小説

はずれのゴミ捨て場

 今日はついていない日だった。黒板の端の日直の欄に自分の名前が書かれていたことも、黒板の一番上まで手が届かないという日直の女子に変わって黒板を消しをしたときにブレザーがチョークの粉で真っ白になってしまったことも、日誌を書いている最中、教室に遊びに来ていた隣のクラスの女子に「角名くんってけっこう字が汚いんだね」と言われてしまったことも、学食のランチメニューがあまり自分の好みの献立でなかったことも、数え始めてみればきりがないくらい、自分にとってあまり良いことが無かったように思う。「教室の施錠頼んでええ?角名くんこれから部活あるやん。……あとゴミ捨ても。角名くん体大きいし。日誌は出しとくわ」とその日最後の日直の仕事であるゴミ捨てと施錠と日誌の提出のうち、ゴミ捨てと施錠を押し付けられてしまった。部活があるのは本当だから施錠はいいけど、ゴミ捨ては教室から遠いゴミ捨て場に持っていかなければならないのが少しだけ嫌だった。遠いだけならまだしも、制服が冬服に切り替わってから数か月も経てば、気温は随分と下がるようになってしまった。放課後の時間にもなれば、もう太陽は半分ほど顔を西の彼方に隠してしまっている。いくら自分の体の大きさという理不尽極まりない理由でゴミ捨てを押し付けられてしまったとはいえ、ここでゴミ捨てを断ったらクラスメイトからのブーイングが飛ぶことなど分かり切っていたので、断るつもりはなかったけれど。
 己のクラスは担任の話がとにかく長い。他のクラスがショート・ホームルームを終えて下校し始めている時間、己のクラスはショート・ホームルームが始まったばかりであった。己のクラスのショート・ホームルームが終わるころには、隣のクラスの教室に人が一人もいないことなんてよくある話で、なんとも迷惑な話だった。長かったショート・ホームルームが終わり(全然ショートじゃないじゃん、と思うけれどもそれを言うのも野暮である)、下校していくクラスメイトを尻目に、教室にある大きなゴミ箱のゴミ袋の口を渋々締めて、教室のある校舎から一番遠くの、学内でも奥まったところにあるゴミ捨て場に持って行く。面倒臭さに思わずため息を吐くと、白い息が口から零れた。すぐにゴミを捨てて部活に行こうと思っていたのであるが、それは叶わなかった。今日はどこまでもついていないな、と思ってしまった。ゴミ置き場は目と鼻の先にあるというのに、ゴミ置き場の前に、男女二人が立っていたせいですぐにゴミを捨てることが出来なかったのである。おもわず「げえ」と声にだしてしまいそうになってしまった。彼らがゴミ捨てに来ているだけの人であれば何ら問題はなかったのであるが、彼らの手にゴミ袋は無かった。それを見て、己はすべてを察してしまった。稲荷崎高校の狭くも広くもない校内の中でも、敷地のはずれにあるゴミ捨て場は、あまり人が来ない。そもそも、ゴミを捨てに行く機会なんて、一日の中でも一回あるかないかくらいなもので、頻繁に立ち寄る場所でもない。人が来ないことを良いことに、この場所が校内で告白スポットと化していることは、この学校に居る生徒であれば誰しもが知っていることだった。ゴミ捨て場、それから二人の男女、その手にはゴミ袋がない──それらから考えられることはもう一つしかない。
 人の殆ど来ないゴミ捨て場というものが告白スポットになるのは、放課後、この学校中のクラスの人間がゴミ捨てを終えた後になる。今から告白をしようとしている奴だって、告白するには絶好のタイミングだと思っていて(場所がゴミ捨て場の前というのは、全くと言っていいほどムードが無いと思うけれども)、まさかゴミ捨てが終わっていないクラスがあるとは露程も思っていないだろう。
今すぐにでもゴミを捨てて部活に行きたいと考えている己にとっては、とてつもなくタイミングが悪すぎる話だった。今すぐ告白を終わらせるか先にゴミを捨てさせてくれと思うのであるが、己の願いはどちらも叶いそうになかった。今から告白をします、という空気を漂わせているところに横から失礼してゴミを捨てる勇気は無かった。かといって、告白が数秒で終わるものとも思えなかった。ゴミ捨てをするために告白を待っているのだから、この告白の行く末を眺めたって罰は当たらないだろうと勝手に言い訳をして、己は今から告白をしようとしている男女の姿が見える位置に隠れて、こっそりと様子を覗き見た。
 己の位置からは後ろ姿しか見えない男子生徒の方は、一年生の時に同じクラスだったことのある奴で、名前を御代田と言った。気のいい奴でクラスのムードメイカーだったことをよく覚えている。部活もそれなりに頑張っているようで、サッカー部の次期キャプテン候補と噂で聞いたこともある。その御代田と向い合うように立っていたのは、クラスメイトのみょうじさんだった。みょうじさんは同じクラスではあるけれども、彼女のことを己は何一つ知らなかった。会話をした回数は本当に数数えられるほどで、ノート提出の時に一言、二言交わした以上の会話をしたことがないから、己はみょうじさんがどういう人なのかをよく知らない。あまり目立つタイプではないけれども、目立たなすぎるわけでもない、クラスメイトのひとりだった。みょうじさんは目の前に立っている御代田のことをさして興味がなさそうな顔をして見ていた。「俺、御代田って言うんだけど。三組の」そう御代田が自己紹介をしたあとで、みょうじさんは「わたしは一組のみょうじなまえです。うちのクラス、ホームルームが長くて……待たせてごめんなさい」と自己紹介をした後に謝罪の言葉を述べていた。「うん、知ってる。一組はいつも大変だよな」御代田はみょうじさんにそう答えていた。呼び出しをしたのは御代田の方で、みょうじさんは呼び出しをされた方だと言うことはすぐに分かった。そうして、御代田がみょうじさんに告白しようとしていることも、察することが出来た。御代田がみょうじさんのことをねえ……結構意外かも、御代田のことだからもう少し派手なタイプを好きになると思った。男子バレーボール部の同級生の間でたまに行われる下世話な話の中でみょうじさんの名前が挙がったことはないけれども、みょうじさんの顔立ちは悪くないな、とふたりのすがたを眺めながら、そうみょうじさんに失礼なことを考えていた。
「放課後に来てもらってごめん、早く帰りたいよな」そう、御代田がいよいよ口を開いた。みょうじさんは「いえ、大丈夫」と少し面倒臭そうな顔をして返していた。そっけないみょうじさんの様子に少しだけ、御代田が怯んだような顔をしていたけれども、御代田は気を取り直して口を開いた。御代田がみょうじさんのどこが好きなのかを、言葉に詰まりながら話しはじめたのを、みょうじさんは少し驚いた顔をしたあとで、姿勢を正して聞いていた。この場所に呼び出されている時点で告白だなんてすぐに分かりそうなものなのに、もしかしたらこうして御代田の口から言われるまでみょうじさんは告白であることに気づいていなかったのかもしれないと思うと可笑しくて笑いそうになってしまう。一転、真面目な顔をして話を聞きはじめたみょうじさんは、御代田がどれほどみょうじさんのことが好きかを言い切った後で「好きです、付き合ってください」と言うのをキョトンとした顔で見ていた。「……急に言われても困るよな」返事は後でいい、と言う御代田に、みょうじさんは「ごめんなさい」と言った。御代田とみょうじさんの間に沈黙が流れた後で、みょうじさんは口を開いた。「わたし、あなたのこと何も知らないから。だから、ごめんなさい」と言ったのである。御代田は「そっか」と言った後で、「聞いてくれてありがとうな」と言って、「それじゃあ」と言って己がこそこそと隠れて立っている方へと歩いてきた。みょうじさんはしばらく、御代田の後ろ姿を眺めた後で、御代田とは逆の方向へと歩き出してしまった。御代田は己がここで彼らの行く末を見ていたことを悟ったか、すこし気まずそうな顔をしていたので、「ドンマイ」と声をかけてやった。御代田は「うるせえ」と己の肩を叩いて、校舎側へと歩いて行ってしまった。己がようやくゴミ捨てを終えた時には、ショート・ホームルームが終わってから三十分ほど時間が経っていて、大急ぎで部活に向かわなければならなくなってしまった。「角名遅かったな」と既にアップをしていたクラスメイトでもある治に言われた時に「日直の仕事がちょっとね」と言い訳のように言えば、治は不思議そうな顔をしていた。





