小説

五体満足鮪拾#4

 平日の夕刻、本部の仮想訓練室のロビーには、学校が終わって本部にやってきた若い戦闘員たちの姿がある。道中で捕まえた迅と共に、仮想訓練室に入った。ロビーに居た戦闘員たちの視線が、一つのモニターに釘付けになっているので、己も自然とモニターの方を向く。それは、迅も同様で、「うお、珍しい」己が口に出すよりも先に、口を開いていた。モニターに映っていたのが、普段、仮想訓練室であまり模擬戦をやらないなまえさんと二宮、なまえさんはともかく、二宮というボーダーの中ではかなり有名な射手であれば注目されるのも仕方のないことだろう。
 上から、なまえさんめがけて降ってくるハウンドを、なまえさんはギリギリまで引き付けて、後退して避ける。地面に命中したハウンドのせいで、地面のコンクリートが抉れ、砂埃が爆風によって舞い上がった。視界が遮られるが、画面の向こうの二人はすでに、次の動作に移っている。間髪置かずに、二宮がトリオンキューブを分割し、アステロイドを撃とうとしたが、シールドを展開し一気に後退した。後退する二宮を追うように、二宮の左右にあった建物に亀裂が走る。まっすぐに入った二本の亀裂から上の部分が、滑り落ちるように大きな音を立てて崩れ落ち、砂塵が舞った。先ほどまで建っていた建物の高さが、半分ほどになって空が随分と広くなった。砂埃が落ち着いて視界が晴れたときには、二宮がトリオンキューブを出して立っていた場所には、なまえさんの旋空弧月の斬撃の跡が大きな爪痕として刻まれている。このロビーに居る人間たちは、この数秒にも満たぬ長さの攻防を、固唾をのんで見守っていた。「速いね」迅はそう、言った。「惜しいな」なまえさんはあの一瞬の間に、旋空を二回、撃っている。なまえさんの旋空の射程は、長い。生駒旋空ほどの射程は無いが、射手の射程であれば、旋空でカバーできる。一発でも当たればシールドごと真っ二つにされるのだろうが、なまえさんは確実に討ち取るために、二度、旋空を撃っている。なまえさんの斬撃は、弧月という比較的重い武器を使っているというのにも関わらず、速い。師匠の忍田さんから学び会得した、無二の技術であるように思う。中途半端に斬り伏せることをせず、確実に落とす。念には念を押した堅実な戦い方は、なまえさんの弧月の特徴であった。二宮があの時にアステロイドを撃っていたら、二宮のアステロイドがなまえさんに命中し、なまえさんが活動限界を迎えていたとしても、二宮の方もなまえさんの旋空弧月でシールドごと胴から真っ二つになって相打ちで終わっていただろう。丁度三戦目、全部で三戦の勝負でやっている二人の結果は、なまえさんと二宮とが一本ずつ取っている。ハウンドが命中し地面が抉れた場所より五メートルほど前に出た位置に、なまえさんが低い姿勢で弧月を構えて立っている。対峙する二宮も、分割したアステロイドを宙に浮かべたまま、互いの出方をうかがっていた。なまえさんと二宮は、向かい合ったまま、静止している。どちらかが動けば、この個人戦の勝敗は、決まるだろう。

「そういえばさあ、太刀川さん、なまえさんから聞いてた?」
「何が」
なまえさん、戦闘員やめるって話」
「いや。本人からは聞いてねえよ」

 なまえさんとは、大学のカフェテリアで話して以来、大学では会って居ない。一限の授業の単位取得自体をあきらめてからというもの、その時間に学校へと暫く行っていないのだから、なまえさんと教室で会いようが無かった。本部基地でなまえさんに会うことがあったとしても、防衛シフトの引継ぎのタイミングで、引き継ぎを行うためにほんの数分程度、なまえさんと会話をする程度のもので、業務外の話をする時間など殆ど無かったのだから、迅の言うところの話をしたことは無かった。それに、なまえさんは自分自身のことをあまり、自分から話そうとしないのだから、己が聞きでもしない限りは知りようも無いのである。迅の口から、その言葉が出てきたときには、不思議と、少しも驚かなかった。それは、なまえさんが学内のカフェテリアで話していたことを予兆か何かのようなものだと認識していたからなのかは分からない。なまえさんの戦いぶりを見る限り、なまえさんが現役から退く必要性は少しも感じられない。それどころか、なまえさんが抜けた穴を埋める方が難しいような気がしてならなかった。「……引退は早すぎるだろ」迅に言ってもどうしようもないことは分かっていたが、口から次いで出てきたのはそんな言葉であった。

「なあ、何かあるのかよ」
「視えてないよ。ただ、おれがここで言わなくても太刀川さんが近いうちに小南に詰められてそう」
「『ちょっと太刀川聞いた!?』」
「うわあ、気持ち悪いくらい似てる」
「おまえ、結構失礼だよな」

二宮と、なまえさんがブースから出てくる。最後の一戦は、相打ちで引き分けで終了していた。あの壮絶な戦闘を見た後で、自分たちもいざ模擬戦をやろうと思って居たのに、何故か足は訓練室のブースの方には向かず、自然となまえさんと二宮の方を見て居た。なまえさんと二宮は、仮想訓練室のロビーの隅の一角のベンチでタブレット端末を二台起動し、つい先ほどまでの自分たちの戦闘訓練を見直し始めた。それはもう、とても勉強熱心なことで。片方の端末で動画を再生して、一時停止する。そして、もう一台の端末で地図と、地形図を表示させる。なまえさんの指先が、マップと地形のポイントを指さすのを、二宮が目で追い、口を開く。何を話しているのかはよく聞こえないが、なまえさんがそれに対する答えを述べた時に、二宮が考え込むようなそぶりを見せていた。

「太刀川さん、なまえさんのこと、思ったより冷静だね」
「そうか?」
「大人みたい」

俺はずっと大人だろ、と言えば、迅は、己の視線の先──なまえさんと、二宮の方である──を見たあとに、迅は薄ら笑いを浮かべて己の顔を見て居た。なまえさんは相変わらず、こちらには気づいていない。二宮と同じ画面を見て、先ほどの個人戦の話を続けている。次第に、ふたりのまわりに、二宮隊の他のメンバーが集まり始めた。二宮隊の銃手、攻撃手が同じ画面を見ながら地形図を眺めたり、今度は過去に行われた別のランク戦の動画も出しながら、会話を続けている。なまえさんが、二宮隊の攻撃手の方を向いたときに、彼は少し固まって一歩下がってしまった。それを、銃手の方がからかっているのが、遠目にも分かる。「ああ、二宮さんのところ、次生駒っちのところとだからか」迅はそう言って己の顔を見て居る。相変わらず、何か含んでいるような、気持ちが悪い薄ら笑いを浮かべたままである。「なんだよ」「寂しい?」「俺がか?」「うん」寂しいか、と言われて初めて考える。別に、なまえさんとあまり会っておらず、たくさん話をしている訳でもないが、それは今に始まったことではない。たしかに、忍田さんに稽古をつけてもらうタイミングは、昔のように、なまえさんと同じ時間にやっている訳ではないが、それを遣らなくなったから寂しいということは無かったはずだ。

「太刀川さん、なまえさんが戦闘員やめる話してから寂しそうな顔してるから」
「おいおい、俺がどんな顔してるってよ」
「今、なまえさん見てる時みたいな、大好きなお姉さんが誰かに取られちゃった、みたいな顔」
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