小説

揺れるスカート

 わたしの部屋が残っていると言ったのは、桐絵だった。桐絵の作ったカレーをあと一口で食べきるか、食べきらないかのころのことである。「なまえさんの部屋だけどね」と彼女が切り出したのが発端である。もうすでにわたしの部屋は無くなっていて私物も処分されていたと思っていたので驚いてしまったのであるが、それが露骨に顔に出てしまっていたらしい。桐絵はそれがたいそう不服であったようで、わたしの表情を見るなり途端に頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。悠一は「あーあ。なまえさんひどいね」そう、わざとらしく言うのであった。あれはきっと初めから視えていたのだろう。レイジさんは呆れ半分、桐絵の気持ちも分からなくはないという顔をして「頑張れよ」とわたしの肩を叩いて部屋を出て行ってしまった。今日はこれから防衛任務なのだという。「小南先輩」そう、烏丸くんが言うが、桐絵は不服そうな顔を一切崩すことなく「なによ」というばかりで不機嫌丸出しと言った様子であった。いたたまれなくなって、「……ごめん」そう、わたしが口先だけの謝罪を述べたのが余計に気に触れたのか、桐絵は振り返ってわたしの皿の中のカレーが無くなったのを見るなり、「ほら、立つ!」とわたしをせかしておきながら、わたしのことなど置いて先に歩いて行ってしまった。「桐絵、待ってよ」食器を片づけてから彼女の後を追おうとしたが、悠一が「いいよ、小南のほう先に行ってよ。こっちはおれがやっとくからさ」と言うので、素直に甘えることにした。

 五年ほど不在にしてた自室は、わたしが最後に記憶していた部屋のままであった。「部屋、掃除してくれたの」そう、桐絵に問えば、彼女は首肯した。「ありがとう」「迅とレイジさんもたまにやってたわよ」「じゃあ、彼らにも後でお礼を言わないと」本棚には中学三年生の最後の方で使っていた教科書が高さをそろえて立てかけられており、机の上にはわたしが開くことがなかった高校一年生の時に使う予定だったであろう教科書が置かれている。最後に着ていた中学の時に来ていた冬服と、その年の四月から入学する予定だった星輪女子のセーラー服がビニルをかぶったまま掛けられていた。採寸に出かけたのは確かに覚えているが、制服がわたしの元にやってくるまでにわたしはここからいなくなってしまったのだから、制服には一度も袖を通したことが無い。

「桐絵は今星輪に行ってるんだ」
「そうよ」
「学校、楽しい?」
「まあまあね」
「そう」

それは良いね、と言えば桐絵は「そうね」と言った。星輪女学院に行きたくてたまらなかったというわけではないが、こうして壁にかかる制服を見てしまえば、やはり一度も袖を通さなかった制服がもったいないように思えてしまう。しかし、わたしが今の年からまた星輪女学院を受験して三年間、全日制の高校に通うかと言えば否で、学校に通うのであれば働きながら学校に通える夜間高校にするか、高等学校卒業程度認定試験でも受けた方が何かと都合が良いように思える。わたしが中学生のころに、後々身長が伸びることを期待して少し大きめに制服を作ったが、桐絵は着れるだろうか。もし、着れるのであれば、現在進行形で使っている桐絵に使ってもらうのが一番なように思う。しかし、

「一度も着なくてもったいないなって」
「着たいなら着ればいいじゃない」
「ええ……さすがにちょっと」
「着ない後悔より着る後悔って言うじゃない」
「確かに……」

 わたしは、壁に掛かっていた制服を取った。五年ほどビニルの下に覆われた制服は、相変わらずタグが付いたままである。ビニルを取って、制服を丁寧にハンガーから外した。ただ、それだけのことなのに、やたら恥ずかしいことをしているような気持ちになって頬が熱くなる。

「何恥ずかしがってんのよ」
「やっぱりちょっと恥ずかしい」
「早くしなさいよ、ドア、誰も来ないように見てるから」
「お願い」

セーラ服の着ていたワンピースを脱いで、黒い吊りスカートを履く。一度も着たことのないセーラー服を着るのにもたついているのを見た桐絵が、「もう」とわたしの服のボタンを留めるのを手伝ってくれた。あまりに下手なわたしの結んだタイも、ついでに結びなおしてもらった。「なまえさん、相変わらず戦闘以外は不器用なのね」「その通り」「堂々としてたらいいってものでもないわよ」赤いカーディガンに袖を通せば、桐絵と全く同じ格好になった。腕を伸ばした時にほんの少し、袖が余る。採寸に出かけた時に、身長が伸びることを期待して少し大きめに作ったはずなのに、ほとんど身長が変わらなかったのだろう。それはそれで、少しばかりショックだ。「スカート長いわね」「長い?作ったとき少し大きめに作ったからかも」桐絵はそう言うが、わたしが最近よく着ていた白いワンピースよりも、丈の短いスカートはなんだか足元が寂しい。「制服、こんな感じなんだ」一回転したときに、プリーツスカートが翻る。

「いいじゃない、似合うわよ」
「ありがとう、桐絵。恥ずかしいけど、着て良かった」

わたしは、制服を脱いだ。もう、ハンガーに制服をかけても、ビニルを掛けることは無い。できるだけ丁寧に、元あった形に戻すように制服をかける。もう、わたしが着ないのであれば桐絵に着てもらう方が、制服としても本望だろう。桐絵の身長は、わたしよりもすこしばかり大きいが、この制服は彼女にとってはちょうど良いサイズの制服になるだろう。

「桐絵これ着ない?」
なまえさんがもう着ないなら」
「……もし高校に通うなら、夜間高校に通って昼に働くから、星輪の制服はもう着ないかな」
「そう。なら私が着るわ」

なまえさん、本当に良いの?と言う桐絵に、首肯した。もう、着ないだろう制服をずっと持っていても仕方がないことだし、着る人がいるのであれば、制服だってそちらの方が本望だろう。そう言えば、桐絵は「確かにそうね」と言って、セーラー服と赤いカーディガンのかかったハンガーを腕に抱いた。桐絵の腕の中で、制服の黒いプリーツスカートが揺れる。それはまるで、漸く着る人が見つかったことを喜んでいるように見えた。
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