 みょうじなまえというクラスメイトを目で追うようになったのは、御代田がみょうじさんに告白しているのを見た日がきっかけになったのは間違いない。己の隣の、窓際の席に座っているみょうじさんは、いつも涼しそうな顔をして黒板を眺めている。授業を聞いているふりをしながら他のことを考えている己とちがって、黒板とノートを往復するように眺めながら一生懸命にノートを取っているところを見る限り、みょうじさんは至って真面目な生徒なのだろう。四限目の授業が先生の休みにより急遽自習になってしまったとき、出された課題を適当にやっているふりをしながら、横目でみょうじさんを盗み見た。みょうじさんの机の上に出されたノートには、出題された課題の回答が書かれていて、この自習時間の間に、課題を最後まで片付けてしまっていたようであった。自習課題を終えてしまったみょうじさんは、この自習時間が終わるまでの残り時間を潰しているようにも見えた。みょうじさんが、窓からグラウンドの方をぼうっと眺めている。グラウンドでは三組の女子が体育の授業でマラソンをさせられているのがよく見えた。女子生徒が、グラウンドのトラックを走らされているのを眺めながら、大変だな、と他人事のように思った。みょうじさんはしんどそうに走っている彼女たちの姿を見て時折微笑んでいた。窓の外を眺めるみょうじさんの横顔を見ていると、昨日見た御代田の告白のことを思い出してしまい、つい興味が湧いてしまった。自分の持っているルーズリーフに、昨日の御代田の告白について書いた後で、「みょうじさん」と彼女に声をかけた。
みょうじさんは「はい」と言ってグラウンドから己の方を向いたあとで、己が差し出しているルーズリーフ受け取って、書かれている文字を読んでいた。みょうじさんがぎょっとしたような顔をして己の顔を見たのが可笑しくて、思わず嫌な笑みを浮かべてしまった。みょうじさんは己の顔をジトリとした目をして見た後で、ルーズリーフの上にシャープペンを走らせた。そうして、「角名くん」と己の名前を呼んで、渡したルーズリーフを己にもどしてきたのである。そこに書かれていたのは『何で知ってるの』という文字だった。

