小説

授業中の暇つぶし

みょうじさん」
「……なに」
「何その顔」
「角名くんが良からぬことを考えていそうだから」
「考えてないよ」

ただちょっとおもちゃにして遊ぼうと思っているだけ、と言えば表情を少しも隠すそぶりも見せずに、みょうじさんは嫌なモノを見るような目をして己の顔を見ていた。

「角名くんってこんなに意地悪だったのわたし知らなかった」

そう言うみょうじさんに、「みょうじさんもここまでイジリ甲斐があるとは思わなかった」と言うとみょうじさんは渋い顔をしていた。みょうじさんは存外、表情が豊かだと思う。気にしてみょうじさんのことを見るまではどこにでも居そうなクラスメイトの中の一人で、クラスの中で目立つようなところもなければ、地味すぎて埋もれるような感じでもなかったし、そもそもみょうじさんのことをよく知らなかったのだけれども、こうしてちょっかいをかけ始めてみればみょうじさんの知らないところが少しずつ見えてくる。軽い冗談を言えば笑うことだってあるし、みょうじさんの方から冗談を言ってくることだってある。なんら特別なところはない。ただ、ちょっかいをかけた時の反応が面白いから、ついつい話しかけてしまいたくなってしまうようなクラスメイトだった。春に同じクラスになってから冬を迎えようとしている今になって、みょうじさんがおもしろい人だったことを今更知った後では、もう少し早くに彼女のことを知っておきたかったと思ってしまう。御代田がもっと早くに告白していてくれれば良かったのにと、そう思ってしまうのであるが、もし御代田がもっと早くに告白をしていたとしたら、あの日のように己の日直のゴミ捨てのタイミングではなかったのかもしれない。御代田の告白のタイミングがあの日よりも早くても遅くても、己はみょうじさんへ告白をしている御代田のことを見かけることなく、彼女のことを何も知らないまま、来年のクラス替えを迎えたかもしれない。だから、あの日の"ついてなさ"は存外悪くなかったと思う。
 退屈な月曜日の四限目の数学の授業中、黒板の上を走る数式をぼんやりとした目で眺め、なにを喋っているのか既に分からない先生の話を聞いているふりをしながら、隣の席のみょうじさんを横目で見る。みょうじさんは黒板に書かれた数式を丁寧にノートに書き写しては先生の話に耳を傾けている。至って真面目な生徒だった。おなかは空いたし、授業は退屈だしですっかり暇を持て余してしまった己は、ルーズリーフの切れ端に文字を書いて、隣の席のみょうじさんに渡した。みょうじさんは差し出されたルーズリーフを、先生の目を気にしながら受け取った後で、それを開いた。そうして少しだけ呆れたような顔をした後に、ルーズリーフの上にシャープペンを走らせて、先生の目を盗んで己に向けて返してきた。己が書いたのは、『ひま』の二文字だけだった。決して綺麗とは言えない文字(違うクラスの女子生徒からは字が汚いと言われてしまったが)で書いて渡したものに対して、みょうじさんからは『授業受けなよ』という至極まっとうなことが、少し小さめの文字で書かれていた。別に無視したって構わないのに、無視しないあたりみょうじさんも真面目そうに見えてこういう”遊び”に付き合ってくれることがけっこう意外だった。話しかけるとあんなに嫌そうな顔をするくせに、こういう遊びには律儀に付き合ってくれる。みょうじさんから返されたルーズリーフの切れ端を机の引き出しの中に乱暴に片づけた頃、授業終わりのチャイムが鳴った。担当の先生が荷物を片付けて、教室から出て行くのを眺めながら、みょうじさんに話しかけた。

「ねえ」

そう彼女の方を向いてそう言えば、日直が消し始めている黒板から視線をこちらに寄越したみょうじさんが思い切り嫌そうな顔をしていた。みょうじさんのこの表情の変わり方が可笑しくてつい、ちょっかいをかけたくなってしまう。ここ最近のところのみょうじさんは、己のいい加減な呼びかけに対して、「なに」と愛想のない返事をするのである。

「なんでそんなに嫌そうな顔するの?」

そう問えば、みょうじさんは「角名くんが話しかけてくるときはろくなことがないから」と言った。

「まともな用事があるかもしれないじゃん」
「誰が誰に?」
「俺がみょうじさんに」
「用事あるの?」
「ないよ」
「無いじゃん」

みょうじさんはそう言ってため息を吐いた。昼休みが始まって、学食に行くクラスメイト達が教室から外に出ていくのを眺めながら、それを追うように己も席を立った。「みょうじさんは弁当?」そう問えば、みょうじさんは首肯した。

