小説

おそすぎる帰省

 三か月。わたしが装置で転移されてきてから、三門市にたどり着くまでにかかった時間だ。移動にかかった時間よりも、三門市にたどり着くまでの費用や、老夫婦に借りたお金など、暫くの生活に使う資金を工面するのにかかった時間が大半である。老婆に戴いた白いワンピース一枚だけで外を歩くには随分と冷える季節になってしまっていた。買い足した安物のコートを、白いワンピースの上から着ることで、外を歩くには不自由しないくらいにはなったが、それでも時折吹く風が首元に入り込むとやはり、寒い。
 
 電車とバスを乗り継ぎ、漸く三門市の中でもわたしが唐牛で思い出せる地域についたころには、まだ東の方に居た太陽はすでに、わたしの頭上高くに登っていた。弓手町駅、わたしの朧気な記憶の中に唯一あった市内でも大きな駅は、すでに使用されていないらしい。駅の閉鎖を知らせる色褪せた看板が、シャッターの上に張られている。このシャッターも下ろされてから長い歳月が経ているのだろうか、シャッターの表面はところどころ錆のような色が見えた。困った、本当に困った……三門市にたどり着けば後は記憶を頼りに何とかなると思ったが、わたしの居ない間にこの町は、随分と姿を大きく変えているらしい。まさかと思い、わたしの両方の視覚に意識を集中させ、"視た"。わたしの視覚が拾ったものは、わたしの記憶の中の地形図とは大きくかけ離れたこの市内の形状であった。大規模侵攻、ボーダーという組織が表に出てくるきっかけになったあの近界民が持ち込んできた戦争というものは、この街に大きな爪痕を残している。「……」これから、どこへ行こうか。どこへ行ったら良いのだろうか。三門市にたどり着くことを目的としていたわたしは、三門市にたどり着いてから何をしたらよいかがわからなくなってしまった。ただ、この場所に戻らなければならない、戻りたいという思いでやってきたが、いざ来てしまえば、わたしはなぜあんなにこの場所に焦がれていたのか、さっぱりわからなくなってしまった。会いたい家族が待っている訳ではない(わたしの身内はとっくに行方不明で、いないのである)。友達らしい友達も、五年も経ってしまえばわたしのことなぞ覚えていないだろうし、学校自体休みがちだったわたしが懇意にしていたクラスメイトの顔に思い当たる節はない。「お姉さん、どうしたの」途方に暮れているときに、年若い男の子の声が聞こえた、ような気がした。「お姉さんだよ」あたりを見ても、わたし以外に人はいない。「……わたし?」「そう」声の元を見れば、少年少女の三人組が立っていた。その中でも小柄な白髪の男の子が、赤い双眸でわたしをとらえている。

「いきなりすみません。困っているようでしたので」
「ありがとうございます。実は、かなり困っていました」
 
 どこに行っていいか、わからなくなってしまったんです。わたしの口からするすると出てきたのは、いたく抽象的な言葉であった。そう言われた彼らも、三人三様の表情を浮かべて互いに顔を見合わせている。「お姉さんは、迷子なんですか?」少女が、わたしに問うた。「迷子?」わたしが?「……ええ、そうかもしれません」確かに、もうどこへ向かえば良いのかわからなくなってしまったわたしのことを、迷子と言わずになんと言うのだろう。「お姉さんは、家を探しているの?」「……そうですね、家、あれば良いのですが」「なら、行ってみましょう。どのあたりか覚えていますか?」彼らと話していくうちにわたしの次なる目的地がトントン拍子で決まっていく。しかしながら、わたしとしてはとっさに家と言ったが、家に帰ったところでもうそこに人は居ないに違い無いのだから行ったところで意味がないのだ。「そこまでやっていただくわけには」そう、彼らのありがたい誘いを断ろうとしたが、彼らは首を横に振った。わたしに遠慮をするなと、そう言う彼らに頼るのも申し訳ないと思ったが、彼らのほうが引こうとしないので、その言葉に甘えることにした。「わたしの前住んでいた場所はこのあたりなんですが」メガネの少年に、昔家のあったあたりのことを話すと、彼は途端に渋い顔をした。

「もしかしたら、警戒区域になっていて入れないかもしれません」
「近くに行くことはできますか?」
「区域に入らないのであれば、大丈夫だと思います」
「ありがとうございます。いけるところまでで良いので、連れて行ってください」

 旧弓手町駅から、わたしの前の家のあった地域は大分歩いた場所にあるのだという。それならば、猶更、行かない方が良いのではないかと思ったが、それらを彼らに言うのはもう遅いだろう。「あなたたちも、何か予定があるのでは?」そう問うたが、彼らは「いいえ。ただ、三人で会う約束をしていただけなので大丈夫です」と答えた。

「これから何するかは決めてなかったんだ」
「そうなのですか」
「はい。だから、お姉さんの家を探しに行きましょう」

 わたしが、五年ぶりにこの街に来たのだという事を含め、簡単な自己紹介をしたときに、彼らが中学三年生と二年生なのだということを知った。わたしが本当に探しているものが、本当に家なのかは、もうわからない。本当に探しているものが、帰る場所だというのであれば、わたしの帰る場所は一体どこなのだろう。家族がいる場所が帰る場所なのであれば、家がある場所が帰る場所であれば、もしかしたら、今のわたしには帰るべくして帰る場所というものはもう、存在しないのかもしれない。あれから五年近く経て、家族がこの街に戻ってきているということは到底、考えられるものではなかったが、もし帰ってきているのであれば、それはそれで良いだろうし、いなかったのであれば、それはまた考えれば良いだろう。

「残念」

 鉄の有刺鉄線が、わたしの知る道をふさぐように巻かれている。"立入禁止"と"近界民出現"と警戒色で書かれた看板が貼られているのを見て、彼らはわたしよりも肩を落としてしまっているようだった。「……なまえさんの家は、ここから見える?」「家があることだけはわかります。形が昔から変わっていないみたいなので、家は大丈夫だったのでしょうね」ユウマくんは何も言わなかった。オサムくん曰く、わたしの住んでいた地域というものは、警戒区域の中にある廃線になった駅の更に向こう側にあるのだという。ここからでは、駅の屋根の形すらまともに見えない。ここから先は、ボーダーの人間しか入れない警戒区域に指定されていて、一般の人間は立ち入り禁止になっているエリアなのだという。ユウマ君は何も言わず、兎のようなあかい目でわたしの顔とオサムくんの顔を交互に見ていた。

「警戒区域には人が誰もいませんね?」
「はい。ここの住民たちは今は警戒区域外の場所に引っ越しています。役所に行けば住所もわかるかもしれません」
「……成程。でも、大丈夫です。」
なまえさんは家族を探しに来たんですよね?」

チカちゃんがそう、問うた。"イエス"とも、"ノー"とも言い難い問いであった。「そうですね……」ユウマくんの赤い目が、わたしを咎めるような色を浮かべて、わたしの顔を見ている。「そういうことに、してください」「……」ユウマくんは、何も言わなかった。ただ、わたしの顔をじっと見るその双眸が、彼が言葉に出さずとも、彼の言いたいことを述べているような気がした。
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