小説

たとえば彗星が落ちてきて#3

 休暇の申請は無事に通った。なまえと旅行に出かける約束をしていた四月の末までそう日がない中で、急に休暇の申請してしまったことから、職場に嫌な顔をされることを少しばかり覚悟していたが、それは杞憂に終わった。休暇の連絡をしたときに、角名くんもゴールデンウィークを楽しんで、言われたことから、自分以外にも、休暇を取って長いゴールデンウィーク休暇を楽しもうとしている人がいるのかもしれない。自分の休暇申請が無事に取れたことををなまえに伝えると、なまえからも休暇が取得できたという連絡が来た。己らの、終末旅行における大きな課題でもあった、職場での休暇の取得が無事行えたことから、なまえとの終末旅行は無事に実現することが出来ることになった。バレーボールがオフシーズンに入ったおかげで、所属チームの会社の社内業務を終えて家に帰る日々を繰り返し、家に帰っては旅行が楽しみだと浮かれているなまえのことを見ているうちに、月日は飛ぶように通り過ぎていった。バレーボールではなく社内業務をこなして過ごす日にも少しずつ慣れてきたころ、四月の終わりがやってきた。四月最後の出社日を終えて家に帰ると、なまえが旅行の荷物を詰めていた。なまえのキャリーバッグに荷物を詰めるだけではなく、己のボストンバッグの中に、己の荷物まで入れてくれていたなまえが、仕事から帰ってきた己を迎えてくれた。「角名くんおかえり」そう言うなまえに、「今日は仕事じゃないの?」と問えば、なまえは「月末だけど仕事詰まってなかったし、良いかなって思って休みにしちゃった」と言っていた。なまえは、今日一日休みをとって、一日家にいて旅行の準備をしていたようだった。なまえは、「ほら、荷物まとめないといけなかったし、休みを取って丁度よかったよ」と、荷物を詰めたバッグを己に見せながらそう言った。自分の荷物は自分で詰めようと思い、仕事を早くに終えて家に帰ろうとは思っていたけれども、まさか自分が家に帰る頃には、己の分までなまえが荷物を詰めていてくれているとは思わなかった。「俺のぶんまでありがとう」となまえに言えば、なまえは少し照れ臭そうな顔をしていた。そうして、「適当に詰めちゃったから、他に持っていくものあったら入れてね」と言っていたけれども、なまえが詰めてくれた荷物を見る限り、必要そうなものは全て入っているようだったので、自分が何か荷物を入れなければならないようには見えなかった。旅行の準備を楽しそうにしているなまえの横顔を見ながら、なまえの手伝いをしようとしたけれども、それは断られてしまった。「準備、結構楽しいからわたしがやりたい」そう言われてしまえば、手も足も出しようがなかった。なまえは、これからはじまる兵庫への旅行を目一杯楽しもうとしているように見えた。あの胡散臭いオカルト番組曰く、人類が滅亡する最期の日を、これからなまえと一緒に過ごそうとしているのにも関わらず、己となまえの間には、人類滅亡に対する悲壮感は微塵もなかった。人類滅亡の終末を一緒に迎えるというのはただの理由づけにすぎず、なまえは己との旅行を、ただ楽しみにしているだけなのかもしれない。なまえとの付き合いは高校生の頃からで、それなりに長く続いているけれども、その長い付き合いの中で今まで一緒に旅行に出かけたことは一度もなかった。旅行に行ってみたいね、という話はしていたけれども、そう言う話をするだけで旅行の計画を立てるところまで行きつかなかったのである。あの、胡散臭いオカルト番組の言う人類滅亡の日というものを心から信じているわけではないということは、己も十分かっていたけれども、なまえが人類滅亡の最後の日を一緒に己と過ごすという言い訳をして、一緒に旅行に行きたいと言ったせいか、なまえはふとしたときに「人類も滅亡するし最期くらいは楽しまなきゃね」と己に言ってくるので、「あのオカルト番組を本気にしてる?」と何度か問うてしまった。「本気で信じてるの?」そう、なまえに問うたときになまえは「さあ、どうでしょうね」と含みを持たせたような、意味深な笑みを浮かべながらそう答えるのであるが、大真面目に信じているようなそぶりは見せていなかったけれども、人類滅亡の話をことあるごとに己に言うのが可笑しかった。そんななまえの、オカルト番組を良い訳にした調子の物言いに付き合うことを決めたのは己自身だった。なまえが人類滅亡の話を出してくるたびに、己が「そうだね、最期だし楽しいことしないとね」となまえに言うと、なまえは「そうだよ、角名くんも楽しんでよ」と上機嫌な調子で言うのが尚更おかしかった。少しもあの番組のことを信じていないくせに、人類滅亡にあやかってモノを言うなまえというものがどうにもちぐはぐに見えたからである。なまえと初めて出かける旅行の行き先は、過去に自分たちが同じ学舎で過ごした兵庫の土地であった。行ったことのない土地に出かける時の期待のような、どこか真新しい気持ちは全くと言っていいほどなかったけれども、己も心のどこかではなまえと一緒に旅行に行くことを楽しみにしていた。たとえその行き先が、過去に自分たちがもう嫌と言うくらい過ごした場所であったとしても、だ。なまえが旅行を楽しみにしている様子が、子どもっぽく見えて仕方がなかったのであるが、己もどことなく浮かれていたので、人のことを言えないように思う。
 荷物を整理しているなまえを横目に見ながら、荷物を纏める手伝いを拒否されてから、手持無沙汰になっていたので、なまえがテーブルの上に置きっぱなしにしているタブレットに手を伸ばした。タブレットの画面には、つい先ほどまでなまえがみていただろう兵庫の宿泊先候補のホテルが表示されていた。明日から旅行に出かけるというのに、己らは未だ宿泊先の予約をしていなかった。いずれやろうという話をなまえとしていたけれども、なあなあにしてしまっていたせいですっかり後回しにしてしまっていたのである。ツインベッドの部屋に候補を絞ってホテルを探してみると、ゴールデンウィークに入るせいか、どのホテルも部屋がなかったり、あったとしても部屋数の残りが一部屋のみになっているか、それなりの値段のする部屋しか残っていなかった。なまえに、どこに泊まりたいかを問えば、高すぎもせず安すぎもしない程よい金額のビジネスホテルの名前が、彼女の口から出てきた。