「角名くんは?」
「俺は学食」

そう短い会話をしていると、昼休みに入って元気になった治が「角名ァ」と己の名前を大きな声で呼んでいるのが聞こえた。みょうじさんが「治くんが呼んでるよ」と言うのに「うん」と答えると、みょうじさんはスクールバッグのなかから弁当箱を取り出して、「じゃあ、わたし約束があるから」と嬉しそうな顔をして、教室からすぐに出て行ってしまった。その時のみょうじさんの表情がひどく嬉しそうだったから、みょうじさんもおなかが空いていて昼ごはんが待ち遠しかったのかもしれないと思った。みょうじさんも人間だからおなかくらい空くだろう、と後々そう思ったのであるが、その当たり前のことすらなんだか珍しいことのように思えて仕方がないから、なんだか不思議なように思えてしまう。


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 月曜日の六限目、現代文の授業が自習になってしまった。担当の先生が、自分の子どもの授業参観に出かけるからという理由で休暇を取ってしまったため、己らのクラスの授業が自習になってしまったのである。隣の席のみょうじさんは、適度にサボって課題をやっている己と違い、授業時間の開始三十分ほどで課題を終わらせたあと、自習と書かれた黒板をぼうっと眺めていた。監督の先生がいないため、このクラスでおしゃべりをする生徒を咎めるものは誰一人おらず教室はほどよく騒がしかった。「みょうじさん」課題を中途半端に終わらせた後でノートを伏せて、そう隣の席の彼女の名前を呼んだ。みょうじさんは「なに」と面倒くさそうな顔をして己の方を向いた。話しかけたばかりのころのみょうじさんは、あんなに丁寧に返事をして、己の顔をおそるおそるといった顔で見てきたのにも関わらず(別に取って食べたりしないのに、みょうじさんは己が話しかけると少しおどおどしていたのが印象的だった)、今となってはその扱いもいい加減なものになってきていた。「みょうじさん最近俺に対して冷たくない?」そう彼女に言えば、みょうじさんは至極面倒くさそうな表情を浮かべていた。

「なんでわたしが角名くんにやさしくしないといけないの」
「クラスメイトのよしみで」
「角名くんが意地悪じゃなかったらちょっとはやさしくしてた」
「えー」

そうは言いつつもみょうじさんは雑談に付き合ってくれた。「みょうじさんねむくないの?」そう問えば、みょうじさんは「ごはんの後だからちょっと眠たい」と言った。そうは言うけれども、みょうじさんはいつもの彼女とそう変わらない表情のままだったから、彼女が眠いと言ったのがあまり信じられなかった。「ふうん」そう相槌を適当にうてば、みょうじさんは「角名くんはいつでも眠そうだよね」と言った。

「どういう意味?」
「角名くん眠そうな顔してない?」
「もともとこういう顔だよ」
「そうなの?」
「うん」

みょうじさんは意外そうな顔をして己の顔を見ていた。

「今は眠いの?」
「眠くない」
「眠そうに見える」
「こういう顔なんだってば」

そう言えば、みょうじさんは可笑しそうにくすくすと笑っていた。「角名くんってバレー部なんだよね」そう、みょうじさんが問うてきた。「そうだよ」そう彼女に言えば、みょうじさんは「すごいね」と言った。そのあとで、「やっぱり練習の時も、ギャラリーができるの?」そう彼女が興味深そうな顔をして問うてきたので、「できないよ」と答えると「そうなんだ」と少しだけ残念そうにしていた。

「なんで」
「試合のときいつも応援がすごいから練習の時もギャラリーができるのかなって思って」
「練習の時はそういうのねえから」
「そうなんだ、意外」
「ボール飛んできて危ないしね」
「ボール速いよね」
「まあ、それなりに」
「えー、怖い」

県大会の応援に一回だけ行ったことあるけどあの速さボール取ったら腕とれそう、とみょうじさんが言った。「とれねえから」そう言うと、「角名くんの腕が頑丈なだけじゃない?」とみょうじさんに大真面目な顔をして言われてしまった。「わたしが取ったら絶対腕とれる、肩から外れて飛んでいってしまいそう」と言うみょうじさんに、「今度取ってみる?」と冗談を言ってみれば、思い切り首を横に振られてしまった。「冗談だよ」そう言えば、みょうじさんは心底ほっとしたような顔をしていた。

