小説

クソ映画コレクション

「ひどいよね、調子が良いこと言っちゃってさあ」
「今度はなんだよ」
「教室でさあ、ヘラヘラ笑ってカワイイ子のお願いなら何でも聞くって言ったんだよ、犬飼くん。わたしのこと、カワイイって言ったくせに、わたしのお願いは聞いてくれないの。アイツ、逃げやがって」
「……災難だったな」
「荒船くんもそう思うでしょ。ちょっと聞いてよ、犬飼くんがさあ」

災難だったのは犬飼の方だろ、という余計なことを言わないというのは、みょうじという女との付き合いにおいては必須スキルと言っても過言ではない。唇を尖らせて、喧しく口を開いているみょうじの愚痴は、とにかく長い。そのうえ、理不尽である。みょうじの言う愚痴と言うのはほぼみょうじの方に問題がある理不尽極まり無い愚痴で、人の話を聞く前に勝手に判断するのは良くないことであるとは分かっていても、愚痴を言われている対象の犬飼のほうに、話を聞く前から同情してしまう。時折、力んで話すみょうじのせいで、みょうじの持っているナイロン袋が乱暴に揺れた。基地からも、みょうじの家からも最も近い場所にあるレンタルショップの、深い紺色をしたナイロンの袋は、みょうじ曰く"脱走した犬飼"の代打として己が招集された理由そのものである。「良く知ってる猛獣の面倒を見てくれない?」と犬飼から連絡がきたあたりでもう嫌な予感はしていた。この世の理不尽というものを煮詰めたみょうじの被害に遭うのは、専ら犬飼である。人の善意を遠慮しないで受け取るみょうじと、人当たりが良くたまに調子のよいことを言う犬飼の食い合わせがよく馴染むだけの話である。あまりに必死に頼み込む犬飼がかわいそうになってしまったので引き受けてしまった。今思えば、それが一番初めの失敗である。

『カッコいい犬飼くんってかわいい子のお願いなら何でも聞くのって本当?』って聞いたんだよ。そしたら犬飼くん、わたしの顔見てヘンな顔してさあ『うわ失敗した』って言うの。ひどいよね。だからわたし、聞き間違いかなって思って、もう一回聞いたんだよね。そしたらさあ、『うん、そうだね』っていうから、『わたし可愛いよね?』って聞いたの。犬飼くん、何も言わずに黙っちゃったから、『ねえ、かわいいよね』ってもう一回「いい、わかった。それ以上はもういい」「人の話は最後まで聞けって言われたことないのか?」「……悪い」「よろしい」……でさあ、犬飼くんがわたしのこと、可愛いって言ったんだよね。『うん、カワイイよ、おれの好みとはちょっと違うけど、カワイイと思う』って。

みょうじ知ってるか?ソレ脅迫っていうんだぞ」
「どこからどう見たら脅迫に見えるわけ、ハイって言ったのは犬飼くんなんだけど」
「お前のその質問答えそもそも一つ以外用意されてるか?」
「してるでしょ。わたしは可愛くないって言ったらダメって言ってないし」

……話それちゃった、それでさあ、ひどいんだよ。今日の午後からわたしと一緒に映画観るって言ったのにさあ、今日やっぱりダメって。仕方ないのは分かってるけどさあ、それでもむかつくよね。「災難だったな」「荒船くんそれしか言えないの?」「俺は帰ってもいいんだぞ」「ごめんなさい」「帰らないから腕を握るのをやめろ。結構痛い」「ごめん」本部の廊下、本日用事があるのは、エンジニアたちが詰めている部屋の方である。みょうじは、入り口から結構距離があるはずの目的地にたどり着くまでずっと、今日の犬飼の文句を言っていた。本部の廊下の、変わらぬ景色とみょうじの愚痴(愚痴というか、理不尽である)は少し似ていると思う。ただみょうじの愚痴と本部の廊下の違うところは、本部の廊下に地雷は埋まっていないが、みょうじの愚痴はみょうじに対する返答を間違えると炸裂するという所くらいだろう。

「今日は何を観るんだ」
「あの、三年くらい前に出た恋愛映画。荒船くんはあんまり観ないだろうから、初めて観ると思うけど」
「観たことあるか?」
「凄く好みの映画だった」
「成程な」


