小説

二度撃ち

#復帰直後、隊結成前の話、人間が死ぬ

 息を殺す。トリオン体に心臓というものは存在しないが、もし、この肉体にも生身のからだと同じように、臓器があったのであれば、きっと今ごろ、心臓の音を耳障りに思っていたのだろう。待つことは、あまり得意ではない。だから、どうにも狙撃というものが向いていないように思う。待つくらいであれば、わたしは今すぐにでも、持っている狙撃銃を投げ捨てて目の前で動いている敵を弧月で斬りつけてトリオン体の換装を解いたあとに、蹴りを入れて昏倒させることを選びたかった。わたしの隠れている場所から七百メートル先の場所に、"敵"は居た。人数はひとりで、それ以外の姿はこのあたり数十キロ圏内には視えていない。敵が、こちらに気づいて増援が呼んだとしても、テレポートが出来るトリガーでも持っていない限り、こちらが撤収するまでの時間くらいならば十分にあるだろう。狙撃銃のスコープを覗く。スコープの中に見える"敵"は、顔まで、はっきりと見えた。精悍な顔立ちをした、二十代くらいの年齢に見える男だった。あの男の命を、わたしは今握っている。上から攻撃の号令が下りれば、わたしはあの男を撃たねばならない。
 この国は、戦争をしている。正しくは、この国も、戦争をしている。わたしの故郷の人たちが言うところの近界の国々を転々として、流れ着く国はどこもかしこも戦争をしていた。混乱する状況というものは、わたしのような流れ者には都合が良い。どさくさに紛れて国に自然に溶け込むのも、国から国へと移動するのも、楽に行えるからだ。わたしのトリオン能力と目は、戦場に於いては便利なものである。どの国においてもわたし自身が信頼されることは無くとも、能力だけは高く買われた。兵士という立場は、最低でも食い扶持は保証されるので、状況はどうあれ、飢え死にの心配をする必要が無いことが良かった。悠一がわたしの死を予知していなかったのだから、この場で死ぬことは無いだろうという確信も、どこかしら心の中にあった。三番目の国に流れ着くころには、おおよそ二年と半年が過ぎていた。年齢は、十八になるかならないかのころのことであった。
 この国でも、わたしという異邦人──ただ、支給された武器を、その通りに使うことしか許されない立場の人間である──が、兵士としてまともに"使える"と判断されるまでは、何でもやる必要があった。たとえそれが、自分の意にそぐわないことであったとしても、わたしのなかの善悪の基準が悪だと認識することであったとしても、その通りにしなければならないのであれば、そうした。わたしに狙撃は向かないと、そうそうに誰かが見切りをつけてこんな狙撃銃など取り上げてくれればよいが、と思ったところで、手元の武器は狙撃銃のままで、わたしのやりたいことは出来そうになかった。「構え」引き金に指を掛ける。このまま引いてしまえば、わたしのトリオンで出来た弾が打ち出されて、スコープの先にいる敵──顔を見知ってしまった男である──の脳髄を吹き飛ばすのだろう。わたしは、二度引き金を引くことを考える。一発目で換装を解かせて、二発目でとどめを刺す。出来れば、撃たずに居られれば良いが。
 スコープを覗きながら、気を紛らわせるために、わたしは少しばかり昔のことを思い出す。わたしの帰りたい故郷のことだ。夜眠るときに敵の襲撃のことを考えずともよく、味方に撃たれる心配をしなくても良い。背中を預けられる人間が居る場所というものが、どれだけ良いものかを、わたしは身をもって知った。昔のことを思い出して、今のことを嘆くような暇はもう無いのであるが、つめたい引き金の感触を忘れることができるのであれば、楽しいことでなく、悲しいことであっても、さみしいという気持ちを覚えることであったとしても、もう何でもよかった。「撃て」号令が出た瞬間に、引き金を一度引いた。スコープの中に見えていた人間の頭に当たった弾丸は、敵のトリオン体の換装を解かせるには十分であった。彼が、助けを求めようとする前に、装填してもう一発撃つ。彼は、頭から血を流してその場に倒れてしまった。スコープ越しに、男が絶命する瞬間を見る。生気の在った目が、生を失った瞬間に色がなくなってしまうこと、眼球の焦点が、倒れ行く肉体の方向と違う方向を向いていること。肉体が重力に従って倒れ行くまでの時間は、ほんの数秒にも満たない筈であるのにも関わらず、わたしの目には時間が矢鱈と長く感じられた。「命中」「撤退」「はい」敵は、わたしの撃った弾丸に命を奪われて死んだ。せめて、痛みを感じる前に死ねたのであれば、良いが。

