小説

成人の祝い

 三門市には近界からの侵攻により犠牲になってしまった人間と行方不明になってしまった人間が数多くいる。その中でも、死体がないのにも関わらず死んだことになってしまっている人も多くいるのもまた、事実であった。五年ほど前のこと、遠征船から飛び出して己らを逃がそうとしたなまえさんの後姿のことを、未だはっきりと覚えている。人の命と、命に結びつく人々の想いというものは、齢十五の子どもが背負うには重すぎた。
 みょうじなまえという人間が近界の同盟国で失踪してから暫く、死んだことになったなまえさんの墓を建てたのは少なくとも、ボーダー関係者でないことだけは確かだった。己らは未だ、近界に残してしまったなまえさんが生きていることを信じて居たかった。しかしながら、共同墓地の隅に立つ墓石に刻まれたなまえさんの両親と、なまえさんの名の墓に花を添えてしまうのは、心のどこかでもう生きていないのではないかと思っているからなのだろう。みょうじなまえという人間には身寄りがなかった。両親どころか、血縁者丸ごと失踪してしまったのは、彼女の血縁者のトリオン量が近界民にとって魅力的だったからなのだろう。なまえさんだけが運よく生き延びたのはその場にいなかったからなのか、表に出てくる前のボーダーという組織で近界民と戦う術を得ていたからなのか。きっと、その両方なのだろう。
 共同墓地に葬られたみょうじ一家の墓の中には、何も無い。死体が無いかわりに、遺品が埋められているのだという話もあれば、彼らの住んでいた自宅の庭の土が入れられているという話もあった。全く、ろくでもない話である。手入れする人間の居ない墓というものはすぐに荒れ果ててしまうからと、休日のなまえさんはよく墓の掃除に出かけていた。なまえさんが三門市に戻ってこなくなってからは、なまえさんのかわりに定期的になまえさんが掃除をしていた墓の掃除するようになった。なまえさんが健康に生きていれば良いが、なまえさんが放りだされたのは敵国なのだから、生きている方が地獄かも知れないと考えたのちに、意味のない思考に悩むことをやめた。未来予知というサイドエフェクトが見せたみょうじなまえという人間は、死にざまを見せるものではなかったが、それはなまえさんが生きることが確定しているいうことではない。少なくとも、遠征艇から帰還するときになまえさんが一人だけ居なくなることだけが明らかであったが、なまえさんひとりを失うからと同盟国を助けに行かないという選択ができるわけもない。何かを選ぶということは、選ばなかった選択肢を放棄することと同義である。見知った人間のことを切り捨ててでも選ばなければならぬ選択肢はこの世には多くある。なまえさんを見捨てた罪滅ぼしに墓掃除をしているのか、なまえさんがきっと望んでいるからと思ってなまえさんの代わりに墓掃除をするようになったのか──五年という三百六十五日がたったの五回ほど通り過ぎようとしているだけの期間であるのにも関わらず、この作業を行う理由は己の中で随分と曖昧になってしまった。

「悠一、お前にわたしの死ぬ未来は見えていないのならば、少なくとも死ぬことは無いってことだろう?」そう、言いきって弧月を振るうなまえさんのことをふと思い出すことがある。最後の最後まで、恐ろしく強い人であった。全く、年齢がたったの一つだけ違うだけであれほどまでに強くなれるものなのだろうかと思ったが、それが違うのだと理解するのにそう時間は掛からなかった。なまえさんと同じ年齢に追いついたときにも感じたことであるが、なまえさんが居なくなったときの年齢と同じくらいの年齢の少年少女のさまを見るたびに己の考えは間違いでないと思う。「身寄りもなければ、心を痛める血縁者もいない。かといって、彼らを連れて行った人を恨む気も今更起きない。わたしはすでに可笑しいのかもしれない」そう言ったなまえさんが、あの日どんな声で話したのか、どんな自嘲的な笑みを浮かべていたのかをうまく思い出せずにいる。なまえさんのことに関して言えばもう、彼女の声だけでなく、なまえさんがどんな顔で笑っていたかさえ朧気である。五年という月日は短いようでいて、なまえさんのことを己の記憶から風化させるには十分すぎる時間であったようだ。ただ、少なくとも、これ以上失うものが無いと思っている人ほど強くなれるものは無いのだと確信したという経験だけは、五年という月日が経とうが変わらないものであった。

なまえさん」そう、物言わぬ墓石に向って声をかけた。形ばかりの物言わぬ墓石は相変わらず、己の声をきくだけである。両手を合わせ、近況の簡単な報告だけを小声で話したのち、近くの花屋で買った生花を挿した。花のことなど詳しく知らぬ己は常に、花屋の口車にのせられるがまま、花を買うだけである。花屋の選んだ花ならばきっと、間違いなく良いものであるだろう。己がなまえさんのことを想って買う花よりも、弧月をセットしたトリガーを置いていた方が喜びそうだとさえ思う。そもそも、なまえさんが花を愛でようとするところなぞ記憶の中にこれっぽちもなかったのであるが。
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