小説

探偵ごっこ

 「あれえ?」ショッピングセンターで服とにらめっこをしていたときに、なんとなく聞いたことのあるような声が聞こえた。その声の持ち主は誰だったか、一生懸命思い出そうと努力したけれどもすぐに名前が出てこなかった。わたしが服を戻し、振り返るとそこには懐かしい顔があった。わたしはまさか、その人にこんな場所で会うと思っていなかったため、思い切り大きな声を上げてしまった。「元気がいいね」そう、彼は困ったように笑って言った。犬飼先輩──わたしが、まだ学生だった頃、ボーダーという組織に所属していたときにとてもよく世話になった一つ年上の先輩だった。普段交友関係の広くないわたしは、ボーダーという組織に所属していた頃以上に人と関わったことは無いと思う。日々自己研鑽をしているうちに、成り行きでチームを組み隊長をやることになった。わたしが、人と話をする機会が多かったのは過去にもこれからもその時期以上のものはないと思う。「……久しぶり、なまえちゃん」そう、犬飼先輩はわたしの名前を呼んだ。わたしの名前は苗字のほうが呼びやすいせいか、それともわたしが関わりにくい人間であるせいかは分からないが、わたしのことを名前で呼ぶ人間と言えば、家族と犬飼先輩くらいだったことを、彼に名前を呼ばれてふと思い出した。

「今日は買い物?」
「はい。そろそろ洋服を新しくしようと思って」
「そうなんだ。こんな遠くで会うとはね?」

ボーダーがある場所は、今わたしが立っているこのショッピングセンターのある場所から新幹線で何駅も行った先、さらにローカル線を乗り継いだ先にある。「わたしは今このあたりに住んでいるんです。犬飼先輩は三門市に?」そうわたしが問うと、彼は首肯した。

「なら、どうしてここに?」
「休暇を貰って一人旅してたら、まさか行方不明になったなまえちゃんに会うとはね?」
「行方不明だなんて、そんな」
なまえちゃんは今誰とも連絡とってないでしょ。同じチーム組んでた子たちに『隊長の連絡先知りませんか』ってよく聞かれたよ」
「……すみません」
「いいよ。おれも連絡先知らなかったしね。でも隊長が行方不明になるチームは初めて聞いたかな」

わたしは犬飼先輩の言葉に苦笑いを浮かべることしかできなかった。大学進学を期に、わたしはボーダーを辞めた。三門市にある大学ではなく、もっと遠くの大学に進学したかったからだ。わたしはボーダーを辞めた後、自分の隊の人はおろか、ボーダーに居た人たち全てと連絡を取っていなかった。組織から抜けたのだから、もう関わることもないだろうと思って連絡先をすべて消してしまったからである。だから、連絡の取りようもなかったし、こちらからとる用事もなかった。このコミュニティが終わればそこの人間関係は終了、そのようなことを学生の頃から繰り返していたせいで、わたしに残っている交友関係というものはほとんどなく、大学を卒業した後、大学の同級生との連絡もとっていない。今関わっている人たちも、職場での付き合いがあるから関わっているだけでそれがなくなればわたしはきっとまた同じことをするのだと思う。たしかに、犬飼先輩には部隊は違えど銃手としての動きや隊長の役回りについて教えてもらうことが多くあり、犬飼先輩とはボーダーの端末で連絡をとることはあったけれども、個人の連絡先はお互いに知らないままだった。ボーダーにいる間はそれで不自由しなかったのだ。多分、犬飼先輩も同じようなことを考えていただろうから、個人的に連絡先を交換することをお互いにしなかったのかもしれない。

「先輩はまだ、ボーダーに?」
「うん。今は前線から引いて後輩の育成を主にやってるかな。なまえちゃんのチームの子たちは今も元気にやってるよ。あの射手使ってた子、今なまえちゃんの部隊を引き継いで隊長やってるよ。最初は凄く困ってたみたいだけどね」
「そうでしたか……」
「一時期B級下位まで落ちちゃったけど、今はなまえちゃんが居た時みたいにB級の上位に食い込むくらいには完成された部隊にはなってるよ」
「よかった……」
「ははは、全然部隊のこと心配してなかった癖に」
「それは確かにそうですけど」

