小説

懺悔Ⅰ

一人で支部から出て行こうとするなまえさんの後姿を見かけたのは、起きるタイミングが彼女が出かけるタイミングと上手く重なったからであった。「なまえさん、ちょっと待って」と言えば、玄関先でなまえさんは振り返って起き抜けの己の顔を見て居た。

「おはよう。悠一も出かけるの?」
「いや。ついていったらダメ?」
「いいけど、面白くないよ」
「ただなまえさんと出かけたいだけだよ」
「そう」

 待っててよ、と言えば彼女は待ってるよ、と返答した。「急がなくていいから」とそうなまえさんは言うが、どうも急がなければならないような気がしてならない。それが、彼女に「待って」と言ったときに己の声を無視して勝手に然様ならを言って船から飛び出してしまった彼女の姿がどうも重なってしまうからなのだろうか(もう、ここには船もなく、近界でもなんでもないのにも関わらず、なぜか焦燥に駆られてしまうのである)。己が大急ぎで準備するまでの間の十分程度の間、なまえさんはスカートの裾で遊びながら時間を潰しているようであった。
 
「まだ寝ぐせ残ってるよ」
「レイジさんにも言われた」
「直してきなよ、置いていかないから」
「……分かった」

 なまえさんが三門市に戻ってきたこと、ボーダーに籍がまだ残っていたことから、なまえさんは一時的に玉狛支部に身を置くことになっている。これから、現在のボーダーに復帰するかどうかを彼女が決めることになる。三門市に来るまでに前に勤めていた先を退職して出てきたのだというから、生活基盤を早くに作りたいなまえさんと、戦力としてなまえさんが欲しいボーダーとの利害関係は見事に一致している。未来を見ずとも、一時措置とはいえ支部に身を置きつつも訓練室でひとり訓練をしている姿を見る限り、彼女はきっとそのまま復帰するのだろう。このあと、彼女が旧ボーダーを色濃く残す玉狛支部の所属になるのか、本部の所属になるのかまでは未来視を持ってしても分からない。どちらに転がっても悪いことにならないことだけは確かだ。

「忍田さんに会った?」
「会ったよ。復帰を前向きに考えて欲しいって」
なまえさんが来てくれるならおれもうれしいよ」
「昔と今は違うでしょう。随分変わっているだろうから足を引っ張るだけじゃない?」
「そうかなあ、案外何とかなるんじゃない」
「そうかな?」
「うん」
「サイドエフェクトは?」
「何も言ってないけど、何となく」
「結構いい加減」

なまえさんはそう言って笑った。「悠一が師匠になってくれるみたいだし、確かに問題ないかも」「その話まだするの?」「言い出したのは悠一でしょ」「まあね」本日は晴天。北風は随分と冷たいが、服を着ていれば特に支障は無いだろう。なまえさんは、白いワンピースを着ていた。今日は風が少しあるから、帽子は被らないのだという。こっちに戻って来た時に、彼女を助けてくれた老婆から貰ったワンピースと帽子を、なまえさんはたいそう気に入っている。親切にしてもらえて嬉しかったことを思い出すのだという。それにしても、上着を着ているとはいえ、夏に着ると良く映えそうなスカートを冬に見るとこちらも寒くなるものである。
 
なまえさん、寒くないの?」
「あまり。歩いたら暖かくなるから問題ないよ。悠一は寒い?」
「寒いよ」
「マフラーでも巻くかコートでも着たら?」
「そこまですると歩いたら暑くなるじゃん」
「確かに」

 目的地は、彼女と五年ぶりに会ったあの共同墓地だ。寒いから車を出すと言ったのに、彼女は寒くてもあの道を歩いて行くことも楽しみの一つであるからと車に乗らずに徒歩で行くのだという。それならばと、なまえさんが持っていた手桶と柄杓を彼女のかわりに持って、なまえさんの隣を歩く。最後にあったころには彼女とそう身長が変わらなかったのに、今では彼女の頭の天辺が見える。

「悠一、大きいね」
「二十センチくらいは伸びたかも」
「……わたしは伸びなかったよ。この間桐絵に高校の制服あげる前にちょっと着たら袖が余ってちょっとショックだった」
「着たのあれ」
「……ちょっともったいないなって思って。もう着ないよ」
「見せてよ」
「嫌だよ。あれは桐絵とわたしだけの秘密だからダメ」
「女の子の秘密ってやつだ」
「そうともいう」

 普段の癖で、共同墓地へと向かう道のりの途中にある、小さな花屋に足が向いた。「買うの?」と問うなまえさんの声に被さるように、「いらっしゃいませ」と「お兄さんこの間ぶりですね」という花屋の店員さんの声が聞こえる。なまえさんはこういう場所に来ないせいか、狭い花屋の中に置かれている花の群れに圧倒されているようであった。「悠一が花?」「まあ、そう」なまえさんは、墓の掃除に行けど花を置く人で無かったことを今更ながら思い出した。なまえさんは片仮名で書かれた花の名前を一つずつ見ては首を傾げている。なまえさんは似たような武器は片仮名の名前でうまく区別をするのにも関わらず、草花となった途端に随分と難易度があがってしまうらしい。もしかしたら、食べれるものと食べられないものとで大別している可能性すらあるが、それをこの場で問うのはどうも格好がつかないので、なまえさんが黙っていることをいいことに触れずにおいた。
 店員さんが己のそばに寄ってきて、小声で「彼女宛だったんです?」と問うた。「ええ……」たしかに、彼女に向けての花であったことには変わりないが、あの時に買っていたのは彼女の名前が刻まれている墓に置くための花だった。生憎、生身のなまえさんに直接、花を渡したことは無い。すっかり興味を失ったのか、花屋の玄関口で己が出てくるのを待っているなまえさんを見る己を横目に、花屋の店員さんは楽しそうに小さなブーケを作っている。相変わらず、店員さんが何か花の名前と、花についていろいろ教えてくれているのであるが、その話は片方の耳から入っては片方の耳からスルリと出て行ってしまっているので、相変わらず何の花かはさっぱり分からなかった。「きれいな人ですね」「まあ……」なまえさんの顔を見ては楽しそうに話す店員さんは、己となまえさんの関係性を問うでもなく、己がなまえさんに片思いをしていると勘違いしてくれているようであった。己の恋路のことを思っているのか知らぬが、たいそう楽しそうに笑っている。「頑張ってくださいね」そう言う店員さんに、そういう関係ではないのだと一言でも言えばよいのであるが、彼女もまた楽しそうに笑っているので、何も言わずにいた。

「おまたせ」
「おかえり」

なまえさんは、己の持つ小さなブーケを見たあとに、さして興味がなさそうな顔をして共同墓地のほうへと歩いて行く。ああ、そうだ。なまえさんと言えば、こういう人であった。なまえさんという人に花というものがひどく似合わないのだと言ったのは小南が先だったか。なまえさんという人が醜悪な見た目をしているという訳でもないのにも関わらず(先ほどの店員さんもなまえさんのことをきれいな人だと称していたので、身内贔屓の目で見ているわけではないだろう)、花というものがひどく似合わないのだ。小南がそう言ったときに、「確かに」とそう言ったはずだ。なまえさんという人に花の持つ儚さと言うものが相反するものだからなのだろうか。それとも、なまえさんの花に対する興味の無さが思い切り態度に出ているのを、遠い昔に見ていたせいで余計にそう思うのだろうか。その結論は、出ないままである。
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