小説

デートのあとで

 部活の練習の後で、更衣室に戻ろうとしたときに、体育館の入口扉の前に制服姿の女子生徒が立っているのが見えた。もう誰と言わずとも、その後ろ姿で、誰なのかも、誰に用事があるのかもわかってしまった。部活が終わった後の時間はとうに陽が落ちていて、まだ春に程遠い冬の日の外は昼間に比べるとぐっと冷え込む。それなのに、みょうじさんはこの寒い中、体育館の入り口の扉の前の、体育館の中側ではなく外側にぽつんと立っていた。寒いのだから体育館の外じゃなくて扉の内側に居ればいいのにと思うけれども、運動部でもない子にとっては体育館の中に入るのは少し気まずいのかもしれない。体育館の中も決して暖かいとは言えないけれども、少なくとも風が吹く外に居るよりは随分とマシに違いない。気まずさと寒さであれば俺ならば寒さをとって体育館の中に入って待つな、と思いながら体育館の外で身を窄めているみょうじさんに「ねえ」と声をかけた。己が近くにいることに気づきすらしなかったみょうじさんが、少し驚いたような顔をして己の方に振り返って「角名くん」と己の名前を呼んだ。「中にいたら?」そう彼女に声を掛けたけれども、みょうじさんは黙って首を横に振っていた。「中だと気が散ると思って」そう彼女は言うのであるが、部活をやっている場所から体育館の入口側は見えないので、別に中で待っていてくれても構わないと思った。それを彼女に言うとみょうじさんは「そうなの?」と今更知ったような顔をしていた。みょうじさんに、「俺待ちであってる?」と問えば、みょうじさんは首肯した。

「まだ部活終わってない?」
「いや、もう終わり。後は着替えるだけかな」
「邪魔してごめんね」
「いや、いいよ。もう少し待っててもらえる?」

そうみょうじさんと話しているときに、体育館の中から「角名ァ」と己を呼ぶ声が聞こえた。あのやかましい双子が己の名前を呼んでいるのだ。みょうじさんは「行かなくていいの?」と問うていたけれども、「無視していいよ」と返した。居残り練習をギリギリまでやりたいと言い出して北さんに叱られるところまでが目に見えているので無視で構わない。「なぁ角名ァ」己が無視していることにしびれを切らしたのか、侑の方がこちらの方に歩いてきた。みょうじさんのことを見たらまた面倒なことになるだろうなと思って、つい渋い顔をしてしまう。体育館から出てきた侑が、己とみょうじさんの姿を見た後に、案の定、ニタリと嫌な笑みを浮かべていた。そうして、みょうじさんに「なまえちゃんずっと待っとったん?」と愛想よく声をかけていた。お前そういうキャラじゃないだろ、と思ったけれども突っ込むと疲れてしまいそうだったので何も言わなかった。みょうじさんは首を横に振って、「今来たところだよ」と言っていたけど、彼女の物言いを少しも信じていない侑はみょうじさんの顔と己の顔を交互に見た後で嫌な笑みを浮かべるのであった。「おい侑、角名まだか?」そう、侑の後ろから今度は治がやってきたのであるが、みょうじさんの姿を見て、「なんや角名、みょうじさん待たせとるんかい」と言った。みょうじさんを待たせてたんじゃなくて勝手に待ってただけなんだけど、とは言えなかった。治は、みょうじさんと己を面白そうなものを見るような顔をして見ていたので、この双子はそろいもそろって同じようなことを考えているに間違いないと思った。面倒なことになっているのにも関わらず、みょうじさんは全くと言っていいほど彼らの思惑に気づいていないのか、涼しい顔をして「侑くんも治くんも、部活お疲れさま」と言っていた。「ありがとうなあ」そう間延びした口調で双子はそれぞれみょうじさんにお礼を言っていた。愛想よくみょうじさんと話した後で、彼らは己の方を向いて、「早う角名着替えさせるわ」と言って、己の背中を押して更衣室に連れて行こうとするので「自分で歩ける」と言ったのであるが、妙に暑苦しい距離感は変わらなかった。「なまえちゃん、もうちょい待っとき」そう言う侑に、みょうじさんは「急がなくていいよ」と言うのであるが、双子は揃って人の話を聞いていないのか、「ええからええから、ほな」と言ってみょうじさんに愛想よく手を振っていた。みょうじさんから己らの姿が見えなくなったあたりで、双子がそろって「なんや、ええ感じやんか」と言うのが鬱陶しい。

「お前ら本当に何なの」
なまえちゃん待たせるのは良くないやろ、彼女を待たせすぎるのはアカンで」
「彼女じゃねえから」
「”今は”?」
「治お前何言ってんの?」
「喋っとらんで早う着替えたり、なまえちゃん待っとるで」

