小説

よもすがら#1

11.
 夏休み開け最初の登校日は、静かだった。前学期最後の登校日に見たときよりも席の数が幾分か減っていた。あの大規模な災害のあと、三門市から引っ越していってしまったクラスメイトのお別れの挨拶の言葉と、ご家庭の都合で、とぼんやりと暈された引っ越し事情は、担任の口から伝えられた。終業式の日に、わたしの大荷物を見て、「みょうじさん、荷物多いね」と声をかけてくれたクラスメイトの女子生徒の姿は無かった。あの、女子生徒の席はもう、この教室には無かった。彼女が座っていた一番後ろの、ロッカーのすぐそばの席は、今まで机がその場所にただ在ったことだけを匂わせていて、その場所に居た人の匂いはもう、しない。担任が姿を消してから、教室で小声でささやかれるクラスメイトの話は、この夏休みの間に起きた出来事よりも、引っ越しの見送りに出かけた仲が良かった子の口からささやかれる言葉の方が多かった。母親が亡くなったことから、他県の祖父母の家に預けられることになった子の話、両親が気を病んで三門市から遠い所に行くことになった子の話、家が壊れたから県外の親戚の家に引っ越すことになってしまった子の話など、教師の口から語られた"家庭の事情"と言うものは、お別れの挨拶をした仲の良い友達の伝聞を含むことで、自然とクラスメイトの中で実体を伴って少しずつ広まっていった。

 黒板に張り出された休暇明けテストの予定表を見る。結局のところ、市内がこんなに大変な状態であれど、わたしたちの本分は学校で勉強をすることであるには違いなく、学校側から提示されるスケジュールは、災害以前のスケジュールと変わらなかった。登校日そうそうに、席替えをしたいと言ったクラスの子の声で席替えが始まった。わたしは、廊下側の席から、窓際の席のほうへと移動することになってしまった。窓際から一つ廊下側の、一番後ろの方の席、迅くんが座っている席のちょうど隣のあたりに移動することになってしまった。結構な距離を移動するのに、引き出しの中身が今日は空っぽで良かったと思う。座席を移動した後に、担任が、スケジュールを再度連絡していた。「明日は試験があるから、名簿順に座りなおすように」と言われて、それならば席替え試験のあとでも良かったのに、と心の中でつぶやいた。試験の日なぞ来てほしくは無いのであるが、今は、変わらないスケジュールというものが、心地良かった。家を含め、比較的近所が無事だったわたしにとって、今回の震災というものは自分たちの世界とは別の場所で起きているように思えて仕方が無かった。ほんの数十キロも離れていない場所では人が死に、家が壊れ、家族と離れ離れになってしまった人も居れば、わたしの家のようにケーキを買って、小さな誕生日パーティをして、というように災害以前の普段通りの生活に戻ってしまった家もあるのだろう。ただ、運が良かっただけのことであるのにも関わらず、まるでわたしが何もなかったことが悪いと言われているような、居心地の悪さがどうも付きまとう。誰もわたしを責めて居ないのに、である。

みょうじさん」
「ッ、はい」
「おどかしてごめん」

わたしに声をかけたのは、窓際の机の上で寝そべっている迅くんだった。日当たりの良い絶好の席は、とても気持ちが良さそうなので羨ましくもある。迅くんは、前もこの席に座っていたように思うので、くじ運がかなり良いのだろうと思う。「おい、迅またそこかよ」「不正してないでしょ」「うわあ、四連続か?」「そ」「そこまで凄いと引く」わたしとの会話の途中で割り込んだクラスメイトの声を聞く限り、彼は四月からずっと、この場所に居るらしい。「すごいね……」「そう?一年ここだったらちょっと面白いよね」「くじの箱買収してるって言われそう」「ははは」本当に、ただ運がいいだけだからさ、と迅くんは言った。本当にこの一年、迅くんがここの席だったらちょっと面白いかもしれないけれども。

「そういえば、みょうじさん。夏休み、どうだった?」
「普通だよ、予備校行って、家に帰って」
「嵐山と誕生日パーティやった?」
「エッ、なんで知ってるの」

わたしは、あまりに驚いてしまったので、勢いよく口を開いてしまった。迅くんにその話をされるまで、准にお節介の誕生日プレゼントを渡していたことをすっかり忘れていた。渡してすぐにベッドに入ったときに、好みも知らないのに渡さなければよかったかもしれないという考えと、気に入らなかったら捨てるだろうから別にいいだろうという考えが、同時にぐるぐると頭をめぐっていたのであるが、わたしがひどく単純な頭をしているせいか、それも眠ってしまった後にはだいぶ忘れてしまっていた。しかも、准の誕生日パーティのあと、准と会うことは一度もなかったので、それらを頭からきれいに消してしまっていたのであるが、それを迅くんの一言で今更になって思い出してしまった。「なんで知ってるの」と迅くんに問うたときの声は、少し声が大きすぎたのかもしれない。迅くんは、いきなり慌てたわたしに驚いたのか引いたのか、キョトンとした顔をして「みょうじさんびっくりしすぎじゃない」とわたしをなだめるように言った。