「昨日俺日直だったじゃん」
「ゴミ捨て?」
「あたり」

ルーズリーフに字を書くのが面倒になってしまったので、みょうじさんにそう小声で話し掛けた。自習になってしまった教室は、監督の先生も居ないせいかほどよく騒がしかったので、己とみょうじさんの声は多分、誰にも聞こえていないようだった。

「どこまで知ってるの?」
「最初から最後まで」
「全部見てたの?」
「うん」
「趣味がわるいよ」
「俺がゴミ捨てようとしたら目の前で始まったんだもん。見るでしょ」

そうみょうじさんに言えば、みょうじさんは気まずそうな顔をして目を伏せてしまった。「なんで断っちゃったの、アイツ悪い奴じゃないよ」そう言えば、みょうじさんは「全部聞いてたんでしょ」と言った。「まあね」そうみょうじさんに言えば、みょうじさんは呆れたような顔をしていた。

「何も知らないのに付き合うのってナシじゃない?」
「そう?」
「角名くんは付き合っちゃうの?知らない女の子に告白されたら」
「うーん、俺はアリだと思ったら付き合うかも」
「わたしはナシ」
「そう?付き合ってる間に好きになるかもしれないし、好きにならなかったら別れればいいだけでしょ」
「そういうもの?」
「そういうもの」

そうみょうじさんに言えば、みょうじさんはどこか納得いかないような顔をして己の顔を見ていた。「御代田はナシだったの?」そうみょうじさんに問えば、みょうじさんは少し答えにくそうな顔をしていた。

「答えなきゃダメ?」
「べつに?」
「ノーコメントで」
「"そうなんだな"って俺が勝手に思うくらいだよ」
「……角名くん結構良い性格してるね」
「よく言われる」

みょうじさんは渋い顔をして己の顔を見ていた。「みょうじさん的にはナシだったってだけじゃん」と言えば、みょうじさんは「そこまでは言ってない」と言った。そうして、しばらく黙り込んだ後で、「楽しんでる?」と問うてきた。実際楽しんでいたので、「うん」と包み隠さずそう答えると、みょうじさんは心底疲れ果てたような顔をして己のことを見ていた。「角名くんってけっこう意地悪なんだね」そうみょうじさんが言うので「そうかもね」と返すと、みょうじさんはげんなりとした顔をしていた。

「あまり言いふらさないでよ」
「御代田かわいそうだしね」
「本当にやめて」

みょうじさんが真面目な顔をしてそう言うので、「わかった」と答えておいた。みょうじさんは疑り深い目で己のことを見た後に、「本当にお願いね」と言った。言いふらされて恥ずかしい思いをするのはどちらかといえば御代田の方でみょうじさんは痛くないだろうにな、と思いながらも「うん」と適当に頷いておいた。
2021-02-21