「折角旅行に行くのにビジホでいいの?」
「そこそこの値段の部屋ってビジホくらいしかないよね?」

そう言うなまえは己に「角名くんはどこがいいの?」と問うてきた。「折角旅行に行くんだし、もっと値が張ってもいいんじゃない」と言ったのは己で、なまえはそこまで高いところじゃなくてもいいと言って、安い部屋を提案してきたのであるが、これから迎える最期の日なのに部屋に妥協をしたくないと言い張って、自分のわがままを押し通した。兵庫の夜景が綺麗に見える、高層階のホテルの部屋を選んでなまえにタブレットの画面を見せると、なまえは部屋の金額を眺めてしばらく固まっていた。「そんなお金どこから出てくるの」そう言うなまえに、「俺の財布から」と答えるとなまえはすっかり魂が抜けてしまったような顔をして己を見ていた。日頃あまりお金を使わないせいか、それなりにお金が貯まっているので、こう言う時の出費くらいならば別に痛くも痒くもない。「こんな部屋泊まれないよ」そう言うなまえに、「じゃあ、もっと高いところにする?」と問えば、なまえは勢いよく首を横に振った。「緊張して眠れなくなりそうだからいい」そう言うなまえがおかしくてつい笑ってしまった。「最期くらい妥協はナシでしょ」そう、終末を言い訳にしてしまえば彼女はもう何も言えなくなってしまうようで、なまえの方が折れた。己が、タブレットをつついてホテルを予約するのを横から見ていたなまえが、「もうこんなに高い部屋、一生泊まれないかもしれない」と大袈裟に言うのがおかしくて笑ってしまった。「でも、最期にはふさわしいでしょ」と言えば、なまえは「それもそうだけど……」と渋い顔はしていたけれども、予約した後ではもう諦めたような顔をして、己に頭を下げて「ありがとうございます」と畏まって言うものだから「そんなに大袈裟にしなくても良いのに」と言ってしまった。

「旅行の計画、行き当たりばったり過ぎない?」
「そう?」
「初めて角名くんとデートした時みたい」
「そうだっけ」
「あの時も結構行き当たりばったりだったよ」
「ははは」

なまえとの旅行に明日から出かけるということだけは決まっていたけれども、逆に言えば、それ以外何も決まっていなかった。静岡にある己らの住む家を出て新幹線駅に向かい、東海道新幹線に乗って兵庫まで行くことは決まっていたけれども、それ以外にどこに行って何をするかなどは何一つ決めていなかった。宿泊先を今更決めたくらいで、それ以外の計画は真っ白だった。なまえに行き当たりばったりすぎるよね、と言われた時に、己は高校生の頃、初めてなまえと出かけたデートのことを思い出していた。なまえが観たいと言ったシリーズ作品の映画を観に行こうというところまで決めてはいたものの、映画館の座席を前もって予約していなかったせいで、座席が取れなかったのである。渋々次の回までなまえと二人、映画館のベンチに座って大人しく待ちながらおしゃべりをして時間を潰したことを思い出したときに、昔から結構行き当たりばったりなことをしていたし、今回の旅行も行き当たりばったりでやるくらいが丁度よいのかもしれないと思った。それをなまえに伝えると、なまえは困ったように笑って「反省して計画的にやるとかじゃないんだ」と言っていたけれども、無計画に出かけてその時々で時間を潰してみたりするほうが、なんとなく己となまえらしいからそっちの方が良いような気がしてならなかった。

「あの時ちょっと早く行ってチケット取った方がいいよね?って聞いたのに角名くんが『ゆっくりしてからでいいよ』って言ったから席とれなかったんだよね」
「そうだね」
「今回の旅行もそんな感じでやるつもり?」
「いいんじゃない。さすがに、ホテルは先に予約するけど」
「あと新幹線も。連休だから席無くなっちゃうよ」
「最悪立ってればいいから新幹線は別によくない?」
「兵庫まで立つの?」
「運が悪かったらね」

なまえにそう言うと、彼女は笑っていた。タブレットで新幹線の予約サイトを開いて、なまえは新幹線の予約状況を見せてきた(指定席予約は、己らが予約状況を見た時には随分埋まっていた)けれども、己が行き当たりばったりで良いと言ってしまったせいか、なまえはそのページを閉じてしまった。

「わたし、こんなに行き当たりばったりの旅行するの、はじめて」

なまえは困ったような顔をしていたけれども、予約をしようとしないあたり、それでも良いのだと思っているのだろうと思う。「俺も行き当たりばったりすぎる旅行はしたことないよ」そうなまえに言うと、なまえは笑っていた。「角名くんはわたしと行かない旅行だとちゃんと計画立てるの?」そう、意地の悪い質問をしてきたなまえに、「ほら、俺じゃない人が計画立ててくれてたから」と答えると、なまえは呆れたような顔をして己を見ていた。

「俺は気分で適当に動く旅をしてみたいと思ってるだけだよ」

そう、適当に思いついたような言い訳をなまえにすると、なまえは「そっか」とあまり納得していないような顔をしていたけれども、「無計画の旅行もほとんどやる機会ないし、最期くらいそういう旅行もいいかもね」と言った。
2021-05-24