「嵐山から電話きた。みょうじさんの家でお祝いしてもらったって。凄い嬉しそうだったよ」
「そうなんだ、お節介になってなくてよかった……」
「もしかして、結構気にしてた?」
「……馴れ馴れしかったかもって」
「誕生日の次の日に電話来たから、あれはかなりご機嫌だったと思うけど」

だから大丈夫だよ、と迅くんは言った。「みょうじさん、ほら」迅くんは、わたしの背の向こう側を指さしていた。迅くんの指先の方向を辿るように、わたしも廊下の方を見た。わたしの教室を通り過ぎて隣の教室に入ろうとする准がちょうど、准のクラスメイトの名前も知らぬ男の子と歩いているところだった。迅くんは「ほら気づいた」と言った。ちょうど、迅くんの言葉と同じタイミングで、准が、わたしたちの居る教室の方を見たのちに迅くんに向けて片手を上げて居た。迅くんも、それに返すように手を振っている。「噂をしたら影ってやつだ」とわたしが思わず漏らすと、迅くんは「たしかに」と言って可笑しそうに笑って居た。






12.
 准が家に訪ねてきたのは、わたしが迅くんと教室で准の話をした日の夜のことである。わたしが予備校から家に帰ると、准がわたしの家の食卓について晩御飯を食べている最中だった。わたしの姿を見た准は、箸をおいて、口を開いた。「ああ。お帰り、なまえ」そう、准が言うので「ただいま」と言った。「准くんアンタのことずっと待ってたよ」と母に言われて、「ごめん」と反射的に謝ってしまったが、今日は准と会う約束はしていなかったはずだ。「いや、俺が勝手に待ってただけなので」と准が母にそう言っていたが、母は相変わらず准にはよくいい顔をするので、「ごめんねえ」と言っていた。母親に、食卓に居ない父親の所在を訪ねると、父は今日宴会があるから家に居ないのだという。この間の准の誕生日の時もそうだったが、なぜかいつも准がいるときに父は家に居ないので、いつもタイミングが悪いと思う。思ったことをそう言えば、准は「そう言えばおじさんに最近会ってないな」と言っていた。

「今日はなまえにお礼を言いに来たのに晩御飯までご馳走になって……」

わたしを待っていると言った准がわたしに何か言うことがあってきたと言っても、わたしに准の言うお礼を言われるようなことをしたような自覚が無い。「何の?」そう、准に問えば、准はわたしの口から出てきたその言葉に驚いたような顔をして「プレゼントだろ」と答えて、ポケットから端末を引っ張り出した。准の見せてくれた端末には、わたしが雑貨屋で何をあげてよいかわからずに悩み悩んだ結果、買ったストラップがくっついていた。色が気に入らなかったらどうしようとか、そもそも余計なお節介だったのかもしれないとか、そのような心配をしたが、最終的には開き直って気に入らなかったら捨てるから良いだろう、と思っていたのであるが、こうして丁寧に使ってもらっているのを見てしまうと、様々な感情が入り混じってすこし、恥ずかしくなってしまう。

「別に、いいのに」
「いや、良くないだろ。言い損ねてたんだから」

准が律儀な性格をしているのは、よく知っているつもりだったがここまで律儀にされるとは思っていなかったので、わたしはついそう答えてしまったが、確かにわたしも准に何かを貰ったとしてお礼を言い損ねていたら言いに行くだろうなと思ったので、お礼を言う、言わないに関してはそれ以上言うのはやめた。准に誕生日プレゼントを贈ったのだって、母の注文したケーキの字を見るまで気づかなかったし、あの日だってケーキを見せてもらわなければ手ぶらで家に帰っていたはずだった。だから、准がもしわたしに話しかけるのであれば学校の休み時間のような片手間でも良かったのに、学校が終わった後の時間を使ってわたしは准がわたしの家に訪ねて来てまでお礼を言いに来るほどでもないというのが本音だった。

