小説

邪魔してごめんね

 教室で同級生と喋るたびに、みょうじさんの視線が刺さるようになったのは、みょうじさんがひとりで秘密にしていた恋のことを己が知ってしまったからだろう。なんでもないクラスメイトのひとりだったみょうじさんが告白をされているのを見たことがきっかけになってみょうじさんと少しずつ話すようになり、みょうじさんの秘密でもある彼女の恋心まで知ったあとでは、なんでもないクラスメイトと言うよりはそれなりに関わり合いになるクラスメイトのひとりになってしまった。みょうじさんの恋の行方がどう転がっていくのかを見るのを面白がっている節はあるけれども、人の恋について誰かに言いふらすようなことをしようとは思わないから、己がみょうじさんの秘密の恋を誰かに言ったりしないということくらいは信用してほしいと思ってしまう(みょうじさんに対して意地の悪いことをやった自覚はあるので、そういうふるまいをしておきながらみょうじさんに己を信頼してくれというのは難しいかもしれないとは思うが)。みょうじさんは、己に彼女の恋を知られてからというもの、明らかに己の方を見る頻度が多くなったように思う。角名最近みょうじさんと仲ええなあ、そうみょうじさんが居ないところでクラスメイトに言われたけれども、これは仲が良いという理由ではなくてみょうじさんに監視されているだけなので、「そう?」と答えはしたけれども、多分お前たちの思っているような仲の良さではないよ、と思っていた。
 三限目と四限目の間の休み時間の時に、昼休憩が待てなくなってしまったのか、家から持ってきた弁当箱を机の上に広げて食べ始めた治に「あと一時間くらい待てなかったの?」と聞いた時に、みょうじさんの視線が刺さった。己が治に余計なことを言わないかどうかを心配しているのかもしれないけれども、みょうじさんの己に対するあまりの信用のなさに笑えて来てしまった。ここまでされてしまうと逆に喋りたくなってしまうから、みょうじさんがもし内緒にしてほしいと本当に思っているのであれば今すぐにでもそれをやめたほうがいいんじゃない、と思ってしまう。弁当を食べ続けている治は、短い休憩時間の中で弁当を腹に押し込むのが精いっぱいなのか、何も答えずに黙々と食べていた。黙々と弁当を食べている治を見たクラスメイトたちがくちぐちに「あと一時間やぞ」と言ったり、治が何も言わずに弁当を食べ続けているのを見たクラスメイトたちが「コイツ食べるのに必死で無視やわ」と言うのを聞きながら、弁当を十分以内に食べきってごちそうさまの挨拶まで終わらせた治が、「昼まで我慢できんかってんもん」と言うのを聞いて皆笑っていた。「お前昼どうすんの?」そう問えば、治は「学食行くわ」と言うのでこれ以上まだ食うつもりかよと思ってしまった。己が治に余計なことを言わないと思ったのか、みょうじさんは教室の喧騒に目もくれずに窓の外のほうをぼうっと眺めているようだった。早弁を終えた治が「角名知っとるか?」と急に話しかけてきた。「なに」そう答えると、治が「御代田おるやん」と急に三組の御代田の名前を出してきたので驚いた。治の口から御代田の名前が出てくるのも意外だったし、そもそもコイツ御代田のこと知っていたんだ、ということの方が大きかった。御代田の名が聞こえたせいか、みょうじさんの視線が窓の外から、教室の己らの居る方に向けられた。あまりに分かりやすいみょうじさんの反応に可笑しくなって笑いそうになってしまったけれども、何も知らないふりをしてそれを堪えるのに精いっぱいだった。「好きな子にフラれたんやって」そう治が言うのを聞きながら、「へえ、ドンマイ」そう何も知らないような顔をして治にそう答えた。治はまさか御代田が告白をしているところを己が見ているなんて知らないだろうし、己か御代田が余計なことを言わない限りは治が誰に告白をしていたかも、己がそれを見ていただろうことを知らないままだろう。「御代田やってフラれるんやな」アイツ、イイ奴やしサッカー部のエースやし、悪いところなんもないやんか、そう治がぼやいた。御代田が好きだった子はクラスメイトのみょうじなまえという女子生徒で、みょうじなまえという女子生徒には好きな人がいて、三組の女子バレー部の、溌剌とした印象を与える女子生徒が好き、だからみょうじさんは、自分の恋心を、『御代田くんのことを何も知らないから告白を受けられない』というメッキで覆って隠してしまっていたことまで、治は気っと知らないのだろうし、己がそれを知っているとも思わないだろうと考えながら治がぼやくのを聞いていた。「御代田フッた女興味あるわ」そう言う治に対して、「いくら御代田がイイ奴でも御代田のこと好きじゃないなら振るでしょ」そう言ってみょうじさんのほうを見れば、みょうじさんと目が合ってしまった。みょうじさんは己に向けて余計なことをしゃべるなとも言いたげな顔をして己の顔を見ていた。みょうじさんは何も言わなかったけれども、彼女の視線は口以上にものを言っていたように思う。「ほおん」治は自分で話を振っておきながら、そう興味なさそうな顔をして呟いていた。





