小説

放課後相談教室

 「角名ァ、お迎え来とるぞ」部活が終わった後、ゆっくり着替えているときに更衣室に入って来た治がそう言った。「お迎え?」治の言う迎えに心当たりが全くと言っていいほど無かったので、彼の意図する言葉の意味が分からなかった。己の家族も、メッセージや電話で連絡を寄越すことはあるけれども、学校まで迎えに来てくれるようなタチでは無いからである。治が嫌な笑みを浮かべながら、「はよう行ったれや、随分待っとるんちゃうか」と言うので、若干嫌な予感を感じながら、急いで着替えた。汗でびしょ濡れになったシャツを鞄の中に押し込んで、新しいシャツを着たあとにジャージを上から着た。帰るだけならわざわざ制服に着替える必要もないのでこれで良い。「じゃあ俺行くね」そう更衣室で着替える同級生らに挨拶をし、先輩方に「お疲れ様です」と言って更衣室の外にでる。体が少しだけ冷えてしまったせいか、体育館の廊下の空気は少しだけ冷えているように感じた。今日は少し冷えるかも、と想いながら体育館の入り口ほうに歩くと、たしかに、そこには人影があった。遠目から見るに、制服の上にコートを着た女子生徒のようだった。一歩一歩、体育館の入口近づいていくにつれてその人影が、己のよく知る隣の席の女の子のみょうじさんだということに気づいたのと、向こうが己に向けて「角名くん、ちょっと付き合って」と言ったのは同じタイミングだった。

「こんなところで何してんの」
「角名くん待ってた」
「部活結構終わるの遅いのに?」
「連絡先知らないし、部活してるだろうから体育館で待ってたら来るだろうなって思って」

出待ちってやつだ、と言えばみょうじさんは首肯した。この寒い日によくそんな恰好で体育館の外で待っていたな、と思ってみょうじさんに「寒くない?」と問えば、「ギリギリまで教室にいたから平気」と答えが返ってきた。「バレー部って部活終わる時間結構遅いんだね」そうみょうじさんは言った。「冬だから夏よりは短いけどね」と言えば、みょうじさんは「夏はもっと長いんだ」と驚いたような顔をして言っていた。

「俺待ってたんでしょ、何かあった?」

そうみょうじさんに言えば、みょうじさんは少し言いづらそうな顔をして、「ちょっと、ここでは話しづらい話」と言った。「ふうん」そう彼女に言うと、みょうじさんは「ちょっと付き合って」と言った。部活が終わった後で疲れていたけれども、別にこの後すぐに急用があるというわけではなかったし、みょうじさんがこの時間まで待ってくれていた手前断ることもできなかったので、みょうじさんに付き合うことにした。「いいよ」そう彼女に言ったときに、後ろから「角名ァ」と呼ぶ声が聞こえた。騒がしい奴らが着替えて出てきたのだということはすぐに察することが出来た。これから家まで一緒に帰るのだろう侑と治が並んで歩いて来た時に面倒臭くなりそうだなと思ってしまった。この時間まで体育館の前に居るみょうじさんの姿を見た侑は、己の顔とみょうじさんの姿を交互に見た後に、すべて悟ったような顔をして肩を叩いてきたのが鬱陶しかった。己とみょうじさんの間にあるものは、彼女の恋心という、他者には公言しづらい内緒話というものがあるだけで、彼らの想像しているだろう男女の関係性はここには存在していない。「俺らはもう帰るわ、二人も早う帰り」そう言って、二人仲良く帰っていくのに、みょうじさんは、「おつかれさま」とだけ言っていた。「みょうじさんも気ィ付けてな」「角名おるから平気やろ」くちぐちに好き勝手言う彼らの言葉の中に隠れている意味は、彼女にはきっと伝わっていないのだろうと思う。みょうじさんにはきっと、侑と治が勝手に己らの関係性を邪推していることなぞ少しだって気づいていないようであった。