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本部のエンジニア室で、捕虜のトリオン兵を抱きながら、みょうじの双眸は、スクリーンにくぎ付けであった。一方己は、残念ながらみょうじとは感性があわなかった。思うに、みょうじの好む映画を好む感性を持つ人は、自分の知っているところではあまり、思いつかなかった。犬飼がみょうじの前で口を滑らせたときにヘンな顔をした理由は、みょうじの言うところの、『凄く好みの映画』というものを延々と観させられる苦痛をもう一度味わう羽目になることが想像に易かったからだと思う。そもそも、今日の犬飼は防衛任務を交代するというそれこそ重要な用事であったため、仕方ないことであった(だから、犬飼が一方的にみょうじとの約束を守らなかったという訳では決して無く、みょうじはそうは言うものの、犬飼の事情と言うものはそれなりに汲み取っているはずである。態度は伴わないが……)。己はたしかに、映画を好んで観るが、恋愛映画を観る機会はあまりなかった。恋愛映画を観るのであれば、恋愛映画を好む人を連れてきた方が良かったのではないかと思ったが(だからこそ、そういうのに付き合ってくれそうな選択肢が犬飼だったのだろう)、その犬飼の言うところの『猛獣の面倒を都合よく見れそうな人間』というのがたぶん、己だったのだろう。『みょうじちゃんの好きな映画ってだいたいつまらないからさあ、二時間退屈だと思うけど、ちゃんと映画観ないと怒りだすからね』たしかに、犬飼がそれを己に言ったときには映画を観ようと言って映画を観ない人が居たら腹も立つだろうとは思うが、確かに、感性の合わない映画をを観るのはなかなか苦痛であった。映画の画面を観るより、画面にかじりついているみょうじか、みょうじの腕の中ですっかり固まっているトリオン兵を見ている方が十分面白いとさえ思う。みょうじ曰く、『凄く好みの映画』、この映画はありきたりな恋愛映画であった。人の顔色を窺ってばかりの男と女が出会って、ある程度友情を育んだあと、満月の夜に、空に浮かぶ星や月を見上げて告白をする。そうして、指を絡めてデートに行くのも自然な関係になって、男と女の愛を阻む障害があって、そうして、最後は永遠の愛を約束してエンドロールが流れる。ありきたりな恋愛映画だからつまらない、という訳ではない。面白い映画は、たとえありがちな設定、ありがちな展開であったとしても面白い。ありきたりな展開、ありがちな設定という使い古された手法というものは、愛されるに足る理由があるのだ。だからこそ、愛されたありきたりな展開、ありがちな設定で構成されたこの映画が、これほどまでにつまらない理由というものが逆に気になって仕方が無かった。エンドロールが流れている間、みょうじの鼻を啜る音が聞こえた。例え、この映画が己の感性に合わなかったとしても、みょうじにとっては名作の一本なのである。

「その汚いのつけるなよ」エンドロールが終わった後、モニターが本来の明るさを戻した時に、トリオン兵が虫のような足を動かしながらそう言った。トリオン兵の軽口なぞ聞きもせずに、トリオン兵の固そうな表面に顔を擦り付けていた。「汚ねえやめろこのバカ」トリオン兵がガチャガチャと足を動かして抵抗するも、みょうじにはあまり効果が無かった。

「エネドラはどうだった?」
「ああいう男女の痒い話は好みじゃねえ」
「そっか、残念」
「だいたい、跡継ぎを生めればなんでもいいだろ。感情なんざ二の次だ」
「へえ、恋愛結婚はあんまりしないの?」
「知らねえ。する奴もいるんじゃないか」

みょうじは「そうなんだ」とトリオン兵の話に耳を傾けていた。「なんか、こっちとはやっぱり違うんだね」「星が違えば価値観も違うだろ」「そっかあ」みょうじは、せわしなく動くトリオン兵の足をつついては「あんまり触るな」と叱られていた。

「ねえ、荒船くんどうだった?」
「そうだな、……」

みょうじの好むこの映画というのは、言ってしまえば自分にとってはとてもつまらないものであった。「俺の好みではなかった」一番無難な回答がそれであった。「ふうん、どこがつまんないの」みょうじはそう、問うた。みょうじのまなこが、己の顔を覗き込むようにして見ている。あのトリオン兵は、恋愛映画が好みではないと言ったが、あの映画のことを詰まらない映画だとは言わなかった。