なまえちゃんかわええよなあ、そう侑が言った。

「愛想はわるないし、優しいやんか」
「なんや侑、みょうじのことよう知っとるな」
なまえちゃんだけや、最後まで俺を見捨てんかったんは」
「お前みょうじさんに何やってもらったの?」
「誰もが匙投げた俺の課題の面倒を最後まで見てくれた」
「最悪じゃん、なに迷惑かけてんの?」
みょうじもこんな奴見捨ててよかったんに」
「なんやねん二人そろって」

喚く侑を無視して着替えていると、侑が「だから角名」と妙に畏まって己の方を向いた。「なまえちゃんをよろしゅう」そう侑が言うので「よろしくもなにもないよ」と即答した。侑も治も、己とみょうじさんの間に何かあると思い込んでいるのだろうが、そんなことは少しもない。今の己に好きな子は居ないし、みょうじさんには好きな子が居る。隣のコートでたまに一緒になる女子バレー部の、溌剌とした女の子のことが好きなのだ。それを知らない彼らは、彼らの期待するような関係性が己とみょうじさんの間には一切存在しないというのに、彼らは己らの間に何かあると思い込んで、変にくっつけようとしてくるのが厄介だった。「着替えたんなら早うなまえちゃんのとこ行き」と言って侑に更衣室を追い出された後で、面倒臭いなと思わずため息が出てしまう。体育館の入口では、相変わらずみょうじさんがひとりひっそりと身を窄めて待っていた。

「早かったね」
「遅くなってごめん」
「待ってないから大丈夫」
「そう?でも外寒かったよね?」
「大丈夫。ぎりぎりまで教室にいたから平気」

身を窄めながら言うみょうじさんを見ていると、彼女の言うことに説得力が全くと言っていいほどないと思ってしまう。寒そうに身を縮めるみょうじさんの頭のてっぺんからつま先まで見ていると、みょうじさんは「今日もちょっと付き合ってよ」と言った。そもそも、己を付き合わせるつもりでこの寒い体育館で待っていたんだろうと思ったので、「いいよ」と返した。みょうじさんは「やった」と言って校門の方へと歩き出す。気持ち足早で歩くみょうじさんの歩調に合わせるように、彼女と並んで歩いた。己よりも頭ふたつぶんは低い所に彼女の頭のてっぺんがあるのを眺める。

「角名くんはいつも遅くまで部活やってるの?」
「だいたいこれくらいの時間までやってるね」
「結構長いね」
「そう?」
「他の部活の人たちはもっと早く帰ってたよ」
「へえ、みょうじさん詳しいね」
「角名くん待ってる時に教室からグラウンド見てたから知ってるだけだよ」

帰る方向が真逆の己らの中間地点でもある、学校の校門から少し歩いたところにある小さな公園に向かう。みょうじさんと些細な話をしていたら、すぐに公園についてしまった。人のいない公園は、静かだ。寒い上に夜も更けてしまった後では、公園で遊ぶ子どもたちの姿はすでに無くなっているし、放課後におしゃべりをするために公園に居座る同じ学校の生徒たちもいない。みょうじさんは、公園にあるブランコに腰を下ろした。「角名くん聞いてよ」そうみょうじさんはブランコを漕ぎはじめながら言った。「聞いてるよ」そう返しながら、ブランコを漕ぐみょうじさんのそばに立って彼女が大人しくブランコを漕いでいるのを眺めていた。みょうじさんの乗ったブランコが前後にゆらゆらと揺れる。このブランコは随分古いのか、彼女が漕ぐたびにブランコがキコ、キコと嫌な音を立てていた。ゆらゆらと揺れるブランコの揺れは次第に大きくなって、程よい高さまで上がるとみょうじさんが「うわ、ちょっと高いかも」と言って慌てだしたのか可笑しかった。みょうじさんの制服のスカートが風に揺れて遊んでいる。静かすぎる公園の中で、彼女のブランコを漕ぐ音と、楽しそうなみょうじさんの声はよく響いた。制服姿で学生鞄を肩に下げたままブランコを漕ぐみょうじさんと、ブランコの組み合わせはあまりによく似合わなかった。みょうじさんという、どちらかというと大人しそうな人が、ブランコを漕ぐという行動的なことをしていることが意外であるように見えたからなのかは分からない。みょうじさんはどちらかというと公園のベンチで大人しくしている方が似合うような気がしてならなかった。そんなことを考えているとは露程も知らないだろうみょうじさんは、彼女にとって丁度よいブランコの高さになったのか、ただぼんやりとブランコに揺られながら「デート、行ってきたんだよ」と打ち明けてきた。そういえばそんなことを言っていたね、と返せばみょうじさんは「そう、この間の話の続き」と言った。