みょうじさんの家の方向どっち」
「校門出て駅の方」
「そうなんだ、俺逆方向だからそこの公園でいい?」
「うん」

みょうじさんと並んで歩く。息を吐けば、白い息が零れた。「寒くないの?」みょうじさんは、ジャージの己を見てそう言った。

「寒くないよ」
「強いね」
「さっきまで動いてたからね」
「そっか」

学校からそう離れていないところにある公園には、人の姿はひとりも居なかった。公園で遊ぶ子どもたちのは、もう陽も暮れてしまった後であれば皆おうちに帰って行ってしまったのだろうし、この公園で放課後に時間つぶしをする同じ学校の学生の姿を見ることがたまにあるけれども、部活が終わったあとの時間になれば、随分と遅い時間になっているせいか、この学校の生徒たちの姿も、もう無くなっていた。ベンチに腰を下ろし、持っていた鞄を膝の上に置いたみょうじさんは、隣に腰を下ろした己の顔を見て、「角名くん聞いてよ」と言った。

「うん?どうしたの」
「今日のお昼休み邪魔してくれたでしょ」
「うん。……それはごめん」
「そのあと学食から戻るときにね、週末に遊びに行く約束が出来たの」
「へえ、よかったね?」

みょうじさんはそう言って、例の女子バレー部の子とやり取りをしているメッセージの一部を見せてくれた。今週末、彼女が部活の無い土曜日の午後に、大阪の方に行く約束をしている内容が書かれていた。二人で出かけることについて、相手から『じゃあなまえと土曜日にデートだ』と書かれている文面を己に見せて、「すごくうれしい」と言った。彼女にとって、みょうじさんに送った文章は何の意図も含まれていないのだろうけれども、みょうじさんにとっては随分と嬉しい出来事だったらしい。まあ、好きな人からデートに行こうと誘われたことを考えれば嬉しい気持ちも分からなくはないか、と思いながら、嬉しそうに話しをするみょうじさんを見ていた。みょうじさんは、週末何着ていくか迷ってるんだよね、と己に言った。「なんでそれ俺に聞くの」そうみょうじさんに問えば、みょうじさんは「えっ」とキョトンとしたような顔をして己の顔を見ていた。

「わたしの恋愛の話出来るの、角名くんしかいないもん」
「そうなんだ?」
「うん、好きな子が誰か知ってるのは角名くんだけだもん」
「へえ」
「わたしそんなに分かりやすい?」

そうみょうじさんは己に問うた。たしかに、みょうじさんの言う通りみょうじさんのことをずっと見ていれば、みょうじさんが女子バレー部のあの子のことが好きであることは分かりやすいかもしれないけれども、男女の色恋沙汰で盛り上がっていることの多いこの年の学生たちの中で、仲のいい友達のことを恋愛的な意味で愛してしまっていることに気づく人は少ないかもしれない。己だって、みょうじさんのことを毎日見ていて初めて気づいたことだから、何も知らない一介のクラスメイトであるみょうじさんのままであれば、みょうじさんの恋心にはずっと気づかないままだっただろう。だから、みょうじさんの質問に対しては「どうだろう?」と曖昧な返事を返してしまった。みょうじさんは「相手にバレたりはしないよね?」そうみょうじさんは己に問うた。それは、彼女の好きな相手の子次第だと思うけど、と思ったので返答に困ってしまった。もし、彼女の友人であり想い人でもあるその子が好きになる恋愛対象が異性であった場合は、彼女がそういう想いを抱いていることにはずっと気づかないままかもしれないし、恋愛対象が彼女と同じであるのであれば、みょうじさんの視線から、もしかしたらバレてしまうのかもしれないとも思う。「さあ……相手の子ってどうなの?」そうみょうじさんに問えば、みょうじさんは「分からない」と言った。

「男の子が好きって話を聞いたことは無いから、チャンスはあると思ってる」
「へえ」
「好きな女性俳優の話は聞くけど、男性俳優の話はあんまりしないんだよね」
「そうなんだ」
「でも、女の子が好きとは限らないじゃん」