「この映画、昔の恋愛映画のコラージュ映画だろ」
「うん」

みょうじは、興味深そうな顔をして、己を見ていた。自分の好きな映画について散々文句を言われているに等しいというのに、それについて腹を立てるでもなく、ただ、純粋に、己に問うていた。

「あの告白のシーン、あったろ」
「あったね」
「だいたい、あのセリフ、元は有名文学から取ってきたものだし、それ以外でも、あのデートのシーンだって有名な恋愛映画屈指の名シーンだろ」
「おお、鋭い。荒船くん、結構恋愛映画観てるね?」
「有名どころだけな。で、だ。これは俺の好みの話だが、恋愛にしろ何にしろ、誰かの言った綺麗な言葉を並べたら良いってモノじゃないだろ」
「うんうん」
「だいたい、自分の言葉でもなく他人の言った言葉を使って自分の好意を表現しようとするのが気に入らねえ」
「……荒船くんってさあ」
「なんだよ」
「男前だね」

みょうじがそう、関心したような顔をしてそう言った。みょうじの腕の中のトリオン兵は、「分かんねえなァ」と前足を動かしていたが、向こうの星とこちらとでは、恋愛というもの自体随分と異なっているのだから仕方が無いことだろう。「ほら、宣戦布告して真正面から撃つのと奇襲とではちょっとカッコよさが違わない?」「やっぱりお前バカだろ、敵を倒すのが目的なのに自分から追い込まれに行くバカがどこに居るんだ」「……適切な例えが浮かばない」「バカの癖に猿知恵働かそうとするんじゃねえ」「ムカつく」みょうじは、腕の中のトリオン兵のボディを指でつついた。

「あの映画、やっぱり詰まらないって言われるんだけどね。あの映画の好きなところはね」

みょうじが、トリオン兵の足を指先で器用に持ち上げるように動かしながら口を開いた。「あの、最後の言葉が好きなんだ」「最後の?……ああ、男と女が結婚するところか?」「そう」みょうじは、まるで、気に入った小説の一文を本の頭から探しながら話すように、ゆっくりと口を開いた。

「最後のシーンの言葉だけは、元ネタが無いんだよ。あれだけがオリジナルなの。あの映画はコラージュ映画で、すべてのシーンに元ネタがあってね。有名な奴だけじゃなくて、あまり日本では流行らなかったものもあるんだよ。最後のあのシーン以外はすべて」

元ネタの一覧を上げるとキリがないんだけどさあ、と言いながらもみょうじは続ける。

「人の顔色を窺ってばかりの男が、好きな女の子に幻滅されたくないからって、彼が一番きれいだと思っているものをつぎはぎにして、好きな女の子の前でカッコいい自分で居ようとするんだよ。それで、女の子と付き合うのも、デートするのも。そして、紆余曲折あってはじめて、女の子の前で、カッコいい自分を見せなくてもいいんだって思うようになって、だから最後に彼が自分の言葉で女の子にプロポーズするの」

だから、この映画が好きなんだ、とみょうじは言った。「最後に、男の子は勇気と愛を得たんだ。ただ、もったいないよね。結局、男の子がどういう子かよくわからない映画になっちゃってるから、あのコラージュの意味を読み取ってもらえないし、映画の名シーンが最悪の継ぎ接ぎの形になってるからさあ、コラージュ映画と言ってもひど過ぎると思うし、そこさえ何とかなってたら絶対名作なのになあ」たしかに、みょうじにそう言われてみれば、思い当たるところはいくつかあるのだ。ただ、これを初見ですべて理解しろと言われれば、それは難しい話に違いない。

「これ、何回観たんだ」
「二十回くらい」
「最初から面白いと思っていたのか?」
「いや。最初は詰まらない映画だなって思って。ただ、なんで詰まらないんだろうって思ったら、結構好きだなって思うようになったんだよね。案外悪くないよ」

たしかに、一言趣味の合わない映画だと言ってしまえばそれまでのことなのだろうが、案外、自分と違うところで映画を観ている人と話してみれば、自分では思い当たらなかったところが見えてくるものだ。観ている間はあれほど苦痛で仕方が無かった懲役二時間も、今思えばそう悪く無かったのかもしれないと思う。「今度こそさあ、犬飼くんも連れて観ようよ。わたしが好きなやつ。絶対気に入ってくれると思う」「ああ、そうだな。また誘ってくれ」そうして、これが本日二度目となる己の失言であることを理解するのは、そう遠くない日のことである。
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