「ありがとう。それから、ごめん」
「お礼を言うのは俺の方だって。なまえが謝るのはちがうだろ」
「そうだね、ごめ……じゃない……」

次いで出てきた謝罪の言葉を慌てて飲み込むと、准は可笑しそうに笑っていた。准は、出して見せた端末をまたポケットの中にしまい込んだ。「これ、床に落としたりしなくて良くなったからすごく助かってるよ」「……そう」准が端末を床に落とすこと自体がわたしの中では結構意外だったので、かなり驚いてしまった。「たまに、手が滑る時があるから」それが態度に思い切り出てしまっていたせいか、准は困ったように笑っていた。「そうだ、なまえ」准は、思い出したようにわたしの名前を呼んだ。

「どうしたの」
なまえはいつなんだ」
「いつって、何が?」
「誕生日だよ。俺にもなまえに何か贈らせてくれ」

准の誕生日のことを当日まで知らずにいたことを直接言えるわけもなく、わたしは答えを濁した。

「そこまでやらなくていいよ」
「いや、俺がやりたいんだよ」
「……でも今言ったらわたしが誕生日プレゼント欲しい人みたいだから嫌だよ」
「俺からしてみればそれでもいいくらいだよ」
「よくないよ、がめつい子みたいじゃん」

准にそう言うと、准はわたしから聞くのをあきらめたのか、ついに押し黙ってしまった。しかしながら、准の頑固な性格を考えれば、わたしが折れるまではたぶん諦めないのだろうなとは薄々感じていた。准はわたしから視線を外し、わたしの母の方を見る。准は、わたしから直接聞くのをやめただけで、誕生日の日付をきくこと自体をあきらめたわけではなかった。

「アッ准それは卑怯だよ」
「……俺はまだ何もやってないぞ」
「お母さんに聞こうとしたでしょ」
「……」
「ほら、やっぱり」
「……わかった」

准が母に聞けば、母すんなり准にわたしの誕生日の日付を告げてしまうだろうから、わたしが隠しても意味が無くなってしまうと思い先に、准の手を封じた。准が、わたしの言うことを無視して母に聞いてしまえばたぶん、母は准に答えてしまうのだろうが、准は「約束する」とわたしに言った。准は、律儀な人なので、そう彼が言ったのであれば、准が母に尋ねることは無いだろう。

「俺はなまえの口から聞くまで諦めないぞ」
「意地張らないでよ」
なまえが素直に言ってくれたらいいんだけどな」
「准が諦めて」
「ははは」

准は、「俺は我慢比べは結構やる方だと思うぞ」と言った。意地の張り合いになった時の准がひどく厄介であることはわたしもよく知っているので、そう言われて改めてげんなりしてしまった。最初から誕生日をわたしが言えば良かっただけなのかもしれないが、わたしとしては、わたしではなく准が諦めてくれればいい話なのに、という思いの方が強い。准は、わたしの家で出された晩御飯を食べ終わった後に、言いたいことも言ったし、家のご飯を食べるからもう帰るよ、と言った。「今食べたばっかりなのにまだ食べるの?」と聞けば准は、至極当たり前のことを言うような口ぶりで、「まだ食べれるよ」と言うので、准のお腹のあたりをまじまじと見てしまった。准は「そんなに多いか?」とわたしに向って聞いていたけれど、わたしが何も言えなくなっている時に、わたしの母が「食べ盛りね」と言っていた。それにしては、お腹にたくさん入りすぎだろう。




13.
 わたしの口からわたしの誕生日を告げるまで諦めないと言った准が、冗談抜きで言っていたと知るまでには、そう時間はかからなかった。昼休みが残り十分程度になったころ、わたしの教室に准はやってきた。前に教室にやってきたときは他のクラスに入りにくいと言った癖に、そんなのお構いなしに堂々と入ってきていた。准は、迅くんに話しかけたのちにわたしの姿を見つけて、わたしを呼び止める。嫌な予感がしたので逃げようとしたけれど、准はわたしを逃がしてはくれなかった。わたしが目に見えて慌てたせいで、迅くんは目を細めてわたしと准を交互に見て「仲がよろしいことで」と冷やかすように言った。迅くんの振る舞いに、つい「仲良くないよ」と言いそうになったけれど、准が迅くんに話すようにわたしに対して話しかけてきたことを思い出して、それを堪えて言わずにいた。准は「なまえ」とわたしの名前を呼んで、続けて「お誕生日おめでとう」と言った。「へえ、みょうじさん誕生日なんだ。おめでとう」迅くんが、准の誕生日のお祝いの言葉をきいて、わたしの誕生日だと思ったのかそう、わたしに向って言った。しかしながら、今日はわたしの誕生日ではないので、申し訳ない気持ちになりながら「今日誕生日じゃないよ」と返した。准は「なんだ、今日は違うのか」と言い、胸ポケットから端末を取り出して何かを入力して、また片づけてしまった。

