取引をした"と言っていた」

 わたしは、助手席に座った二宮くんの顔が見れなかった。見ずとも、どういう顔をしているのかくらいの想像がついてしまうくらいには、わたしは二宮くんと長く一緒にいてしまった。それなのに、彼に対して気の利く言葉一つ返すことが出来ずに、わたしは黙ることしか出来なかった。
 もしかしたら、二宮くんは、鳩原さんの一件について、責任を感じているのではないかと思っている。部下の管理が出来なかったという意味ではなく、彼が、上層部の説得が出来ずに遠征取り消しを受け入れてしまったことが全ての発端だと考えているのかもしれない。
 もし、ボーダーの上層部を説得出来ていれば、鳩原さんが失踪することは無かったのではないか。上層部の説得に失敗してしまったせいで、鳩原さんは失踪し、鳩原さんは表向きの隊務規定違反という扱いになってしまったのではないか──組織という縦割りの世界で、下の者が上の者の決定を覆すことは基本的には出来ないのだから、二宮くん一人でどうにかなるものではない。そもそも、上層部の説得ができるかどうかと、鳩原さんが失踪してしまったことは別件である。しかしながら、二宮くんにとっては、上層部の説得が出来なかったことと、鳩原さんの失踪の二件は地続きの問題で、根本の原因は自分の失態だと考えているのであれば、自分の足を動かして部下の汚名を返上するための切欠を探そうとするのは、彼の性格を思えば当たり前のことなのだろう。
 二宮くんは、実力に裏打ちされた高い自尊心を持っている。そんな彼が、自分の失態で他人の名誉が傷つけられることを良しとするわけが無い。鳩原さんがもし、誰かに唆されていたのであればよかった。そうであるならば、鳩原さんは彼女の弱いところに漬け込まれてしまった結果、隊務規定違反を犯してしまった被害者であれたのにと、そう思ってしまう。しかしながら、それは潰えてしまった。二宮くんの口から"取引をした"と言う言葉が出てきてしまったと言うことは、鳩原さんが能動的に隊務規定違反を犯してしまったことに他ならない。
 わたしは、恐る恐る二宮くんの方を見た。二宮くんは、窓の外を向いていて、直接彼の表情を見ることは出来なかったが、ドアガラスに反射して映っていた二宮くんの表情は、ひどく険しいものであった。
 
「ごめん」
「なんだ」
「……あまり、気の利いたことが言えなくて」

 わたしにはやっぱり、隊というものはあまり向いていないように思う。特に隊長というものは二宮くんのことを見れば、余計に難しく感じてしまう。わたしは、二宮くんのように人に対して傾けられる情熱をたぶん、持ち合わせていない。きっと二宮くんと同じ目に遭ったら、早々に諦めているに違いないだろう。二宮くんは少し、わかりにくいところはあるし素直ではないけれど、彼は部下のことをとても大切にしている人だと思う。わたしは、自分のことで精いっぱいで、ほかの人に気を回す余裕が無いので出来そうにない。二宮くんは、大袈裟にため息をついて、わたしのほうを向いた。先ほどまでの険しい表情はもう、何処かへと消えていて、今はもうわたしというどうにも気を遣えない人間を呆れたような顔をして見ているだけである。

「俺への気遣いはいらない」

二宮くんはそう言って、車に備え付けられたカーナビを慣れた手つきで操作し始めた。画面に触れるたびに、場違いなほどに軽快なタッチ音が車内に響く。「……お節介だと言いたいわけじゃない」二宮くんは、彼の言葉に補足するように、そう言った。

「少し遠くでもいいか」
「いいよ」

二宮くんが入力していたのは、隣の市にある定食屋のチェーン店の名前だった。三門市にもこの店はあるのだが、この後に用事があるわけでもないので、遠出をしたいという二宮くんの言う通りにしようと思う。隣の市といえども、最短ルートで行けば、二十分もかからない程度の距離であったが、わたしは、二宮くんが店への最短ルートを選択するまえに、一番遠回りのルートを選択した。到着予定時刻は今から四十分後だった。二宮くんが、わたしの顔を見て口を開く。

「遠回りだぞ」
「わたしが遠回りしたいんだよ」
「……悪いな」
「いいよ」

わたしは、止めたままの車のギアを入れる。パーキングからニュートラルを経てドライブモードへ、踏んでいたブレーキから足を放すまえに、ちらりと二宮くんの顔を盗み見た。二宮くんは、窓の外のほうへと視線を戻し、何か考え込むようなそぶりを見せていた。わたしは、彼に話しかけることをしなかった。彼はきっと、自分自身のこと、それから失踪した彼女のこと、そして今日、玉狛支部で聞いてきただろう話の全てを思い出しながら、物思いに耽っている。もしかしたら、彼の中でまだうまく整理の付いていない感情を、ゆっくりと整理しているのかもしれない。

みょうじ

赤信号で車を停車させたときに、二宮くんが、わたしの名前を呼んだ。反射的に、二宮くんの方を向いてしまいそうになったが、先ほど叱られたことを思い出して、頭の向きは正面を向いたまま、返事をした。

「なに」
「ありがとう」

二宮くんは短くわたしにお礼を言った。わたしは、改まってお礼を言われるとなんだか照れるなと思いながら、「うん」とだけ返した。この車が目的地にたどり着くまでに、二宮くんのなかでうまく折り合いが付くといいなあ、と祈りながら、わたしは青信号を合図に、アクセルペダルをを踏んだ。
2019-12-28