小説

たかが占い

 『今日一日最高の運勢なのは──座のあなた!』家を出る直前に始まったテレビの占い番組に思わず視線が引き寄せられてしまった。占いで一喜一憂するようになったのはいつからか、今思い返してみればもうそれがいつからだったのかなど思い出せないのであるが、少なくとも一年前の己はテレビの星占いを見ることはなく、ただテレビから流れてくる星占いの音声をBGMにして話の内容を特に聞かないまま家を出る準備をしていたはずだった。今となっては毎日こうして流れてくる星占いの番組に耳を大きくして大真面目にテレビの言うことを聞いては、良い運勢の日は少しだけ気分がうれしくなったまま家を出て、悪い運勢の日は今日の占いは信じないと思って家を出るようになってしまった。クラスメイトの女の子たちが占いの結果について一喜一憂し話で盛り上がっているところを見かけた時に、占いなんていい加減な、くだらない話をしていると思って少しだけ小ばかにしていたはずなのに、今となっては自分がその占いに一喜一憂しているのだから、人生何が起こるか分からないものである。今となってはその時の彼女たちの気持ちが手に取るように分かり、あの時に戻れるのであれば自分もその話に混ぜてもらいたいと思うほどである。驚くほど器用に手のひらをひっくり返していることに、自分のことながら舌を巻くばかりである。
テレビの星占いが己の星座の運勢について、今日は最高の一日、恋愛運が特に好調だと言ったときに真っ先に期待したのは、同じクラスに居る少しだけ気にしている女の子のことだった。その子の見た目は自分の好みであると言うわけではなかったが、落ち着いた穏やかな性格と、己が滑った時にも少しだけ笑ってくれるような、ほんの少しだけ己に優しいところが好きだった。今日は月初め、クラスの恒例行事でもある席替えが行われる日である。今日の占いがもし当たるのであれば、もしかしたら隣の席になることが出来るかも知れない。隣の席になることが出来れば、この一か月は気になる女の子が授業中に少し眠たそうにしているところが見れるかもしれないし、もし女の子が教科書を忘れることがあるのであれば、「宮くんお願い、教科書見せてくれん?」とお願いをしてきて、それに頷き席をくっつけて一つの教科書を一緒に見ることがあるかもしれない。ただでさえ席が隣同士だというのに、より近い距離に居ることになるのだからその時間の授業は集中できないかもしれないとさえ思う。授業が終わったあとに、「宮くんは優しいなあ、ありがとう」と微笑んで言ってくれれば、もうそれ以上に嬉しいことはないだろう。気になる女の子と近くに居続けることが出来る一か月のことを想像するだけで胸が高鳴った。まだ、隣の席になると決まったわけでもないのに、己の脳内を占めるのは好きな女の子が隣に座るバラ色の一か月が始まることへの期待、そしてこれから始まる最高の学校生活のことだった。好きな女の子が隣の席から、「おはよう、宮くん」と言って挨拶をしてくれたらその日の一日の始まりはどんな嫌な日であっても良い日に違いないと思うし、「ねえ、宮くん」と言って話しかけてくれたらもうその日は最高に幸せな日になるに違いない。今日は一日運勢の良い日、そう占い番組が言ったことを頭の中で反芻しながら、なんだか今日は本当に良いことが何か起きるような気がして晴れやかな気分のまま、家を出た。

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 一日の授業が終わり、帰りのホームルームで席替えが始まったとき、ようやくこの時間がやって来たと思った。今日この日のことを考えていたせいで、一日中気持ちがどことなく落ち着かなかった。気になる女の子は、己の対角側の席に座って教壇に居る委員長の顔を見ているようだった。頼むで、委員長と心の中で委員長に祈りをささげた。いまこの教室に席替えの神様がいるのだとしたら、くじ引きのくじを作った委員長が神様であるに違いないのだ。席替えのくじの入った箱が教室をめぐり、いよいよ己の番がやってきた。頼むで委員長、そして、今日の星占いの占い師──俺の席替えの結果を託す!彼女の隣の席を俺にくれ!そう祈りをささげて箱の中に手を突っ込み、くじを引いた。くじ引きに書いてある番号を眺めたあと、黒板に書かれている座席表の位置を眺める。後列の窓際、日当たりもよく気持ちのいい場所である。席の位置に対する文句は無かった。委員長の指示で、黒板の座席表の番号に、クラスメイトの名前が埋められていった。あの女の子の名前が呼ばれるまでにはまだ随分と時間がある。頼む、この通り──!今日の占いの結果は最高の運勢なんやろ、特に恋愛運は、そう朝の占い番組に祈りを捧げていると「侑」と自分の名前が呼ばれた。祈っている間に、委員長が己の名前を呼んでいたのだ。慌てて座席の番号を言うと、黒板の座席表に己の名前が書かれた。あの子の名前が呼ばれるまで隣の席が空欄でありますように──己の名前が呼ばれた後からは、そう祈りをささげることしかできなかった。いつ黒板に書かれた座席表の己の隣の席に名前が埋まるのか、胸がドキドキと音を立て始める。──頼む、あの子の名前が呼ばれるまで埋まらんといてくれ!こんなに緊張感のある席替えをやったことは今まで一度もなかった。たかが席替え、されど席替え。これから始まる最高の学校生活の己の隣の席に、彼女の存在は必要不可欠であった。いよいよ、彼女の名前が呼ばれてしまった。「わたし、──番です」そう彼女の声が、騒がしい教室の音と音の間を縫って聞こえてきた。彼女の言った番号、そこは──『侑』と名前の書かれた隣の席の番号だった。よっしゃ!今すぐ立ち上がって大喜びしたい気持ちだったけれども、それは抑えた。心の中で大きくガッツポーズをして、朝の占い番組、それから教壇に立つ委員長に最大の感謝をした。ありがとうなあ、委員長、そして占い師のナントカさん──アンタの占い最高に当たるで。これからも占いを信じて俺は生きていくと決めた。そう心の中で呟いた。クラス全員の名前が黒板の座席表に埋まった後、いざ席を移動すると鳴った時に、気になるあの子が「委員長」と言って手を挙げた。

「どうしたん、みょうじ
「わたし、目ェ悪いから席前の方に変えてくれん?」

──は?

目ェ悪いから席前の方に変えてくれん?そうあの子の言った言葉の意味が全く理解できなかった。いいや、言っていることは理解できるのであるが、脳みそが追いつかなかったというのが正しい。目が悪いのは仕方がない。前が見えないから席を変わってくれと言う言葉の意味も理解できる。もし己が前列を引いていたのであれば、俺が席を変わって「宮くん優しいね」と言われたい気持ちだってある。しかし今は己の隣から彼女が居なくならないでほしいという気持ちの方が強かった。目が悪いことは仕方のないことである。しょうがないことは重々承知の上だった。しかしながら、それはそれ、これはこれだった。委員長は「前の席の人で変わってくれる人おらん?」と言ってクラスメイトに声をかけている。誰も変わるな、俺のこれから始まる最高の生活が音を立てて崩れようとしている。俺の夢の生活を邪魔する奴は誰も許さへんぞ、目の代わりなら俺がいくらでもするから席を動こうとせんでくれ──その祈りはむなしくも届かなかった。「じゃあアタシ変わるよ」そう、クラスメイトの心優しい女の子が手を挙げた。前列の彼女と気になるあの子の席の場所が入れ替わることになり、己の期待した夢で溢れていた学校生活は音を立てて崩れ去って行ってしまった。何が占いや、何が最高の運勢や、ふざけるな!
2022-06-05