小説

宛てなし

#捏造設定が含まれます
#三門が平和になった後数年後くらいの設定

 水の上に浮かべた、直径が五十メートルほどありそうな円盤の形をした板のようなもののことを、この星ではフネと言うらしい。己のいた星でも船という乗り物を見たことはあったが、このような形のフネは存在しなかったので、乗るときに少しだけ不安になってしまった。フネの甲板の上におそるおそる足をつけた瞬間ぐらりとフネが傾いて足から水中に沈んでしまいそうになり、慌てて足を上げたら、豪快に笑われてしまった。「沈まねえよ」川渡し(川とは言うが、湖や海の方が正しいかもしれない)の大柄な男はそう、己の頭の中にうっすらと浮かんだ不安を取り除くようにそう言って、再びフネに乗るように促した。再び、おそるおそる足を円盤の上にのせ少しずつ体重をかけたが、今度は沈まなかった。先ほど沈んだのは何だったのだろうと、そう問えば、男は「初めてなんだろう?少し意地悪がしたくなっただけさ」といたずら子のような笑みを浮かべてそう言った。もう一人の乗客がフネに足を踏み入れた時、フネは沈まなかった。「これ、どうして浮いているの?」そう問えば、川渡しの男は「俺が浮かせてるのさ」と言って豪快に笑っていた。答えになっていない返事を聞いて、思わずつられて笑ってしまう。
 この星は水の塊の上に、小さな島がぽつりぽつりと浮いている。そのぽつりぽつりと浮いている島の集まりが、国の形を成していた。己の生まれ故郷の星も、膨大な水の塊である海があり、海の上に大陸が浮いているようなものだったけれども、この星ほど大きな水の塊では無かったと思う(あくまで、自分の見えている範囲の水の塊がそうだったというだけで、もしかしたら自分の住んでいた星の行ったことのない国ではこれほどの大きな水の塊が見える場所があったのかもしれない)。この星は、水の塊が星を形どっている、と言った方が正しいように見えた。住んでいる人々は、この水の塊の上にお情け程度に置かれた小さな島の上に住んでいるようだった。島から島への距離が近いところもあれば、やけに距離の遠いのところもある。青い太陽の光の降り注ぐ空を眺めてみたけれども、航空機のような乗り物の姿は見たことが無いから、この星にある乗り物はフネだけなのか、それとも、もっと別の移動手段があるのかもしれない。
 フネは静かに水の上を進んでゆく。柔らかな青い太陽の日差しが燦々と降り注いで、心地の良い風が吹いている。トリオンで出来たからだではなく、生身の肉体であれば尚更気持ちが良かったかもしれない。モーターの音一つ立たないこの乗り物は、すいすいと穏やかな波の上を進んでいた。このフネという乗り物が、どのような技術で動いているのか、目で見ただけではさっぱりわからなかった。己らの住んでいた国の船のような科学技術を結集した乗り物のようには見えないので、多分、トリオンで動いているのだろうとあたりをつけた。
 川渡しの男と、客の男と、己の三人だけが、このだだっ広いフネの上に乗っている。客の男は、フネの進行方向の前の方に座り、己は川渡しの男の隣に座っていた。川渡しの男は、両手を組んでフネの上に座って目的地の方角をじっと見据えていた。「いつも人はこれくらいなの?」そう、隣に座る川渡しの男に己が問えば、彼はこちらを一切見ず、進行方向をずっと見たまま「ああ、そうだ」と答えた。「向こうの街に行くにはこれ以外に行き方があるんです?」そう続けて問えば、男は豪快に笑った。「向こうの街に行く?」そう、己が言った言葉を繰り返すように言った。何らおかしなことを一言も言っていないのにも関わらず、隣の男にはその言葉自体がおかしなことだったのかもしれない。

「この星の人間は生まれてから死ぬまで自分の住んでる島から出ねえよ」
「へえ」
「フネに乗る奴は行商人か街から追い出された人間か、お前みたいな旅客くらいなもんさ」

そう彼は言った。「初めてなんだろう?」と彼が己に対して言ったのは、この男の目には己がれっきとした外の者であるということが分かっていたからなのだろう。この星にたどり着いてから暫く、街で過ごしたときに感じた好奇の視線の理由を今しがたようやく理解した。ということは、甲板の先頭の方に座るもうひとりの客も、きっと外から来た人なのだろうか。もう一人の客人は、こちらを少しも見ようともしなかった。進行方向を見据えて、ただ黙ってフネに座っている。その背中が、自分に話しかけるなと言っているように見えたので、己から彼に話しかけることは無かった。



