小説

とこしえの夏

 溶けたアイスキャンディが手首を伝う。「溶けてるよ」「……ほんとだ」「汚いなあ」わたしが口の中で味付きの氷の塊を溶かしながら食べている間にも、それは下の方から溶け始めていたらしい。まだ、食べ始めてそう時間は経っていないはずなのに、そう思ったところで溶けてしまったアイスキャンディは再び固まることも無ければ、伝ってしまったものは戻ってくることもないので、ただただ後悔するばかりである。この暑い中、わたしの腕が掴まれる。澄晴の手は、わたしの手よりもずっと冷たいせいなのか、汗をかいているせいなのか、わたしの手首よりほんの少しだけ、ぬるい。
 花びらが散って葉が顔を出したと思えば、夏はすぐであった。蝉の鳴き声がひっきりなしに聞こえるだけでも暑くなるというのに、わたしはわざわざ照りつけるような日光が当たる縁側に出てアイスキャンディを食べるのだから始末に負えない。この、炎天下の昼下がり、太陽がちょうど天辺を通り過ぎた後、これ以上ないほどに暖められた気温がわたしたちを襲っているというのにも関わらず、わたしと澄晴は近い距離に居た。

なまえちゃん、暑くないの」
「見たらわかるでしょ、暑いに決まってるじゃん」
「それなのに外でアイス食べるんだもんね」
「リベンジだよリベンジ」
「いつも果たせないのにご苦労さま」
「うるさい、今度こそ」

 毎度、こうしてアイスキャンディの棒の部分を伝ってアイスがわたしの手首の上を、砂糖をたくさん混ぜた色付きのシロップへとすがたを変えて筋を描いてゆくのを見るたびに、次はもう少し早く食べようと思うのであるが、次回の時になってしまえば今回の決意のことなどとうにわすれて、同じ失敗を繰り返すのである。今回も、袋を開けるときまでは今度こそ溶ける前に食べてしまおうと意気込んでいたのにも関わらず、気温が高すぎるせいなのか、わたしが食べるのが遅すぎるせいなのか、今回もまたリベンジは果たせなかった。急いで口に入れようと思ったこともないわけではないが、頑張って口に入れたときにわたしの脳天を突くような痛みを伴う冷たさに襲われて結局、次の一口を食べようとしたころには、溶けたアイスはわたしの手首をとろとろと伝っていたことがあったので、もうどうして良いのか分からなくなったことをふと、思い出した。その時も澄晴は、わたしの手首を色付きのシロップが伝うのを見て「汚いなあ」とからかうように言っていたし、なんなら、わたしの手首を握って(もちろん、アイスが伝っているところは避けて握るのである)、シロップに変わりつつあるアイスキャンディの底の方に赤い舌を這わせて、器用にわたしのアイスキャンディをしたの方から舐めるかと思いきや、ぐずぐずになった箇所を器用に食べてしまうのである。「ほら、頑張って」そうして、まだ溶けだす前のアイスキャンディだけを残して、わたしにもどしてくる。だから、わたしがアイスキャンディを一本、澄晴の前で食べようとするときに一本まるまる一人で食べきることはあまり、ない。

「自分で買いなよ」
「だってなまえちゃんのがそうなるってわかってるから別にいいかなって」
「ええ……」
「だいだい、二つも食べたらおなか壊すよ。おれのお腹はなまえちゃんほど強くないからさ。デリケートなんだよね」
「失礼なやつだな」

そもそも、わたしのやつまでカウントするんじゃないよ、と言う話だ。そうして、軽口を言い合うのもわたしたちの間ではよくあることであった。澄晴は、わたしがアイスキャンディを食べているときを狙ったかのように、わたしの家の縁側の前を通りかかっては、「なまえちゃん」とわたしの名前を呼んで、お邪魔しますの挨拶もいいところに人好きの笑みを浮かべて、わたしの家の敷地に入ってはわたしの傍に寄るのである。彼の人好きの笑みは見る人が見れば、人懐こく可愛げのあるものに見えるようであるが、アイスキャンディと格闘しているわたしのまなこには、その人らと同じようには映らなかった。わたしの食べるアイスキャンディの下のほう、底辺の両角のあたりを見る澄晴の表情は、アイスキャンディを狙う鷹かハイエナか、そのようなところだった。……鷹もハイエナも、きっとアイスキャンディを食べることは無いのだろうが、あくまで物のたとえである。澄晴はわたしのアイスを、大きな口で食べた後に、不貞腐れるわたしの顔を見て、あの人好きの笑みを崩さないままに「ごめん」と全く悪びれた様子もなく口先だけの謝罪を述べるのである。