「いいことでもあった?」
「それなりに」
「へえ、良かったじゃん」
「洋服を褒めてもらったよ」
「おめでとう」
「ありがとう」

みょうじさんの口から出てきたのは、彼女が好きな女の子とのデートの話だった。自分の家の最寄り駅から、大阪寄りにあるみょうじさんの好きな子の最寄り駅までわくわくしながら電車に乗ったこと、二人で合流した後で、仲良く大阪に向かう電車に乗りながら、小声でおしゃべりをしていたこと、行きたいと思っていた喫茶店までの道のりで少しだけ迷ってしまったこと、それから、お目当ての喫茶店のお客さんが大人ばかりで高校生の自分たちにはちょっと早すぎたかもしれないと思ったこと、喫茶店を出た後で大阪の繁華街を遊び歩いたこと、疲れてしまって帰りの電車に乗った時に好きな子に寄りかかって寝てしまった事が少しだけ恥ずかしかったこと──彼女の口から語られるデートの話を聞きながら、適当な相槌を打った。彼女の口から語られるデートの話は、たまに同級生の話題としてあげられる男女のデートのものとそう変りないものだった。性別が異性でないだけで、べつに、デートでやることに大差あるわけでもないか、と当然のようなことを思いながらみょうじさんの話を聞いていた。みょうじさんの口から出てくるそれらの話のすべてが彼女にとっては最高の経験だったのか、彼女の口はとてもよく動いていた。みょうじさんはたしかに、話しかければ喋ってくれるけど、彼女の方から饒舌に話してくるのを見るのは、前回の恋愛相談の時ぶりのように思う。

「楽しそうだね」
「楽しかったよ、本当に」
「良かったね」
「ありがとう、角名くんにお礼も言いたくて」
「俺、何もやってないじゃん」
「服を選んでくれたよ」
「あれは背中を押しただけだよ」
「そうかなあ」
「うん」

「あとね、恋愛の話をしたの」そうみょうじさんは言った。「へえ」そう相槌を打つと、みょうじさんはぽつぽつと喋りだした。「わたしは、──のことがすごく好きなの」そう、彼女の友人の名前を出してみょうじさんは言った。みょうじさんが、例の女子バレー部の子のことを恋愛的な意味で好いていることは知っている。学食で彼女たちと会ったとき、みょうじさんから一方的に邪魔をしてくれるなという顔をされてしまったのを見れば一目瞭然であった。みょうじさんがその子のことを好いているのは分かったけれども、みょうじさんの好きな子がみょうじさんのことを恋愛的な意味で好いているかまでは分からなかった。

「兵庫に戻ってきて、別れ際にね『わたし、なまえのことが好き』って言ってくれたの」
「良かったじゃん」
「これが恋愛的な意味なのか分からなかったけど、わたしは『わたしも好きだよ』って言ったの」
「へえ」

そうしたら、じゃあ両思いだねって言ってくれてうれしかった、とみょうじさんは言った。「角名くんに話してるけど、今も夢かも知れないって思う」と言った。彼女の唇からゆっくりと紡がれる言葉を聞いていると、彼女自身もその日の出来事が現実だったのか、それとも彼女にとって都合がよい夢を見ているのかが分からないのか、一言一言をかみしめるように言うのを聞いていた。

「わたしは友達的な意味でも、恋愛的な意味でも好きだよって言ったの」
「告白じゃん、やるね」
「うん、勢いで言っちゃった。あの子が、女の子のことを好きになってくれるか分からなかったから、ずっと言わずに黙ってるつもりだったんだけど、好きって言ってくれたのが嬉しくて言っちゃったの」
「おお」

それでどうだったの、そう彼女に問えば、彼女は照れたような顔をして俯いてしまった。そうして、暫く黙り込んだあとで、意を決したように口を開いた。

「『わたしも、なまえのことがそういう意味で好きかもしれない』って言ってくれた」
「両想いじゃん」
「うん、そうだったの」

それで、恋人の関係になれました、とみょうじさんは少し恥ずかしそうな顔をして言っていた。「角名くんにはいろいろと話を聞いてもらったから、ちゃんと言っておこうと思って」そうみょうじさんが言うのを聞いていた。「よかったね」そうみょうじさんに言えばみょうじさんは「本当にうれしい」と言った。あの時勢いだったけど告白して本当に良かったって思うよ、とみょうじさんは言っていた。そのときに見せたみょうじさんの表情が晴れやかなもので、いたく幸せそうに見えたので彼女の恋が実って良かったと、心からそう思った。
2021-04-04