まさかこんなところで犬飼先輩に会うなんて、そうわたしが言うと、犬飼先輩は笑っていた。「会いたくなかった?」先輩が少し意地の悪い質問をしてきた。「いや、そういうことではないんですよ。二度と会いたくなかったとか、そういうことを考えてたわけではないです」そうわたしがまくしたてるように言うと、犬飼先輩は笑っていた。「そんなに焦らなくても」わたしが余りに必死に言い訳を紡いだことが、彼にとってはひどく面白いもののように見えていたらしい。犬飼先輩は「なまえちゃんが元気そうで良かったよ、本当に」と言った。

「おれも少しは心配してたからね」
「すみません」
「隊の子とくらい連絡取り合ってると思ってたら取ってないって言うし、なまえちゃんの同級生はみんな行先知らないっていうしね」

犬飼先輩はそう言ったあとに、わたしが眺めていた洋服の方に目を向けた。「随分迷ってたみたいだけど?」そう彼は言った。

「色で悩んでいたんです」
「色?どっちも買っちゃえば?」
「ボーダーのエリートと違って給料そんなに高くないんです」
「ふうん……色ねえ、どっちも季節柄合いそうだね」
「そうなんですよ。だから迷ってたんです」

わたしが力説すると犬飼先輩は「たしかに、どちらか片方になると結構悩むね」と言った。犬飼先輩はわたしが眺めていた洋服を二着とも取り出して、わたしの体に当てるようにして様子を見ている。そして少し難しい顔をしていた。

「もしかして、似合いません?」
「いいや?どっちも悪くないから余計に考えちゃうよね」
「お世辞とかじゃなくて、その言葉信じていいんですよね」
「おれがお世辞とか言う人に見える?」
「見えます」
「言うねえ」

彼は困ったような顔をして笑っていた。

「おれ、そんなに信頼できない?」
「技術に関してはとても信頼しています」
「なら心配しなくてもいいでしょ。せっかくだしもうちょっと見てみようよ」
「洋服選び、慣れているんですか?」
「姉に連れまわされることがあるから、結構おれ自信あるよ」
「なるほど」

なまえちゃんの洋服ねえ……そう犬飼先輩は呟いていた。

「さっきの見た感じだとよそ行きじゃなくて会社に着ていくやつだよね?」
「そうです」
「はは、アタリだ」

犬飼先輩に連れていかれ、わたしの手元にはさらに洋服が二着増えた。合計四着の服を手に持つことになったのであるが、犬飼先輩は少しだけ満足そうな顔をしていた。犬飼先輩の選んでくれた洋服はどれもいいものであった。わたしが最初に選んでいた二着から、わたしの趣味の服を当てて、別の選択肢を用意してきたのだ。服は確かにかわいいものであったが、値段はとんでもなくかわいくなかったので選んでくれた手前、申し訳ないと思いつつも丁寧に断ろうとしたのだが、犬飼先輩はわたしの言葉を聞くより先にレジにそのまま行ってしまった。

「先輩?」
「いいからなまえちゃんは静かにしていて」
「静かにするもなにもないですよ!」
「これ全部ください」
「ちょっと!」

犬飼先輩はわたしの静止も聞かずそのまま会計をしてしまった。「犬飼先輩……」「いいのいいの」そう言って彼はわたしに洋服の入ったショッパーを持たせた。

「こんなにしてもらって悪いですよ。ただ偶然会っただけなのに……」
「偶然じゃなかったとしたら?」
「そんなわたしを探しにこんなところまで先輩が来るわけないじゃないですか」
「冗談冗談。さて、なまえちゃんには恩を売れたし、今度こそ連絡先を教えてもらおうかな」
「はあ……分かりました」
「絶対消したらダメだよ」
「念を押しますね」
なまえちゃんのことだからまた行方不明になるかもしれないしね」
「また偶然会ったときに交換したらいいじゃないですか」
「ははは、偶然ってそんなに何回も起こることじゃないでしょ。端末出して」

わたしは犬飼先輩に言われるがまま、連絡先を交換した。犬飼先輩から、彼には似つかないかわいい動物のスタンプがメッセージに送られてきたのを確認したあとで、わたしもスタンプを一つだけ送り返した。犬飼先輩は「なまえちゃんも用事が終わったし、これ以上話してると帰りも遅くなっちゃうだろうから、おれはそろそろ行こうかな」と言った。「またね、なまえちゃん。三門市に遊びに来るときは絶対連絡してね」そう彼は手を振り去り際にそう言った。もう三門市に用事があることなど何もないため、行く用事もないだろう……わたしはそう考えていた。犬飼先輩の背が見えなくなるまで、わたしは彼を見送った後で、帰路についた。