「……それ毎日やるつもりなの?」
「そうだな、そのつもりだよ」
「何の話?」

わたしと准の話の流れが読めていない迅くんがわたしと准に問うた。准は簡潔に「なまえが誕生日を教えてくれない」とわたしが意地悪をしているかのように言うので、「准が誕生日プレゼント贈るから誕生日を教えてって言うから、教えたくないって言ったんだよ」と言い訳じみたことを言ってしまった。わたしが准の誕生日にプレゼントをあげたあとで、准がわたしの誕生日を知りたがって、わたしがそれを頑なに拒んでいるという状況を知った迅くんは、呆れたような顔をしていた。

「教えちゃえばいいじゃん」
「准に誕生日プレゼント貰いたい子みたいでいやだよ」
「ああ、みょうじさんのいつものやつね」
「……いつものって何」
なまえの変に遠慮する癖」
「……」

迅くんと准はそう、口々に言った。彼らにも言われたことがあるし自覚があるので、わたしは何も言えずに口を噤んだ。「別に、悪いわけじゃないぞ」そう、准はフォローしてきたけれど、そのフォローに対しても卑屈なことを考えてしまうので、今はあまり触れてほしくなかった。「嵐山、みょうじさんのお母さん知ってるんじゃないの?」迅くんはそう問うた。わたしの母のことだから、准が聞いたらわたしが口留めをしても口をすぐに滑らせてしまいそうだなと思いながらも准に禁じ手を使うのはダメだと言ったことを思い出した。

「いや、それはやらない約束をしてる」
「嵐山それ守ってんの?律儀だね」
「約束だからな」
「ふうん。……で、みょうじさん誕生日いつなの?」
「……ぜったい教えない」
「ははは」

迅くんが投げてきた変化球についうっかり口を滑らせてしまうところだったので、改めて口を強く結んでおこうと思った。迅くんは少し意地悪な顔をして笑っていて、准は「迅」と咎めるように迅くんの名前を呼んだ。迅くんは「悪いね」と少しも悪びれた様子も見せずに口先だけの謝罪の言葉を述べていた。

「俺がなまえから直接聞くからいいよ」
「へえ」
「そういう約束だからな」
「嵐山もしかしてそれまで誕生日祝いを毎日するつもり?」
「ああ。そしたら最大でも一年後までには分かるだろうし」
「やめてよ」
「嫌がるなよ」
「いやだよ……」
みょうじさんもなかなか強情だなー」

迅くんは他人事のようにそう言って笑っている。誕生日プレゼントをもらわないでいるために黙っていたのに、誕生日の祝いの言葉を准から毎日貰ってしまえばそれも意味が無い。「わかったよ、なまえ。こうしよう」わたしが黙り込んでいるのを見た准が妥協案を出してきた。

「俺がプレゼントを渡すからそれを誕生日を過ぎてから開けてくれ」

そう、准が大真面目な顔をして言うのに、迅くんはもう笑いをこらえ切れてなかったし、結局はわたしが折れる妥協案じゃないかと思って大きめの声で准に向って口を開いてしまった。「買わなくていいって言ってるの」あまりに大きな声で喋ってしまったせいで、教室にいたクラスメイトが一斉にこちらを向いた。人の目が一気にこちらに向いたことに少し驚いて、「……別に買わなくていい」と同じことをもう一度言ったが、その言葉の尻のほうは、准や迅くんにさえ聞こえたか定かではない。

「いや、それはダメだ」
「何がダメなの」
「俺がやると決めたから素直に貰ってくれ」
みょうじさん腹くくった方が良いよ」
「准が折れるのは?」
「ない」

迅くんは、わたしに向かって口を開く。「もう諦めなよ、こういったらもう聞かないから」そう、彼に言われずとも、何となく准に押し切られてしまうような気はしていた。わたしが何も言わないことを、准は良しと受け取ったのか、満足そうな顔をして「じゃあ、また」と言ってわたしたちの教室から出て行ってしまった。准が爽やかな笑顔を残して教室を去って行ってすぐに、授業のはじまりを知らせるチャイムが鳴った。わたしたちのクラスには未だ、先生は来ていないが、隣のクラスにはもう先生が到着していたようであった。「嵐山、チャイム鳴ってるぞ」「すみません」准が、教師に名前を呼ばれている声が、となりのわたしたちの教室にまで聞こえてきた。「嵐山、おしかったな」「うん」わたしと迅くんは顔を見合わせて、笑った。
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