「撃たないんですか」

 ランク戦が行われている間の訓練室は、人が少ないところが良かった。わたしは、隊を組んでいないから自分の作戦室というものを持っていない。訓練するのであれば、支部の訓練室か、本部の訓練室を借りるしかなかった。訓練室のブースで、銃を握る。拳銃も、突撃銃も、スナイパーライフルも、銃の形をした武器に備わっている引き金は重いと思う。的に向って拳銃を構える。利き手でグリップを握り、もう片方の手で武器を支え、射撃の構えを取る。拳銃の銃口は、人の形を模した黒い的に向けられている。引き金に掛ける人差し指の感覚にどうも、違和感がある。指先に上手く力が入らない。黒い的は変わらずそこにあった。あの的は、わたしに向って攻撃をしてくることは無い。人の顔をくっつけて、こちらを見ることもしない。ただ、そこに在るだけだった。拳銃の照準の中央に、的のちょうどド真ん中の部分が入っている。照準に問題は無い。ただ、引き金を引くことができなかった。構えてから一発撃つまでの動作が、わたしひとりでは出来ないのだ。引けない引き金に、自然と口からため息が出る。ホルスターに一度、銃を片づけ、深呼吸をして再びその構えを取る。同じ動作をしたところで、引き金が引けないことには変わりなかった。

「……京介くん」

 銃は苦手だった。引き金を引くときに、顔だけを知っている知らぬ男のことを思い出すからだった。照準の先が、ひとの形をしていようが、的の形をしていようがそれは変わりなかった。この組織の銃型の武器で、人は死なない。生身の人間に当たったところで、人の命は失われたりはしないのに、どうしてもあの男の脳髄が吹き飛んで絶命してしまったときのことが頭にちらついてしまう。男の焦点の合わぬ、生気を失ってしまった目や、一発目が当たって、二発目が命中したときの男の顔の微細な表情の変化、崩れる肉体と合わぬ焦点の気味悪さいうものが、わたしの頭にはずっと、染みついている。スコープを覗くたびに、知らぬ男の顔と、知らぬ男の死にざまを思い出しては、自分の意思で引き金を引こうとするわたしの指を止めてしまう。わたしは、自分の意思で引き金を引けないことを誰にも知られたくなかった。だから、支部で銃を持つことをしなかった。当然、本部でも、人が居る時間に銃を持つことは無かった。兵士の癖に引き金を引けないということなど、弱点以外の何物でもなく、人に知られたところで良いことなど何一つ無い。

「お久しぶりです」
「ランク戦、今日やってたの?」
「いえ、今日は無いですよ。俺は本部に用事があっただけです。なまえさんは練習ですか」
「試し撃ちに。わたしの知らないトリガー、結構あるから」
なまえさんが銃持ってるところ初めて見ました」
「そう?」

「はい」支部で銃を持ったことが無いのだから、彼が知らないのは当然だろう。京介くんは、モニターに表示されたわたしの点数を眺めていた。点数は、ゼロのままから動いていない。一度も引き金を引いていないのだから、点数が動くことも、撃った回数が表示されることもないのは当たり前である。ただ、わたしがここにいる前と後とで変わったことは、わたしがこのブースに入ってからの経過時刻だけである。「撃たないんですか」京介は、そうわたしに再び問うた。わたしは、その問いに答えなかった。

「京介くん、お願いが」
「なんですか」
「射撃命令を出して」
「……『撃て』」

引き金を二度、引いた。的に向って飛んだトリオンで出来た弾丸は、狙った的の中央に一つの穴をあけた。精度に問題は無かった。「撃てたんですね」「……銃トリガーの照準機能、よくできている」「俺もそう思います」的の距離を、五メートル後ろに下げる。拳銃での射程は、このあたりが限界だった。「もう一度、お願い」「はい」京介くんの出す射撃命令に従って、引き金を更にもう二回、引いた。自分の意思で引き金を引けないくせに、射撃命令を出されてしまえば、命令に従わなければならないことを学習している自身の肉体の方が、わたしの脳裏にちらつく男の顔なぞ関係なしに勝手に引き金を引いてしまう。的に空いた穴の数は変わらなかった。

「やっぱりわたし、銃向いてないみたい」
「そうですか」

彼が聡明だからただ、そうしなかっただけなのかも知れないが、京介くんが深く突っ込んだことを聞いてこなかったのは、幸いだった。「武器の種類は結構あるんで、使いやすいのを使えばいいと思いますよ」「たしかに、そうだね」詳しいことを聞かれたところで、うまくこたえられる自信がわたしには無かった。なぜならば、これはわたしが生きるために負ったわたしだけの苦しみで、人に共有し、背負わせるものでは無いのだから。
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