大きな水の塊を渡った先は、この街に来る前に見た街に比べて随分栄えているようだった。この星にある数ある都市の中でも随分栄えているように見えた。背の高い石造りの建物をぐるりと見渡したあと、それらの間をすり抜けるようにして、このあたりで一番人が多いだろう市場に向かう。市場には魚や野菜が多く並び、肉類はあまり多くないように見えた。値段も魚は手頃な値段で売っているけれども、野菜や肉類はほんの少しだけ割高だったのを見たところ、このあたりは魚で生計を立てているところが多いのだろう。街は平和だった。人々は日々の生活を謳歌し、目に見えて明日の生活に困っていそうな人の姿も見えない。この国は平和だといっても間違いではないだろう。あたりを歩いている多くの人から視えるほんの少し先の未来はどれも明るいものばかりで、この国の破滅のようなものは少しも見えない。それもそうか。この惑星は、己がこの惑星に来る一つ前の星と軌道が隣接したのを最後に、他の惑星との距離が随分と離れてしまった。この惑星が次の惑星と隣接するのは、年単位で先のことになる。少なくともその時期が来るまでは、この国で何かが起きることはないだろう。平和な街を眺めながら、己が自分の住む星をでて、外の惑星を旅しようと思った時のことをふと、思い出した。もう、自分の住む地域が当分何も起きないだろうということ、もし予知が外れたとしても、あの場所を守れる人たちに背中を預けても問題ないと思ったときに、なんとなく外の星を見に行きたくなった。それは、三門市で役割がなくなった己が、他の惑星であればまだ己を必要とするところがあるのかもしれないという淡い期待もあったのかもしれない。別に、彼らがもう己のことを必要ないと言ったわけではない。彼らは旅に飽きたら帰って来いと言っていたし、三門での生活に不満があったわけではなかったのであるが、やることが無くなってしまった後で、ただ漠然とあの場所にとどまり続けていることに居心地の悪さを勝手に感じたのは自分の方だ。しかし、己の能力が期待される惑星は今のところ、どこにも無かった。それはとても良いことに違いなかったが、ほんの少しの落胆もあった。何もしなくてもよいという状態に慣れなければならないということを、頭では分かっているつもりだったが、心のほうはなかなかそれに付いて行ってはくれなかった。平和であることを良しとしながら、自分の能力が必要とされる場所をどこかでずっと探している。平和を享受しながら、心のどこかではそれらを完全に受け入れられずにいたのであるが、その心境を吐露することは許されなかった。

「おい」

街中を歩いているときに、誰かの声が聞こえた。誰かを呼び止めるような声を聞きながら、一歩足を踏み出したとき、服の裾をつかまれたので、声の主が呼んでいたのが自分だということに、その時になって初めて気が付いた。己の服の裾をつかんだ人の姿に、心当たりがあった。同じフネに乗っていた、寡黙な乗客だった。鋭い男の目は、己の双眸を射抜くように見ていた。「どうかした?」そう、彼に話しかけると、男は「こっちに来てくれ」と言って裏路地の方へと歩き出した。男に付いていく義理は無かったけれども、暇を持て余していたし、男が己に害を与える人間であったとしても、うまく立ち回れる自信があったから彼の背中に付いて行った。ここのところ暫く感じることのなかった、殺伐とした雰囲気に当てられてしまっただけかもしれない。この平和な世界の中で、この男の放つ空気だけが異常だった。己に限りなく近しい匂いというものは、彼のような物なのかもしれないとぼんやりと思った。うす暗い裏路地に入った後で、男は口を開いた。「俺と組まないか」男の言葉の意味は、全く理解できなかったが、彼の言う言葉が、この街にとってよしとしないことを言っているということだけは分かった。「おれには意味がよくわからないけど」そう、彼に言うと男は「お前はこの国のことを何も知らないのか?」と逆に問うてきた。「数日前に来たばかりだからね。何も知らないよ」そう彼に言うと、彼は「そうか」と言った後で話を続けた。

「惑星をずっと渡り歩いるだろう」
「ああ、そうだよ」
「だろうな」
「で、本題は?」
「俺はこの国で革命を起こそうと思っている」
「……そんなたいそうなこと、見ず知らずの人に言う?」

