小説

先代の見た夢

「あなたはここで何をしているのですか?」

 長かった戦争は、ようやく終わった。テイワット大陸で起きた魔神たちによる戦争の戦禍はすさまじく、草木一つなくなるだけならまだしも、地形すら大きく変わってしまった場所もあった。元来この土地に住んでいた人々は戦禍に追われるように生活を追われ、焼けた土地から逃げ惑い、魔神の庇護の元に集い、身を寄せ合いながらも確かに生きていた。この土地に住まう人々を巻き込みながら起きた長い長い魔神戦争はようやく終わった。多くいた魔神たちは何柱かを残し、この大陸から去って行ってしまった。去らずにこの大陸に残った魔神たちは、それぞれの民を率いて国を作りはじめた。この、璃月という土地は、岩王帝君が神の座につき人々を率いていた。岩王帝君と、彼に付いて行った人々は、一歩ずつ着実な足取りでこの国を少しずつ発展させようとしている。人々がひとつの場所に集まったことで璃月港という一つ、璃月という国の中で最も発展しようとしている都市が生まれようとしている頃のことだった。人々の集まる璃月港から随分離れた場所に、女はひとり居た。戦禍により草木が燃え尽き黒い砂を晒した土肌をしている、殺風景な場所だった。私の目には、その女が璃月港に行ってしまった人々の群れから一人はぐれてしまいこの場所に取り残されてしまっているようにも見えた。その女の小さな背中に向かって、思わず声をかけた。「あなたはここで何をしているのですか」そう、声をかけると女は振り返り、名前を呼んだ。「甘雨さま」女は目を丸くして、私の顔を見ていた。どうしてこの場所に居るのかと問うているようにも見えた。

「花の種を植えています」

女はそう、私の質問に答えた。確かに、女の手元には小さな籠が小脇に抱えられている。女が見せてきた籠の中身を覗き込むと、様々な花の種がそこには入っていた。「……花の種ですか」そう呟くと、女は「ええ」と言って微笑んだ。

「何故花の種を植えているのですか」
「ここは殺風景な場所ですから。花でもあったら良いだろうと思いまして」

女は花の種を撒きながらそう答えた。女はこの場所に花を咲かせようとしているが、すっかりやせてしまったこの土地に花の種を植えたところで、女の撒いた花の種が芽を出すことはないだろうということを察してしまった。このやせた土地が花でいっぱいになることは、それこそ奇跡でも起きない限りは起こらないだろう。「……」女の言葉に何も答えられずに黙っていると、女は「……甘雨さまが言いたいことは言わずとも分かりますよ」と言って曖昧な表情を浮かべていた。

「この土地には花が咲かないことはわたしも分かっているのです」
「それならば、どうして」
「それでも諦められないのです」

女は真面目な顔をしてそう言った。

「長い長い魔神戦争が起こる以前、わたしの一族はこの場所で花を植えていたのだと聞きました。祖母から母へ、母からわたしへと世代を越えて、わたしにその話と花の育て方を残した理由はきっと、戦争が終わった今この場所でわたしに花を植えてほしいからだと思いました。顔の知らないわたしの祖先が見た花でいっぱいの土地をもう一度見たいというのは、わたしに花の育て方を伝えた母や、祖母たちの悲願であるに違いありません」
「……代々受け継がれてきた願いですか」
「ええ。甘雨さまはこの場所が花でいっぱいになっているところを見たことがありますか?」
「いいえ。見たことがありません」
「……そうですか。甘雨さまであれば知っているかもしれないと思いましたが、甘雨さまが知らないのであれば、知っているのは岩王帝君くらいかもしれません」
「ええ。岩王帝君であればご存じかも知れません」

女が口を閉じ、暫く黙った後で再び口を開いた。

「わたしにはこの場所が花でいっぱいになっているところが、あまり想像できません。わたしが知っているこの土地は、初めから殺風景な土地でした。人が誰も寄り付かないような、寂しい土地です。人々は皆璃月港へと行ってしまいましたから、余計にこの場所には人は来ないでしょう。もし花でいっぱいになることがあれば、それを見に人が来てくれるかもしれません。今は寂しい土地ですが、ここが人でにぎわうところをわたしは見てみたいと思っているのです」

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 女の生涯、このさみしい土地に花が芽吹くことは無かった。仕事の合間、時間があるときにたびたび女の元を訪れては花の様子を見に行ったけれども、やはりやせた土地で花を咲かせるのは難しいことだった。女はやせた土地に花が芽吹くように、試行錯誤を繰り返していたのであるが、女の尽力が実を結ぶことは無かった。人間の寿命は短い。ほんの百年程度という、私の寿命に比べればずっと短い時間しか女には残されていなかった。すっかり年老いた女が、花の種を植えたときに呟いた。「……この場所で花を植える人間はもう居なくなります」そう、丸まった小さな背中を見ると胸が痛くなった。女が生きている間に、女の見たいと望んだ景色が見れることを、私は心の底から祈っていた。老いた女が、しゃがれた声で「甘雨さま」と私の名前を呼んだ。「はい」女の呼びかけに返事をすると、女は「お願いがあります」と言った。

「わたしの死後、もしこの場所に花が芽吹いたら、その時はその景色を見届けてほしいのです。わたしはもう長くありません。この種が芽吹くところすら見れないかもしれません。咲いた花が誰にも見られないのは寂しいことですから」
「ええ、わかりました」

女と最後に言葉を交わしたのは、それが最後になってしまった。女と口約束を交わした次の日、この土地にはやさしい雨が降った。女が生涯をかけてこの土地に尽力してきたことに報いるような、穏やかでやさしい雨だった。



「甘雨さま、どうしてこのようなところまでいらしたのですか」

人々は、私の姿を見かけると優しく声をかけてくれた。一面に広がる花畑、黄色や青、さまざまな色の花が空に向かって咲いている。うつくしい色の花びらをした花々が、この一面を埋めていた。うつくしい花畑を見に来た人々が、楽しそうに言葉を交わしては笑っていた。穏やかな風が吹き、燦燦とした陽光が降り注ぐ、気持ちのよい日だった。「ここに居ると昼寝がしたくなりますよ」そう、人々が言うのを聞きながら、かつてこの場所で花の種を植えていた女のことを思い出していた。女の死後、女に報いるように一つだけ花の芽が出た。その後、ぽつぽつと芽吹き、この場所はうつくしい花畑へと姿を変えた。やせていた土地は女の長年の尽力の成果が、女の死後に実を結んだのである。うつくしい花畑があると聞きつけた人がこの場所を訪れるようになり、その人々を相手に商売を始める人がやってきて、この花畑を守るために花の育成に詳しい人間が現れ、一つの小さな村が出来るようになった。彼女の生前、女ひとりしか居なかったあの寂れていたさみしい土地からすっかり姿を変え、今となってはあのさみしさすら信じられないほど、人で賑わう場所になっていた。女が生前見たかったと思っていた景色はきっと、いま私の目の前に広がる景色そのものなのかもしれない。女の先代、先々代と戦禍により花が咲いているところすら見れなかった人たちが、花が咲き誇る景色の話を口伝えで言っていた景色はもしかしたらこのことなのだろう。今となっては答え合わせをすることなど出来ないが、これがあの女の見たかった景色なのであれば、彼女にも見せたいと思った。今となっては叶わぬ願いであるが、もし女に何かを伝えることができるのであれば、あなたのつくった花畑はとてもうつくしいものであると、そう伝えたかった。
2022-05-14