小説

おおむね良好

#戻ってくる時期が少し早かったら、のもしもの話。
#少し原作沿い

 復帰早々に忙しいなどと文句を言っている場合ではなかった。本来ならば、警戒区域内に誘導されるはずの門が、警戒区域外に発生することが頻発している。ようやく、本部規格のトリガーにも慣れてきたばかりだというのに、わたしの状況なぞ関係なく近界民は日々、このまちに現れる。夕方からのシフトの子と交代する間際のころに、本部からの通信が飛んできた。完全に私情であるが、今日くらいは警戒区域ないでゆっくり対応できれば良かったのであるが、どうやらそうもいかないようであった。今日もまた、警戒区域外に出現したという門のある場所に向けて、わたしは走った。

「……地形データ、敵の数、種類、解析を」
『あっ、は、はい。い、いま』
「落ち着いて、時間はまだあるから」

わたしは復帰後、すぐに忍田さんの依頼により本部で隊を編成した。所属は玉狛支部となるはずであるが、隊を組んでいる間は、本部の忍田さん直下に付くことになったので、現状、本部所属の人間であると言っても過言ではない。隊員の力の底上げという名目と、わたしが現在のボーダーという組織に慣れるためという理由での配置であった。隊員の選択権を得たわたしは、未だチームを組んでいないがチームを組むことを希望しているB級隊員の情報一覧から、B級になりたての隊員の中でもC級の上位者には倒されてしまうだろうと思われる人、それから、隊への所属を希望しているがスキルが見合わないオペレータを無作為に選ぼうと考えていた。手始めに、オペレータと二人で組んで、ある程度オペレータを育ててから戦闘員を選ぼうとしているのであるが、戦闘員を選ぶのはまだ、随分と先になりそうだと思う。わたしが選んだオペレータと、戦闘員候補の能力値一覧を見た悠一が呆れたような顔をしていたのは記憶に新しい。

「どういう基準で選んだの」
「能力順で下から数えた方が早くて師匠が未だ見つかってない人」
なまえさん育成でもするの?」
「そうだね。わたしは育成、上手じゃないから……振り落とされなければ良いけど」

悠一の所に弟子入りしている身でありながら恐縮ですが、と言えば、悠一は一層苦い顔をして、「もういいでしょ、それ」と言った。「ごめん」「いいよ」「ということは、なまえさんはしばらく本部に居るの?」そう、悠一が問うた。

「そうだね。寂しい?」
「まあ、少しは」
「そう」
なまえさんはドライだね」
「そう?」
「うん。小南も寂しがるよ」
「別に、もう二度と会えないわけじゃないんだから大袈裟すぎるよ」
「どうだろう」
「サイドエフェクトは?」
「何も言ってないよ」

なら問題ないね、と言えば悠一は苦笑した。「たまには玉狛に遊びにきてよ」「気が向いたらね」「部屋、そのままにしとくから」「ありがとう。足りなくなったら使っていいよ」「足りなくなること無いから大丈夫だよ」「そう」そう言ったのがつい先日のことだというのに、今日この場に悠一がいるということは、たぶんこうなることを視ていたのかもしれない。または、この特異な状態の原因を知る機会がわたしの居る場所の近くで、近いうちに起こるかのどちらかなのだろう。

「応援?」
「いや。なまえさん一人で十分でしょ。おれはなにもしないよ」
「そう」

モールモッドを目の前にしている状態で、わたしはオペレータからの情報を待つ。『敵はモールモッド一体、場所は三門市立第一高等学校、地形データ表示します』通信を通して聞こえる声が、彼の緊張をより強く伝えてくる。「ありがとう」わたしは深く息を吸い込んだ。トリオン体でできた肉体、この肉体での呼吸は、むなしい。生身の肉体であるならば、肺に入り込んでくるだろう冷たい空気のことを恋しく思いながら、弧月の柄を握る。「悠一にも共有してくれる?」『え、えっと』「迅。玉狛支部の。すぐ目の前にいる」『ええっ、迅さん?あっ、はい』「悪いね」視界に映された地図にはトリオン兵の位置が表示されている。校庭側に居るだけまだマシか。授業時間の真っただ中と言うことで、校舎には多くの生徒が未だ残っている。「なかなか緊張してるね」「今までの中では一番上手だよ」悠一が、個人回線経由でわたしの隊のオペレータについてそう言った。未だ、至らないところはあるが、通信機片手に機械操作が追い付かずに通信機の前で黙ってしまっていたころよりは随分と、手慣れてきたものだと思う。「なまえさん、結構頑張ってるんだね」「彼が頑張ってくれてるから。実戦は今回が初めて」「へえ」高校生のボーダー隊員らが一般人の避難誘導を行っているお陰か、校庭に人のすがたは視えなかった。『出来れば損傷を抑えた状態で鹵獲したいとのことです』通信機越しに伝わるオペレータの声は、普段よりもずっと硬い。彼は、今回が初めての実戦である。「過去の戦闘データから、対象の弱点箇所を出してもらえる?」『は、はい。ただいま……』「ありがとう」「おれの方も見えてるよ」自動車程度の大きさのちょうど真ん中、口を模した場所の中に、目がある。モールモッドの目に、赤のマーカーが打たれた。

