小説

花のむくろ

 小南はあまり、過ぎたことを自分から口にすることをしない。手桶を持ち玉狛支部に戻ってきた己を見たときにもの言いたげな目をしたが小南は目を逸らしたきり、何も言わなかった。ここに居たのは小南と京介の二人だけであった。おおかた、陽太郎は雷神丸と昼寝をしているのだろう。レイジさんは外出中らしく、支部に彼の姿は見当たらなかった。

「最上さんの墓参りですか」
「そうだよ」

 別に、嘘はついていない。正しくは、最上さんだけではないが、それを京介に言う必要もなかった。小南は、手桶の中に乱暴に放り込まれている花のむくろを見て居た。菊に樒、そしてシクラメンにガーベラといった見た目の派手な花の残骸。供えたときにはあれほどまできれいだったのに、今となってはその面影をうっすらと残すのみである。「珍しいですね」仏花として供えられるだろう花以外の花のむくろを見た京介がそう言った。たしかに、この花のラインナップは墓に備えるにしては随分と派手なものだと思う。しかし、それで良かった。なまえさんのための花は仏花である必要もない。何も、問題はないのである。「それ、貸して」小南は己から手桶を、手桶の中に入っている花のむくろを受け取った後、台所のほうへと姿を消してしまった。「……小南先輩、何かあったんすか?」「いや、いつものことでしょ」「そうですかね」京介は、小南が消えていったほうをジッと見ていたが、それ以上何も言う事はなかった。(女の子には秘密が沢山あるって言うでしょ)(しかし、男の子にも秘密はたくさんある、特におれの場合は……)そんな雑なごまかしで逃げることを少し考えたが、その懸念は不必要なものであった。京介がこれ以上、小南のことも、あの派手な花のことも追求してくれなかったことは幸運だった。

 なまえさんに花、この言葉も随分と可笑しな響きであるように思うが、そもそも、なまえさんという人ほど花というものが似合わない人をこれまで一度も見たことが無い。女の子は誰であれ可愛いものかきれいなもの、またはその両方が勝手に似合うものだと思っていたが、中には例外がいるということを知ったのは、迅がなまえさんの墓に花を供えるようになってからだった。迅が買う花は何時も、きれいな花という訳ではなかった、見た目のかわいらしい花だって中にはあった。あいにく、わたしが見る花というのは迅が前回の墓参りで供えただろう花のむくろだけであるから、本来どのような姿をしていたのかは想像することしかできないが、きっと、人の手で丁寧に育てられた、(花束で貰うことがあればとてもうれしくなってしまいそうなほどには!)きれいな花だったのだろうと思う。しかしながら、自身の知るなまえさんという人に、それらはあまりにも似つかわしいものであるには違いなかった。

:

 迅がなまえさんの墓──そう言うのが正しいか、みょうじ一家の墓というのが正しいか──を掃除するようになったのは、なまえさんが失踪したあの遠征の後、一か月と経たないころからだったように思う。近界に置き去りにされたなまえさんには、血縁者はもう、ひとりもいなかった。なまえさんが、定期的に自分の家の墓のある共同墓地に出かけているのは知っていた。血縁者は皆、失踪してしまったというのは、旧ボーダーの人であれば既知のことであった。残念ながら、三門市では特に、彼女のような身の上の人間は少なくはない。「手入れする人がいなくなったら、墓はすぐに荒れるって言うだろ」そう言ったのは、彼女が最初であったか、迅が先であったか。どちらか、またはその両方がその言葉を困ったように笑いながら言っていたことはよく覚えているのであるが、それだけだ。本当に死んでしまったのか、それとも実は知らぬ場所で生きているのか、むくろがないままでは墓石に刻まれた名はあれど、その墓石自体を否定して回りたくなるから、墓参りに出かける迅のさびしい後姿を見ることはあれど、あの共同墓地に出かけようと思うことは一度もなかった。「迅はなまえさんが死んだと思っているの?」「いや。でも、わからない」墓参りに出かけるようになった迅が一人でいるときに、そう問うたことがある。もしかしたら、彼女もまた今の迅と同じような気持ちだったのだろうか。生き死にの分からぬ人のことを生きていると信じ続けているのは苦しいものである。死んだと割り切ってしまうには、死を示すものが少なすぎるせいでもしかしたら、を望んでしまう。その望み自体を捨ててしまえればよいが、そう簡単に捨ててしまえるほど単純な話ではない。

 なまえさんという人は、あまり結論の出ないことを延々と思い悩むことをしたがらない人であったから、彼女の場合は早々に死んだものと見切りをつけたのだろうと思っていたが、それは違った。あくまで予想に過ぎないが、それを正しいと思うようになったのは、なまえさんが消えてしまった後に墓参りに出かける迅の姿を見るようになってからだった。彼女は「家族は失踪した」ということはあれど、「家族は死んだ」とは一度だって言わなかった。しかしながら、墓参りに出かけることをやめることはなかった。なまえさんの行動も、迅の行動も、一見矛盾しているように見えるが、それらは彼らの心の中の葛藤が行動に現れていたのだろうか。
 あいにく、自身には死にもしていない人の墓の前で合わせる手を持ち合わせてはいない。なまえさんのためではなく彼女の血縁者のために墓を掃除するという理由をつけて共同墓地へいくこともできるが、それであっても共同墓地に出かけることは、しなかった。死んでしまったとされる彼女のことを未だ生きているのだと信じていたいからなのかもしれない。墓を目の前にしてみれば、むくろのない墓標であるにも関わらず、死というものを受け入れてしまうのではないかというのが、怖かったからなのかもしれない。花のむくろはいつでも死の匂いがする。花の匂いはもう少しだってしないのに、なぜだか人死にの匂いだけがそこにあるように思う。
0000-00-00