小説

邪魔される話

#出水くんのことが好きな女さん/出水くんが嫉妬する話

なまえさん」
「はい、どうしました?」
「忙しいところ悪いね、この間の件なんだけど──」

 なまえさんと一緒に歩くおれの顔を見たあとで取ってつけたようにそう付け加えて、なまえさんに話しかける人の顔を見る。おれに「忙しいところ悪いね」なんて言っているけれども、どうせそれも口先だけのことだろうと嫌なことを考えてしまう。なまえさんに心当たりがある出来事だったのか、なまえさんは少し慌てたような顔をして「公平くん、ちょっとごめんね」と言った。そのなまえさんが、あまりにも申し訳なさそうな顔をして、おれの顔色を窺っているものだから、おれは何も言えなくなってしまった。今日はなまえさんもおれも、防衛任務のシフトが終わって、晩ご飯を一緒に食べて、一緒に帰ろうとしていた。普段、防衛任務の時間があうことが少ないおれと、なまえさんが二人で過ごすことのできる貴重な時間だった。防衛任務が終わった後の今の時間は、おれもなまえさんも完全にフリーで、彼女が呼び止めに応じる必要もないのであるが、人が好いのかなまえさんは呼ばれてしまえばすぐどこかへと行ってしまう。何もしなくて良い時間なのだからおれに時間を使ってくれてもいいじゃないかと思わなくもないけれども、それは言わなかった。そんなことでなまえさんをあまり困らせたくなかったからだった。

「おれ、待ってるわ」

そう物分かりのいい顔をしてなまえさんを見送ると、なまえさんはほっとしたような顔をしていた。この後のデートの時間が短くなってしまうことを申し訳なく思っているのだろう。今いる場所から一番近いところにある訓練室で個人戦でも眺めながら時間をつぶそうと思い、その旨をなまえさんにメッセージを送って、ひとり訓練室に行く。「よう、弾バカ、今日はデートだろ?」個人戦のブースから出てきたばかりの槍バカがそう話しかけてきた。茶化すように話しかけてくる槍バカを無視すると、槍バカはひとしきり笑った後に、「またなまえさん取られてんの」と言った。そうだ、と無様に肯定することも出来ずに槍バカの顔を見ていると「あーあ、かわいそうな弾バカ」と慰めにもなっていない言葉を掛けて、手を振って再び個人戦ブースへと姿を消してしまった。暫く、個人戦を眺めているとなまえさんから連絡が入った。『今そっちに向かう、待たせてごめんね』と可愛げのある動物のスタンプと一緒に送られてきたメッセージを眺めて、訓練室の入口の方を見ていると、数分と経たずになまえさんがやってきた。広い訓練室の入口のあたりでまわりを見渡して、おれのことを今も一生懸命探しているなまえさんのことが可愛く見えて仕方がなかった。遠くを見続けていて、かなり近くにいるおれのことが見えていないなまえさんのところに向かう最中に、「あっ!なまえちゃん!」と彼女を別の声が呼んだ。ちょうど、ブースから出てきた緑川が、なまえさんの元に走り寄ってきたのである。なまえさんはなまえさんで緑川に「こんにちは、今日も頑張ってるね」と声をかけていた。おれを探していたなまえさんの視線は緑川にとられてしまった。「なまえちゃんせっかく来たなら一回やろうよ」そう言ってなまえさんを個人戦ブースに引きずり込もうとする緑川に、少しだけ腹を立ててしまう。なまえさんは今日これからおれとデートをするから緑川と個人戦はしない、なんて子どもじみたことを言って張り合うのはさすがに大人げなさすぎるだろう。とは言いつつ、押し負けてなまえさんがまた取られて行ってしまうのではないかという気持ちは少なからずあった。内心ハラハラしながらなまえさんを眺めていると、彼女はおれの気持ちを知ってか知らずか、個人戦ブースに引きずり込もうとする緑川を止めて「公平くん見なかった?探しているの」とすぐ目の前にいるおれのことに気づかないまま、問うていた。緑川はすぐそばにいるおれの方をみて、「なまえちゃん後ろ」と言った。なまえさんは緑川の指す指の方を見て、ようやくおれがすぐそばにいることに気づいたのか、大げさに驚いた顔をしていた。「居るなら居るって言ってよ」そう、なまえさんはおれに言った。なまえさんがおれを探しているのをずっと見ているのが好きだった、と言うのは怒られそうだったし、緑川のうんざりした顔が目に浮かんだので言うのはやめた。「今日は公平くんとデートだからまたこんどね」そうなまえさんが言うと、緑川はおれとなまえさんをじっと見つめた後に嫌な笑みを浮かべて「ばいばい」と言った。早く個人戦ブースに行けよ。

