小説

お仕舞

 共同墓地。わたしが三門市で良く訪れていた場所の中の一つであった。大規模侵攻の後、引き取り手の無い遺体──それは、身内がすべて死んでしまって引き取れなかった人か、遺体から誰かが判別できなかったものか、遺族が埋葬できなかった等、様々な理由が考えられるが──の数を数字で知ってはいたが、被害が甚大なものであったということは、物言わぬ石柱の群れを見ればわかることであった。昼、高くに上がっていた太陽はいつの間にか、西の方へと傾きつつあった。青々とした空を、西日がごうごうと燃やしている。

 わたしの記憶、覚えているというよりは、習慣として染みついてしまった道のりを歩いている。いつの間にか案内される側だったわたしが、四人の中で誰よりも早くに歩いて居た。砂利を踏みしめる四人分の足跡だけが、静かな墓地にはよく響く。時折吹く風が、まだ葉の残る木々を揺らしたときに聞こえるざわめきが聞こえた。誰も、口を開くことはなかった。みょうじの家の墓は、この共同墓地の中でも、ひときわ奥の方にある、こじんまりとした小さな墓。お情け程度に作られた、立派な墓石の群れの中では浮いてしまいそうなほどにはお粗末で一際小さな墓石であった。四年前に起きたのだという大規模侵攻の後に新たに増えたのだろう墓石がすべて新しく見えるせいだからだろうが、少なくとも、わたしが知る墓というものは記憶の中でも随分と古めかしいものであったはずだ。

「……誰かが」

目的地から二本手前のあたりで足を止めた。わたしの後ろに付いてきている彼らもまた、同じように足を止める。「なまえさん?」「……」自分の家の墓のある場所に、誰かが立っている。体温を持つものであることだけはわかるが、個を判別することはできない。「なまえさん、何が見えるの?」「人が」「人?」「ええ。人が、居ます」わたしの視線の先を追うように、彼らはそちらの方を見た。彼らの双眸に、わたしと同じ景色はきっと見えない。わたしの家の墓があっただろう場所は、手前の墓に遮られたしまっているのだから、目視で確認することは出来ない。「……何も見えない」オサムくんがそう言い、それに同意するようにチカちゃんが首を縦に振った。わたしの家の墓の場所は、わたしがこの場所に来ない間に動かされてしまったのだろうか。もし、知らぬ人の墓があるのであれば、黙ってそこから居なくなれば良いだけの話である。わたしの家の墓があるだろう場所の前に居る人の動く気配は、ない。

 わたしの見知った景色は、相変わらずにそこに在った。町の様子が様変わりしようが、墓石の数が増えようが、わたしの家の墓のある場所は、わたしが最後に見たときから変わっていなかったようであった。わたしの家の墓は、そこに在った。相変わらず、とりあえず作ったと言わんばかりの小さな墓石だけが、唐牛で墓の形をとっている、そんな墓があった。そして、わたしが視た通りに、人の影──小さな墓石の前に在るのは屈んでいる男の姿──もそこに在った。墓の前に立ったときに、彼らが息を呑んだ。もしかしたら、あの人に心当たりがあるのかも知れない。はたまた、人ではなく、わたしの家の苗字がそこに刻まれている墓石が目の前に在ることに対してかも知れぬが……小さな墓石の前に、花束が置かれていた。彼が持ってきたものなのか、すでにあったものなのかはわからないが、ブーケの包みが随分と綺麗なあたり置かれたとしてもつい最近の出来事なのだろう。花立に枯れ始める気配のない、生花が空に向かって首をあげている。あいにく、わたしは花というものに詳しくは無かった。何の花が添えられているのかも、もしかしたら、花に意味があるのかもしれぬが、それも、わたしには分からなかった。「やあ、メガネくんたち」先に気づいた男のほうが立ち上がってこちらに声をかけてきた。わたしよりも頭一つと半分ほど高いところに男の頭がある。矢張り、彼らは知り合いだったようで、三人は頭を下げて挨拶を返していた。「何してるんですか、こんなところで」「たまにはおれも、こういうところに来たりするよ」和やかな会話が繰り広げられている。彼らは気心の知れた関係であるようにも見えた。

 「お姉さんはご存知なんです?」男が、そうわたしに問うた。わたしの、脳に刻まれた過去の記憶が、少しずつ、アルバムを丁寧に一頁ずつ捲るようによみがえってくる。「ええ。とても」わたしが、休暇を見つけてはこの墓の前で墓掃除をしたときのことを思い出す。最後に墓掃除をしたのはいつだっただろうか。日付も、曜日ももう、ろくに思い出すことができない。掃除をする人間の居ない墓はすぐに荒れてしまうからと、墓を掃除しなければならぬと思って動いていたのはもう、遠い昔の出来事のように思えた。うすらとよみがえるのは、その日が晴れていたこと、そして、わたしの墓掃除についていくと言った──の姿があったことか。この、目の前の男の姿が、わたしの背を追いかけてきた──の姿にうすらと重なった。わたしは被っていた白い帽子を脱いだ。随分と伸びた髪の毛が、時折吹く風に舞うのが煩わしい。「あなたは良く、ここに来られるのですか?」「はい」「……そうですか」墓石に刻まれたわたしの苗字、そして、両親の名前と、それから──わたしの名前を指でなぞる。彼の青い目が、わたしの指先を追うように動いた。自然と、口が開く。「……わたしは、」ここではもう、死んだことになっているのか。生きて居ながらにして、自分の死を知らしめる、自分の名前の刻まれた墓というものを見るのは何とも不思議な気持ちだった。

「ありがとうございました。掃除する人の居ない墓はすぐに荒れてしまうので、心配だったんです」
「……いえ」

 男が息を呑んだ。「どうかしましたか?」「えっ、いや……」彼は、しどろもどろになりながらそう言った。青い目を思い切り見開いて、わたしの顔を見ている。わたしの頭のてっぺんからつま先までを見た後に、目を伏せた。

「チカちゃんも、オサムくんも、ユウマくんもありがとうございました」
「もういいの?」
「ええ。もう大丈夫です」

ユウマくんは「そっか」と言った。彼の赤い双眸は、わたしのほうではなく、男のほうを向いていた。下を向いたままの男の顔は見えない。わたしは脱いだ帽子をもう一度、被った。

「それでは、然様なら」
「待って」

 呼び止められて、わたしは振り返った。わたしが、砂利を踏みしめる音がやたらと良く響く。「待て」と、俯いたままであった男はわたしにそう言った。「何か?」振り返ってもう一度男の顔を見た時に、彼はまっすぐにわたしのほうを見ていた。透明な青い双眸が、わたしの顔、眼を射抜こうとしている。わたしよりも、オサム君たちのほうが驚いたようで、彼の顔とわたしの顔を交互に見ていた。わたしは、目の前の男の目にたじろいだ。わたしは、このような人のまなこがあまり得意ではなかった。わたしの行動を止めようとする人がわたしに向けるあの眼は、どうしてもわたしが船から降りた日のことを思い出してしまう。わたしは、この場をすぐにでも去りたかった。しかしながら、それを、目の前の彼の眼は許してくれそうになかった。
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