男は随分無理なことを言っていた。そういう話をするのであればそれ相応の場所というものがあるはずであるのにも関わらず、街の喧騒の中から裏路地に入ったところでそのような話を振ってくるのだ。どこの誰が聞いているのかもわからない場所でそのような話をするのは不用心すぎる。しかしながら、この男の眼の色から、この男が冗談などではなく真剣な顔をしてそう話していることはわかった。視えたほんの少し先の未来は、何の変哲もない平和な国の姿だった。この男が革命をすると言っているのが口先だけなのか、それとも計画が頓挫して革命自体が無かったことになるのかまでは視えなかった。男は、己の目を見て「お前は俺と似たようなものだろう」と言った。その言葉に、平和な世界という場所に上手く馴染めていない自分の姿を指摘されてしまったようで、背がすっと冷えるのを感じた。「目の動き、街の歩き方。戦争を忘れた人のものではない」そう、男は言った。よく見ている、素直にそう思った。「おれのこと、どこから見てた?」「さあな」男は何も答えてはくれなかった。少なくともこの男には兵士としての能力が少なからずあるのだろうということだけは、わかった。しかしながら、軍師としての才能は全くと言っていいほどないのだろう。

「俺は先の戦争で兵士をやっていた。もう、十年近く前の話だ。戦争が終わり、この国はすっかりだめになってしまった」
「そう?この国の人たちは皆生き生きしているように見えるけど」
「それは表だけだろう。兵士だった者は皆行き場をなくしている」
「兵士のための国でも作ろうとしているの?」
「ああ」
「今平和を謳歌している人たちのことは無視して?」
「それはその時に考えればいいだろう」
「……おれは協力できないね、他をあたってよ」

男にそう言うと、彼は残念そうな顔をしていた。そして、男がトリガーを手に持ち起動させるよりも早くに、自分のトリガーで男のトリガーを叩き斬った。真っ二つになって地面に転がったトリガーを見た男が呆然とした顔で、かつてトリガーだったモノの残骸を見つめている。「お前は俺と同じようなものだと思ったんだがな」そう、男がぼやいた。

「同じって、どういうこと?」
「平和に馴染めないはみ出し者ってことさ」

男はそう言って黙り込んでしまった。己はその言葉を強く否定することが出来なかった。「さあね」そう、曖昧な言葉で濁すことしか出来なかった。平和に馴染めないはみ出し者、と言う言葉が刺になって自分の喉に刺さってしまったようだった。暫く黙った後で、彼に向って言えた言葉は「そうだ、君も旅に出るといいよ」という言葉だけだった。もしかしたら、自分の力が必要になる惑星があるかもしれないしね、そう言うと、男は暫く黙り込んだ後で、「お前がそうしているように?」と問うてきた。己がこうして次の惑星の旅に出ては、平和な国を眺めて安堵した後で心の奥底で何処か物足りなさを感じているのは、自然にその場所に自分の役割が無いということ悟っているからなのかもしれない。自分の役割のない惑星で過ごす日々に慣れたいという思いが半分、自分の役割がありそうな惑星を期待している気持ちが半分、どっちつかずのまま、己の心はふらふらとしている。以前の己は、自分の未来予知を使わなくて良い世界を求めていたはずなのに、それがいざ達成されてしまうと、どうしてよいのか分からなくなってしまった。己の旅の行先は、相変わらず決まっていない。暫く惑星を渡り歩いた後で、ゆっくり割り切って行ければよい思ったのであるが、相変わらず見つけられずにいる。その中で、この男の誘いと言うものは、自分の能力が上手く使える場所を提供されるようで魅力的ではあったけれども、その誘いに乗ってしまえば、今度こそ己は三門という平和な街に帰った後に穏やかな生活を迎えることが出来なくなってしまうだろうと考えて、男の甘言に乗るのはやめた。男の問いは、己が自分の居場所を探して放浪しているのか、という質問であったがその答えに悩んでしまった。自分の役割のある場所が欲しいという気持ちが半分、役割のない場所での居心地の悪さを感じずに生活がしたいという気持ちが半分で揺れているのだから、その問いの適切な返答が見つからなかった。「……そうだね」男にはその言葉の答えが、どのような形で受け取られたのかは分からないが、男は「そうか」とだけ言って街中の喧騒の中へと消えていった。うっすらと見えた男の未来には、この惑星ではないだろう別の地域が映っていたので、もしかしたらあの男はこれから次の惑星に旅をするのかもしれないとぼんやりと考えたあとで、自分の旅の行く末のことをほんの少しだけ考えた。
2021-11-21