「結局全部先輩に仕組まれてたんじゃないですか」
「やだなあ、なまえちゃん」

あの日犬飼先輩と偶然の邂逅を果たした日から三か月が経とうとしたとき、わたしの職場が倒産した。次の仕事を探さなければ、と思い就職活動を始めようとした時期に、犬飼先輩からあの日ぶりに連絡が来たのだ。『最近どう?』そのような、簡素なメッセージだった。その時にわたしは倒産して職場がなくなったことと転職活動をしているという話を彼にしたのである。その日から色々なことがあり、わたしは三門市に再び戻っていた。もう二度とここに来ることはないだろうと思っていた土地にである。「仕事なら嫌って程あるよ。給料も前職の倍は保証するけど?」その甘い言葉につられたわたしが最も悪いのだということは分かっているのだが、このようなことになるとは全く想像していなかったのである。わたしのボーダーへの再就職はわたしが想像していたよりもすぐに決まり、本部に住まいを割り当てられ、わたしはそこで新しい生活を送ることになった。元所属していた部隊の面々が、わたしの復職を聞いて部屋にやってきては、「なんで連絡よこしてくれなかったんですか」と言って怒っていたけれども、少しだけそれが嬉しくもあった。
慣れない仕事が落ち着いてきたころ、わたしは犬飼先輩と二人部屋に居た。会議が終わった後、二人で残って議事録の整理をしていたのだ。わたしがキーボードを叩き終わったのを見た犬飼先輩が、「これでよさそうだね」と言った。わたしは、ボーダーで隊員をしていた時も、こうして本部のほうで仕事をすることになっても、相変わらず犬飼先輩の世話になっていた。何もかもが調子よくうまく進んでいく日常が少しだけ怖くなり「あまりにもことがうまく運びすぎて怖い」と漏らしたとき、彼は嫌な笑みを浮かべて言った。

「もし、何もかもが偶然じゃなくて必然だったら、どう思う?」
「そんな馬鹿な話があるわけないでしょう。それならあの日、犬飼先輩がわたしを探しに行ったことになるじゃないですか」
「うんうん、そうだね。もしおれがなまえちゃんを探してたとしたらどう思う?」
「そんなことありますか?」
「あるんだねえ」
「え?」
「ははは」

冗談ですよね、そうわたしが言うも犬飼先輩は全く教えてくれなかった。

「ボーダーで人が足りなくて人材探しついでに行方不明になったなまえちゃんを探しにいって、最良の人材とも言えるなまえちゃんの会社を調べたら結構傾いてて長くないなとは思っていたけど。仕事を失った後輩を助けられて、欲しい人材も手に入って、おれは満足だね」
「……全ては計画のうちだと?」
「あはは、そうとも言うね。結構、うまくいくもんだ」
「……」

犬飼先輩怖いですよ、わたしがそう言うと彼は笑っていた。「探偵ごっこっぽくて楽しかったけどね、おれは。でもおれがなまえちゃんだったら驚くかも」彼はカラカラと笑っていた。

なまえちゃんがここに居てくれれば絶対楽しくなると思ったからね。やっぱりその通りになった。おれも結構頑張ったもんだ」
「……先輩」
「どうしたの」
「先輩ってわたしのことそんなに好きだったんですね」
「そうだね。じゃないとここまでやらないよ。……なんで自分で言って照れてるの」
「照れてません」
「いいや、嘘だね。おれにはわかる」

犬飼先輩はひどく楽しそうな顔をして言った。

「……わたし、犬飼先輩にまた一つ借りをつくったわけじゃないですか」
「そうだね。でもおれにも得があるからそれでチャラかな」
「先輩のこと、前もよくわからない人だと思っていましたけど本当に何もわかりません」
「分からなくていいよ別に、おれが分かってるから」
「説明してくださいって話をしているんです」
「おれがどれくらいなまえちゃんのことを想っていたかってこと?」
「ふざけないでください」

犬飼先輩は冗談めかした笑みを浮かべて笑っていた。先輩がここまで楽しそうにしているところを、わたしは今まで一度も見たことが無かったので、わたしにはそれがひどく新鮮に感じた。


2023-11-05