「公平くん待たせてごめんね、行こう」
「おー。もういいの?」
「うん。明日に回してもらったからもう何もないよ」
「そっか」

「じゃあ、どこか食べに行きましょう」となまえさんに言うとなまえさんは「うん」と言った。訓練室をふたり並んで出て、本部から外へと向かう。「今日の晩ご飯は何食べたい?」なまえさんがそう問うた。「昼に魚を食べたから肉がいい」とぼんやりした答えを出せば、なまえさんは「いいね、近くのとんかつ屋はどう?」と言った。「じゃ、そこで」そう答えるとなまえさんは「西側の出口から出たら近いから、そっちから行こう」と言った。なまえさんとふたりならんで、廊下を歩く。誰もいないのだから手をつないでも良いだろうと思って手を差し出すと、なまえさんが「はずかしいから、外出てからにして……」と消え入りそうな声で言った。少し赤くなりながら言うなまえさんがかわいかったので、手は繋げなかったけれどもそれはそれで良かった。西側の通用口に出る廊下を歩いていると、「よお出水」と声を掛けられた。その声の主はおれがこの本部の中で最も聞いた声、もしかしたら、親の声と同じくらい聞いたことのある太刀川さんのものだった。「よっしゃ、なまえが見つかった」そう、太刀川さんはおれの名前を呼んでおきながらなまえさんの顔をみてそう言った。なまえさんは目を白黒させながら太刀川さんの方を見て「えっ、わたし?公平くんじゃなくて?」と声を上げた。「英語の単位課題だよ」そう太刀川さんはなまえさんに言った。「出席ぶん課題でナントカしてもらえるようになったからさ、それを今手分けしてやってんだよ」そう太刀川さんは言った。自分で全部やれ。そう思ってなまえさんの顔を横目に見ると、なまえさんも多分同じようなことを考えているのか少し渋い顔をしていた。「頼むよなまえ、俺の単位が掛かってる」そう太刀川さんは両手を合わせてなまえさんに頭を下げた。なまえさんはどうしていいかわからないような顔をして、おれと太刀川さんを交互に見ていた。なまえさんがここで太刀川さんの手を取ってしまえば、一日中太刀川さんの面倒を見なければならなくなって、おれとの約束が無くなってしまうことは火を見るよりも明らかだった。貴重なデートの時間が無くなってしまうのである。なまえさんの困った表情から、なまえさんが太刀川さんの単位の心配を太刀川さん以上にしていて、これはおれのデートではなく太刀川さんを取るかもしれないなと思い、内心おれは慌てていた。なまえさんと会える機会なぞ多くないのだから、絶対に約束を反故にはされたくなかった。ほとほと困り果てたなまえさんに、おれと太刀川さんどっちが大事なんですか、と言って詰め寄れるものならば詰め寄ってしまいたいという気持ちがむくむくと湧き上がる。でもおれはその気持ちを何とか抑えて(ただでさえ困っているなまえさんをこれ以上困らせたくなかったからである)、なまえさんの答えを待った。なまえさんは暫く考え込むような顔をした後で、「……太刀川さん、ごめんなさい」と消え入りそうな声で答えて、おれの手を取った。手を繋ぐのを拒否したなまえさんが、おれの手を取って「今日は公平くんと約束があるから、ごめんなさい」と言ったのである。太刀川さんとおれを天秤に載せて、おれの手をなまえさんは取ったのだ。おれの手を握るなまえさんの手に力が込められた。おれの手を固く結ぶなまえさんの手を握り返すと、なまえさんはおれの手を取ってしまったことに今さら気づいたのか少しだけ恥ずかしそうな顔をしていた。太刀川さんはなまえさんにみっともなく縋りついていたけれどもそのあとに太刀川さんを迎えに来た風間さんに引きずられて部屋に戻されてしまった(そのときに、風間さんはなまえさんとおれに「迷惑をかけて悪いな」と言っていたけれども本当はその言葉を太刀川さんの口から聞きたかった)。引きずられていく太刀川さんを二人で見送って、おれたちはとんかつ屋に向けて歩き出した。

「ごめんね」
「何が?」
「わたしのせいで一緒に居る時間短くなっちゃって」
「いいですよ」

急に謝りだしたなまえさんにそう言えば、なまえさんは「ありがとう」と言った。なまえさんは何も悪いことをしていない。なまえさんに頼み事がしやすいが故に、なまえさんはいろいろな物事に巻き込まれてしまっているということはおれも分かっているつもりだった(しかしながら、それをすべて上手く呑み込めるほど大人にはなれていないのもまた事実である)。なまえさんの人当たりの良さは、おれも好きだと思っているし、そんななまえさんだからいろいろな人に頼られるのだと思う。もう少しだけなまえさんが人に強く出られれば、彼氏のおれとしてはあまり心配することもなくて良いと思うのだが、人に強く出ているなまえさんのことを考えようとしてみたけれども、うまく想像できなかったので考えるのをやめた。今日の晩ご飯のことを考えながら、連絡通路を抜けて外に出る。太陽は西の果てにとっくに沈み切って、きれいに晴れた冬の夜の空が広がり、星が瞬いていた。なまえさんがおれの手を取って、「ちょっと寒いね、はやく行こう」と言って早足で歩き出す。「晩ご飯は逃げたりしませんよ」そうなまえさんに言えば、なまえさんが「もう!公平くんの意地悪」と言うのがなんだか可笑しくて笑ってしまった。
2021-01-30