小説

潮騒

 行き交う人々の話し声、店から流れる軽快な音楽。高層ビルの群れで構成される街の中で、それらは渦巻いている。音割れしたスピーカーから、「ボーダーは解散せよ」との音声が聞こえる。「……」一般の人間には知らされていないはずの組織の名前が聞こえたような気がするが、それはどうやら、幻聴ではないらしい。音に誘われるように足が自然に動いた。ボーダーという組織の名称は、知る人しか知らぬ組織であるはずである。わたしが居た、少ない人間で構成された表からは隠されている組織は未だ、民衆の目から逃れるようにひっそりと活動していたはずであったが、わたしの居ない間に時代は変わっていたらしい。「アンチボーダーがまたやってるよ」という人の声が聞こえた時に初めて、ナルホド、と納得した。"青少年には武器ではなくペンを" という思わず笑ってしまいそうな横断幕が、選挙の時期によくみられる街宣車のようなものに張り付けられている。「青少年が、このような化け物との戦いを強いられているんです」「子どもを守るのは大人の役目。すぐに戦いをやめさせるべきです」たしかに、彼らの掲げている写真に写るのは、わたしの知らぬ数多くの若い隊員の姿である。その彼らが、怪獣映画に出てきそうな白い巨大な兵器を相手に武器を構えている。確かに、この写真はわたしの知るボーダーに違いないらしい。写真に写る彼らのすがたは、当時のわたしよりもずっと年上に見えた。トリオン器官の発達の都合上、年若い子らが隊員として活動せざるを得ないという事情はあれど、それはあくまで内部の都合であって、今こうして音の割れたスピーカーで唾を飛ばしながら叫ぶ彼らがトリオン器官のことも、何もかもを知らぬ人たちであるのであれば、なおさら理解を得にくいに違いない。他国であれば少年兵がいることもざらであったが、わたしの生まれ育った国というところでの子どもというものは大人の庇護下にあるべき存在であり、前線に出るべき人たちでないに違いないという考え方が根強いのは、わたしが近界に取り残される前でも、今でも変わらないようである。白いワンピースに似つかわしい、地味な色をしたミリタリーブーツのつま先を見た。わたしが、様々な国を渡り歩きながら、"敵"とされる数々人を蹴り飛ばして体制を崩してみたり、戦うために地面を蹴るのに使われた、わたしの所持品の中で二番目に付き合いの長いブーツ。つま先の革に随分傷が入っているとぼんやりと考えていた。わたしの目の前で、わたしに向かって、自分らの思いの丈をつらつらと述べている言語は何ひとつ、わたしの耳には入ってこなかった。「こんなこと、許してはいけないんです。お姉さんもそう思うでしょう」「そうですね」心にもないことを言うのは簡単だった。そもそも、彼らの言う言葉ひとつ、まともに聞いていなかったのであるが……そして、彼らもまさか、過去のわたしがあの場所で近界から来た兵士と戦っていたとは欠片も思わないだろう。

 わたしが流れ着いたあの場所からバスに揺られること一時間ほど、終点のバスターミナルのある街はたしかに、老夫婦が言った通りの大きな街であった。身寄りも住所もないわたしのような人間が仕事を探すことなど難しいと思っていたが、思ったよりもあっさりと仕事が決まった。個人が経営する喫茶店に住み込みで働くことができるようになり、住居の心配をしなくてよくなったのはとてもありがたい話であった。「君のような家も仕事もない人たち、最近多いんだよ。三門の事件の後から……」「三門市ですか?」「そう。四年前の大規模侵攻だよ」「ああ……」わたしが戻ってくるまでに起きた、わたしの知らぬ大規模侵攻という出来事は、人から聞いた話だけで構成された、ひどくぼんやりとした輪郭のものである。「今はもうボーダーがいるから、最近は随分減ったがねェ」店主ののんびりとした声が、客の居ない店内ではよく響いた。

 わたしの知らぬ間に、こちらは随分と様変わりしている。行き交う人々がせわしなく、街中の巨大なビル群に吸われてゆくさまも、込み合う街中の大きな駅構内を忙しくゆきかう人たちも、人間としての生活の営みはきっと、わたしが十五のころに見た人々と殆ど変わらないというのに、取り巻く環境は知らず知らずのうちに、変わっていた。例えば、ボーダーという組織のこと、三門市という近界と戦う最前線という場所のことと、それから、近界民の存在。わたしたちの内部で隠していた出来事は、事実として世界に生きる戦いとは無縁だっただろう人間たちにも知られつつある。そうして、それらを支持する人間もいれば、支持しない人間もいる。この場所は、平和だ。わたしが経験した国の中で一番、平和に違いない。人々が攻め込まれる恐怖に震える必要はない。子や家族を失う心配をしなくてもよい。他国に攻めなければ明日の生活に困るような環境でもない。ボーダーという組織に絶対的な信頼を置いているのか、それとも三門市でないのであれば特に関係ない場所で起きている別の世界の出来事として考えられているのか。そのいずれかなのか、それらすべてなのかはわたしには知りようのない話である。少なくとも、コーヒーを入れている間、両手が塞がっている時に自分の身の心配をしなくて良いということは、何より平和である証拠に違いない。
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