「実践兼ねた育成って、なまえさんみたく良い眼を持ってる方が都合良いしね」
「そうだね」

わたしにとって視えているものが、誰の目にも見えるものになるまでの間にも、モールモッドの鋭い刃を模した足が、わたしの居る場所を執拗に切り刻もうと飛んでくる。斬撃をかわしながらも、モールモッドが校舎の方に行かないように誘導する。ちょうど、校庭の真ん中にモールモッドを釣る形で寄せられたのは良かった。この時ばかりは、わたしのトリオンに引かれたトリオン兵が、真っ先にこちらへとやってくるため、自分のトリオン量がそれなりにあって良かったと思う。オペレータの彼が一連の作業を終えるまでは囮に徹することにしていたのであるが、もうその役目も不要になった。出来れば、これをもう少し短い時間で行えれば良いと思うが、それを今の彼に求めるのは酷だろう。初めのうちは少しずつ、出来ることを増やしていくしかない。「回収班、もう呼んでいいよ」わたしのかわりに悠一がそう、言った。『はい?でもまだ……』「なまえさん、もう終わるから」

「戦闘に入ります」

抜刀し、腰を低く落とす。モールモッドの足の斬撃がわたしに向ってくるときの予備動作、モールモッドの前足が上に振り上げられた瞬間に、地面を蹴った。砂埃が大きく舞うのを無視し、モールモッドの前足の関節の内側の方へと回り込む。振り上げられた足が、わたしが立っていた場所、つまり、いまはもう誰も居ないグラウンドの砂へと突き立てられ、更に砂埃が舞った。視界は真っ白い砂埃で遮られているが、わたしにはあまり関係のないことである。わたしには、物の形と熱のあるものが良く"視える"。目に集中すれば、数十キロメートル先までは物の形と熱源を視ることができる。この目が、悠一がいうところのわたしの"便利な目"であった。言ってしまえば、オペレータの支援の殆どはこの"便利な目"で補うことができるので、オペレータの支援がなくとも、戦闘行動自体は問題なく行える。砂塵が舞おうが、わたしの"目"の前ではさしたる影響は無い。「視覚支援」『はい!』モールモッドの足が、砂にとらわれている間に、足の下をすり抜けてモールモッドの弱点である目に向って弧月を刺した。わたしが弧月の刃先を急所に滑り込ませるのと、モールモッドの瞼が閉じるのは殆ど同じであったが、わずかにわたしの弧月の剣先が、瞼に挟まれて動かせなくなるよりも早くに目を貫いた。急所を貫く感覚、肉や金属に刺すというよりは、木材やプラスチックのような少し柔らかめの素材に向って刃を立てたような感覚が、トリオンでできた肉体に伝わる。眼からトリオンを漏らすモールモッドが、足を折り、豪快な音を立てて地面に伏せるときに、漸く視界の砂が晴れた。目を貫かれたモールモッドは、もう二度と立つことは無い。

「終わりました」
『えっ。ああ、呼びました……』
「ははは、お疲れ」
「ありがとう。回収班に引き渡して本部に戻ります」

回収班がトリオン兵を回収してゆくのを見送った。このあと、あのモールモッドは解析に回されるのだろう。あのトリオン兵から、ここ最近発生している厄介ごとの正体がつかめれば良いが、とは思うが、悠一があのトリオン兵を見た後に何も言わなかったあたり、手がかりにもならなかった可能性の方が高い。

「原因はまだ?」
「警戒区域外に出てくるトリオン兵の話?」
「そう」
「残念ながら。それに、おれがここに来ても来なくても、分からなかったよ」
「へえ。なんできたの」

そう問えば、悠一は「おれが来たらまずかった?」と逆に質問を返してきた。「いいえ」そう言えば、悠一はすこしばかり考え込むような顔をして、都合の良い理由でも思いついたのか、楽しそうに笑って見せて口を開いた。

「……自称お弟子さんの成長でも見に?」
「言うねえ」
なまえさんもよく言うんだから許してよ」

悠一は楽しそうに笑って言った。「じゃあ、おれは行くところがあるからさ、なまえさんもがんばってね」と言って片手を上げて、わたしの向かう方向とは逆の方へと姿を消してしまった。

『交代が来ました。みょうじさんはそのまま本部に向って良いそうです』
「引き継ぎは?」
『あっ、わ、引き継ぎします。えっと、……』
「モールモッドの数と、今日倒したトリオン兵の座標地点と数を相手のオペレータに伝えて。データを送れば大丈夫。わたしも次の隊長に連絡して戻ります」
『はい!』

オペレータの彼が、報告を次の防衛チームに伝えている間に、わたしも次の隊の隊長へと引き継ぎを行う。次の隊長からの簡潔な返答を以って、引き継ぎを完了したわたしは、本部へ報告を上げるために本部へと向かう。冬の太陽は、沈むのが早い。こうしている間にも、太陽は西の地平に半分、顔を隠していた。
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