「バレー部はいつも元気って聞いてる」
「そう?」
「三組の女バレの子といつも一緒にお昼食べるんだけどね、そのときにいつも隣のコートすごい元気だよって」
「それ双子がただうるさいってだけじゃなくて?」

そうみょうじさんに言えば、みょうじさんが自席の反対側の席の方をじっと見ていた。彼女の視線を追って、視線の先を眺めれば、廊下側の一番後ろの席に座っている治が机に突っ伏しているのが見えた。顔を机に思い切り突っ伏して微動だにしないあたりあれは完全に寝に入っているとしか思えなかった。机の上に乱雑に置かれたノートの影を見る限り、出された課題すらまともにやっていないことは容易に想像がつく。みょうじさんは、机の上に突っ伏したっきり微動だにしない治のすがたを眺めながら、「今は静かみたいだけど」と己に向けて言った。みょうじさんがあまりにも得意げに言うので、「寝てるから静かなだけだろ」と思わず突っ込んでしまった。

「寝てるときは静かなのに起きたらうるさいの?」
「うん。侑も揃うとどうしようもない」
「子どもじゃん」
「そうだよ」
「治くんおとなしそうなのにね」
「それ比較対象が侑でしょ」
「……うん」
みょうじさん、侑のこと知ってたんだ?」
「侑くんは一年生の時に同じクラスだったよ」
「そうだったんだ。侑に比べたら治は静かかもね、どっちもそんなに静かじゃないけど」

だいたいバレー部で騒がしいときはあの双子がなんかやらかしてるときだし、と言えばみょうじさんは可笑しそうに笑っていた。「仲良いんだね」そう言うみょうじさんの頭の中で、今の会話の流れからどうつながって己らが仲が良いことにつながったのかがさっぱり理解できなかったので、「なんでだよ」と言ってしまった。みょうじさんは「ごめん」と言っていたけど、その声音の中に謝罪の気持ちは全く含まれていないように聞こえた。

「女バレもそこそこ元気じゃん」
「そうなの?」
「うん、ウチとそう変わんないんじゃない」

そうみょうじさんに言えば、みょうじさんは「そうなんだ」と楽しそうに笑って言った。「やっぱり女子もすごいの?練習」そうみょうじさんが興味深そうな顔をして己の顔を見ているので、「なんで、興味あるの?」と問うた。みょうじさんは少しだけ悩ましい表情を浮かべた後で、「友達がいるからちょっとだけ」と言葉を濁した。

「その三組の友達に聞いてみればいいじゃん」
「友達の口から聞くのと角名くんの口から聞くのとでは違うじゃん」
「そう?」
「うん」
「俺自分の練習でいっぱいだから隣まで見てないし、隣のコートも盛り上がってるなくらいしか分からないよ」
「そうなんだ」

あっちもあっちで大変そうなことくらいしか分かんない、と言えば、みょうじさんは「運動部はどこみても大変そうにしか見えない」と返してきた。

みょうじさんって部活やってたっけ?」
「帰宅部」
「部活何もやってなかったんだ」
「うん。中学生のころに吹奏楽やってたから吹奏楽部の見学には行ったけど、こわかったから部活入るのやめた」
「なにそれ」
「やっぱり全国レベルは厳しいんだなって思って。なんか、ちょっと怖くない?」
「まあ、気持ちはわからなくもないかな」

そうみょうじさんに言ったとき、授業終了のチャイムが鳴った。「やっと下校だ」そうみょうじさんが楽しそうに言って教科書を鞄の中に押し込んでいるのを横目で眺めながら、己も自分の教科書を鞄の中に片づけた。みょうじさんが心なしかそわそわしているように見えたので、「そんなに早く帰りたいの?」と彼女に問うた。みょうじさんは、「今日は放課後遊びに行く約束をしてるから早く帰りたい」と言っていたけれども、このクラスはショート・ホームルームの時間がかなり長いので、彼女が思うほど早くは帰れないだろうと思った。

「ホームルーム短いといいね」
「それは無理だと思う」

そう、みょうじさんが渋い顔をしながら時計を見ているのを見て、思わず笑ってしまった。
2021-02-23