「食べるのが遅いならカップのほうにしたらいいのに」
「アイスキャンディが食べたかったんだよ」
「食べるのへたくそなのに?学習しないね」

 うるさいな、と悪態をついたところどこ吹く風といった表情で、わたしの手首を伝う橙色のアイスキャンディだったものの筋を見ている。「もったいないなあ」 相変わらずなまえちゃんはアイス食べるの下手なんだねと、澄晴はわたしの家に上がり込んで、リビングの方へと出て行った。勝手知ったるなんとやら、澄晴の家とわたしの家はそこそこに交流があるせいで、わたしの家のことは澄晴も良く知っているし、逆もまた然りである。向こうの部屋の母親への挨拶をした後に、澄晴はまた縁側へと戻ってきた。「ほら」澄晴はわたしに箱ティッシュを投げてよこした。箱ごと投げて寄越したのを片手で受け取れるわけもなく、わたしの指先に当たったティッシュの箱は派手な音を立てて床に転がる。澄晴は床に転がった箱ティッシュを見て「あーあ」とわざとらしく言って見せた。そうして、床に転がった箱ティッシュを拾い上げて、わたしの空いている手のそばへと置く。

「へたくそだなあ」
「無理に決まってるでしょ」
「案外行けるかと思ったけど」
「そんなに器用じゃないの」
「知ってる」

澄晴からもらったティッシュで手首を拭いた。溶けたアイスキャンディの伝ったところだけがやたらとべたべたしている。「ウエットティッシュが良かった」「手洗ってきたほうが早いよ」「そうする」わたしは食べかけのアイスキャンディを澄晴に渡し、洗面所へと急ぐ。「早く戻ってこないと無くなるよ」そう言う澄晴の声が、わたしの背へと掛けられた。

「残して置いてほしいなら早くしなよ」
「結局食べるのかよ」

 結局、わたしが手を洗って戻ってくる頃には、わたしが食べていたアイスキャンディは、見事に一本の骨にされていたのである。「遅いからさあ」「意地悪」「ごめんて」わたしが先ほどまで格闘していた氷の部分の顔などどこにもない。澄晴の、わたしよりも大きな口であれば、あのアイスも一瞬であの口の中で溶けてなくなるのだろうか。

「頭痛くならないの?」
「ならない」
「いいなあ」
「そう?」

 そしたら、溶ける前に一人で食べれるでしょ、と澄晴の顔を、食われたアイスの恨みも込めてジッと見てやった。「根に持ってる?」「うん」「あのまま待っててもおれの手か床に落ちるだけだったしさ、これで勘弁してよ」澄晴はそう言って、骨になってしまったアイスの残骸を、わたしに投げてよこした。アイスキャンディの棒は、アイスキャンディの砂糖でべたついている。わたしが食べている時に持ち手の部分までべたべたにしてしまったせいで、棒のどこを触っても全体的にべたべたしているのが気持ちが悪かった。先ほど手を洗ってきたばかりなのに、棒きれを触った指先がどうも気持ち悪い。「澄晴!」そう、彼の名を呼べど、「怒らない怒らない」澄晴は相変わらず人好きの顔をしてへらへらと笑っているだけであった。

「ごみ渡さないでよ」
「ちゃんと見て」
「わ、あたりだ」
「もう一回いけるじゃん」
「澄晴おなか壊しても知らないよ」

なんでおれも食べる前提なのさ、と澄晴はそう言って笑った。たしかに、澄晴も食べる前提で話をしてしまったが、これはわたしのアイスキャンディなのだから、わたしが食べるものである。「……今度はあげない」「なまえちゃんが溶ける前に食べればいいだけだよ」「たしかに」アイスキャンディのあたりの棒を握りしめた。すでに、手がベタベタなのもすっかり忘れてしまうほどには、アイスキャンディを溶ける前に食べきるということへの挑戦のことで頭がいっぱいになっていた。「澄晴はやくして」「おれも行くの」「早く」「暑いからやだ」縁側の日陰から、刺すような日差しが差し込む外へ出ようとするのを渋る澄晴の手を握り、引きずるような形でわたしは炎天下の日差しのもとへと飛び出した。相変わらず、蝉は喧しく鳴いていて、いやになる程すがすがしい空には白い入道雲が浮いているような、なんの変哲もない夏の出来事である。それもこれも、随分と昔の話だ。


--
>joのお話は「溶けたアイスが手首を伝う」で始まり「もう随分昔の話だ」で終わります。
#こんなお話いかがですか(https://shindanmaker.com/804548)
0000-00-00