わたしはあの子のことが好きだけど、あの子の恋愛対象が女の子でないのであれば、そもそも勝ち目がないわけじゃん、そうみょうじさんは言った。「うん、それはたしかにそうだね」そうみょうじさんに言えば、みょうじさんは「だよねえ」とぼうっと遠くを見つめるような目をして言った。これで男の子のことが好きって言われたら始まる前からわたしの恋が終わっちゃうんだよね、とみょうじさんは言った。「大変だね」そう、他人事のようにみょうじさんに言えば、みょうじさんは「うん」と言った。

「でも好きになっちゃったんだよ」
「どこが好きなの」
「バレーに一生懸命なところとわたしにやさしいところ」
「へえ」
「それから、恋愛相談以外の話はなんでもできるところ」
「気が許せる人って感じなんだ」
「うん」

「で、今度行くデートの話なんだけどね」そうみょうじさんは洋服の載ったSNSの写真を己に見せながら、「どっちの方が良いかで悩んでるんだよね」と言った。みょうじさんが見せてくれたのは最近街中を歩いているときに見かける女性が着ているような写真たちだった。「流行り?」そう彼女に聞けば、みょうじさんは「多分流行っていると思う」そうみょうじさんは答えた。正直なところ、みょうじさんが見せてくれた写真を眺めてみたけれども、みょうじさんがどれを着ようがあまり変わらないような気がした(これは、己が彼女の意中の相手がどういう格好を好みにしているのかが分からないからである)。「どこに行くの?」そう彼女に問えば、彼女は「大阪に出店したばかりの喫茶店」そう言って、彼女は喫茶店の写真も見せてくれた。見せてくれた喫茶店は、高校生二人で行くには少しだけ背伸びをしているような店のように見えたので、みょうじさんが見せてくれた洋服の写真の中でもきれい目な洋服をさして、「これがいいんじゃない」と言った。みょうじさんはそれを聞いてほっとしたような顔をして、「やっぱりこういうきれい目な感じがいいよね」と己の言葉に同意するように言った。普段そういう恰好をしたことがあまりないということと、一緒に遊びに行くときにこういう服を今まで来たことが無いから、驚かれてしまうかもしれないというのが彼女にとっての心配事だったらしい。「場所に合わせてそういう格好をしてきたって感じだし別に大丈夫でしょ」と言えば、みょうじさんは安心したような顔をしていた。

「問題は似合うかどうかなんだけど」
「大丈夫でしょ」
「根拠は」
「ないよ」

みょうじさんが好きな子は別にみょうじさんの格好に笑ってきたりする人じゃないでしょ、と言えばみょうじさんは何処か納得したような顔をして己の顔を見ていた。そうして、「ありがとう角名くん、洋服はこれで行こうと思う」と言ってベンチから立ち上がった。みょうじさんの話したいことは、それだけだったらしい。みょうじさんは「角名くん遅くまで付き合ってくれてありがとう」と言った。「みょうじさんの話はこれだったの?」そう己が問えば、彼女は首肯した。「うん、恋愛相談がしたかった」そうみょうじさんは己に言った。このためだけに部活が終わるまで待ってたんだ、と言えばみょうじさんは「そうだよ」と言った。それならメッセージアプリでメッセージでも送ってくれればいいじゃん、と思ったけれども、よく考えてみれば、みょうじさんとは連絡先の交換をしていなかった。「俺は服選ぶのを手伝っただけだけど、俺が選んでよかったの?」そうみょうじさんに問えば、みょうじさんは「なんか角名くんが大丈夫って言ったら、大丈夫な気がするから心配してないよ」と言った。

みょうじさん俺のこと全然信用してないけどそこは信用するんだ」
「なんか角名くんにとってあり得なさそうな服出して来たらその時点でウワって顔してそうだから大丈夫だったんだなって思ってる」
「俺が顔に出してないだけかもよ」
「角名くんそこまで器用じゃないでしょ」
「言うねえ」

そう言えば、みょうじさんは可笑しそうに笑っていた。そうして、ベンチから立ち上がったみょうじさんの後を追うように、己もベンチから立ち上がる。公園の入口で、みょうじさんは「また明日、角名くん」と言って駅の方へと歩いて行ってしまった。「じゃあ」そうみょうじさんに言って、彼女と逆方向の帰路についた。
2021-03-14