お昼休みのベルが鳴ると、みょうじさんが気持ち嬉しそうな顔をしていることに気づいたのはここのところ、みょうじさんとよく話すようになってからだった。みょうじさんはあまり表情がコロコロ変わるタチではないけれども(良く表情の変わる奴の比較対象が侑だから余計にそう思えて仕方がない)、みょうじさんの表情が存外分かりやすいということに気づいたのは、つい最近のことだった。もしかしたら、毎日お昼休みの時間は今までも嬉しそうにしていたのかもしれないけれども、彼女の恋心を知ってからというもの、彼女のお昼休み一緒に過ごす相手が彼女が意中の相手だということを知ればどことなく納得してしまう。「うれしそうだね」そうみょうじさんに話しかけると、みょうじさんはいつもだったら少しだけ嫌そうな顔をするのに、今はもうお昼が待ちきれないのか、「うん」と嬉しそうな顔をすこしも隠そうとせずにそう言った。「角名くんは学食なんでしょ」そうみょうじさんが言うので首肯した。己らの教室の外に、みょうじさんの意中の相手でもある三組の女子バレー部の子が立っていたので、みょうじさんに「早く行ってあげたら」と言えば、彼女は教室の前の廊下を見て気づいたように「あっ」と声を上げた。そうして、己に「じゃあね」と言って、嬉しそうな顔をして小走りで行ってしまったのを見ていた。みょうじさんを見送った後で、早弁をしていたはずの治が「角名学食いこうや」と言ってきたので、治の誘いに乗って学食に向かった。一時間前に弁当食べたくせにまだ食べるのかよ、と思ったけれどもそれは言わなかった。「なんや、みょうじさんとええ感じやんけ」そう治が言うのを聞きながら、「そういうのじゃねえから」と言ったのであるが、治は嫌な笑みを浮かべて「ほおん」と言うだけであった。みょうじさんには好きな人がいるし、己はどちらかと言えばみょうじさんの恋の行く末を見ているだけであるのにも関わらず、治の目には己がみょうじさんのことが好きなように見えているようだった。

「ええ感じやんか」
「どこから見たらそう見えんの?」
「たまに喋っとるやん、楽しそうに」
「そう?」
みょうじさんも案外喋るんやなて思うわ」
「まあ、あんまり口数多そうじゃないもんね」

学食の券売機に並びながら今日のお昼のメニューを考えていると、前の方にみょうじさんと約束をしている例の女子生徒が並んでいるのが見えた。学食の座席をぐるりと眺めると、窓際の隅の席にみょうじさんが弁当を持って座っているのが見えた。例の子が食券を買った後で、自分の食券も買う。後ろに立っていた治が、から揚げにするかカレーにするか、どっちもええな、とひとりごとを言っているのを聞きながら今日の日替わりランチ定食Aセットの券を買った。から揚げにするかカレーにするか悩んでいたはずの治は結局、日替わりランチ定食Bセットの食券を買っていたので、さっきまで悩んでたのは何だったんだよと思わずにはいられなかった。食券と交換で定食セットを受け取った時には、席はどこもいっぱいになっていて、治に席を取らせておけばよかったと今更思ったのであるが、そう思った時には後の祭りだった。同じく、ランチセットを受け取った治が「混んどるな」とぼやいた後で、「あそこ空いとるやんか」と言って治が歩くのについていく。窓際の隅の方に向かって歩く治の後ろについていく。治がようやく見つけた空席が、みょうじさんと例の子が向い合うように座っている席の隣だと知るやいなや、治は己に向けて嫌な笑みを浮かべてきた。治が、例の子の隣の座席の隣に腰をおろしながら、「ここ失礼します~」と調子のいいことを言った。女子バレー部の彼女は「どうぞ~」と愛想のいい笑みを浮かべていたけれども、みょうじさんは冷めた目をして己の顔を見ていた。あからさますぎる嫌そうな顔に思わず笑ってしまいそうになってしまった。みょうじさんがこの昼食の時間をかなり楽しみにしていることを知っていたし、意図しないタイミングでみょうじさんの邪魔をするような形になってしまったので、ほんの少しだけ申し訳なく思ってしまう。けれども、この座席以外で二人で座れるような席も無かったので、申し訳ないけれどもみょうじさんの隣に腰を下ろした。
例の子はみょうじさんが広げた弁当を眺めながら、「今日のおかずもすごいやん」と柔らかい笑みを浮かべていた。みょうじさんはそう言われて少し照れたような顔をしながら「そう?ありがとう」と言っていた。「家帰って弁当のおかず作るんやろ?」そう問われたみょうじさんは「うん」と答えていた。

「家帰ってから弁当やるの無理や、アタシにはなまえみたいに出来ひん」
「バレー部大変だもんね。わたし、部活やってたら無理だったかもって思うことはあるよ」
なまえのことやから部活やってても弁当はちゃんとしそう」
「さすがに疲れてたらサボるかも」

そう彼女たちが話しているのを横目に、定食セットに箸を伸ばしていると、治が「みょうじさん自分で弁当作っとるん?」と問うた。急に治に話しかけられたみょうじさんはきょとんとした顔をして、「うん、そう」と答えた。「すごいやんか」そう言う治に、例の子が「せやろ」と得意げな顔をしていた。「お前が作ったんちゃうやろ」そう言っている治に、これ以上彼女たちの邪魔をしてくれるなという気持ちになってしまった。治と調子のよい会話をする隣り合う二人のことを眺めていると、みょうじさんがこの昼休みのことをどれほど心待ちにしていたのかを思い出して申し訳ない気持ちになってしまった。みょうじさんは目の前で会話をする彼らのことを見ながら黙々と弁当に箸を伸ばしていた。あまりにいたたまれなくなってしまったので、隣に座るみょうじさんに、彼らに聞こえないように「なんか、ごめんね」と言えば、みょうじさんは渋い顔をした後で「本当にね」と言っていた。
2021-03-06