小説

当たって砕ける話

 木兎が結婚したらしい。らしい、というのは、木兎本人の口から聞いた話を、木葉が話半分に聞いていたから”らしい”なのである。木兎からの結婚の連絡は、メッセージアプリ経由でやってきた。木兎の調子が良いのは今に始まったことではないが、普段よりもずっと上機嫌であるように思う。木兎から、彼女が出来たという報告をここ数年聞いた記憶はない。その木兎が、彼女が出来たを通り越して、結婚したというので一度目は「へえ」と思って話を聞いていたけれど、改めて文面を二度見したあとで「結婚!?」と大きな声を出してしまった。恋人ができたら人よりずっと舞い上がって報告をしてきそうな木兎から、浮いた話を高校を卒業して以降聞いたことが無かったので、てっきりさみしい男の一人暮らしを続けているものだと思っていたのであるが、その実そうではなかったのかもしれないと、今更ながら以前木兎に会った時のことを思い出していた。去年の夏ごろに、木兎と偶然会った日に、話が盛り上がりすぎた結果、木兎と夕食を食べに出かけることになった。そのときに、木兎は家に一報を入れると言って電話をかけていたのである。「なまえちゃん今日ごはんいらないよ」と木兎がそう電話を掛けた相手である”なまえちゃん”とやらのことを、てっきりお手伝いさんだと思っていたのである(木兎は家事のすべてをやることが得意に見えないが、バレーボールの選手として活躍しており、金はそれなりに持っている男であったため、木兎がお手伝いさんを雇っていてもなんら違和感は無いのである)。しかしながら、その木葉の予想は見事に外れることとなった。木兎の家のお手伝いさんだと思っていた”なまえちゃん”とやらが高校一年生の頃、同じクラスメイトでもあったみょうじなまえのことであったということを知ったのは、結婚したらしい木兎が、梟谷学園の男子バレー部のメンバーたちの集まりにみょうじさんを連れてきたときにようやく分かったことであった。みょうじさんのことを知っていた面々は、木兎が連れてきた相手がみょうじさんだったことの方に驚いているようであった。

「結婚した」
「誰と誰が」

木兎と漫才のようなやり取りをしていると、木兎に連れられたみょうじさんが「……光太郎くんとわたし」と恥ずかしそうに顔を赤らめてそう答えたので、いよいよ木兎のいうことが嘘ではないということを信じざるを得なくなってしまった。木兎は「おー」と言ってピースサインを作ってみせた。ピースサインを見せる木兎の左手の薬指と、みょうじさんの薬指には揃いのシルバーが輝いている。木兎は相変わらずであったが、みょうじさんはすこし照れくさそうな顔をしていた。そんな二人のすがたに呆気にとられている元バレーボール部員たちの姿を、木葉は見ていた。ふたりにすっかり置いて行かれてしまった元部員たちの気持ちが手に取るようにわかる。「みょうじさんって……」猿杙がそう、木葉にこっそりと耳打ちをした。木葉には、猿杙の言いたいことが分かっていた。みょうじさんが卒業式の日に、教室で木兎に告白をして砕け散っていた話をしたかったのだろう。どちらかというとおとなしい生徒であったみょうじさんが、教室にまだ人がたくさん残っている状態であの木兎に向かって告白をしたことに驚いたのは、木葉だけではなかったらしい(というか、あの告白を、木兎と同じクラスでもなかった木葉が知っていることを、猿杙は知らなかったようで、たいそう驚いたような顔をしていた。木兎とクラスが違った猿杙は偶然あの場に居合わせてしまったのだという)。あの日、みょうじさんという女がやった男気溢れる行動は、木兎に全くといっていいほど伝わっていなかった。みょうじさんが木兎にたいして愛の告白をしているというのに、木兎は愛の告白に気づかないままあっさりとした様子でお礼を言っていたのだから、実質木兎がみょうじさんを振ってしまった形になってしまったのである。木兎に対して呆れが半分、そんな相手を好いてしまったみょうじさんを木葉は当時哀れに思っていたので、記憶にとても濃く残っていた(聞けば、あの現場を見てしまった猿杙も当時似たようなことを思ったのだという。何も知らない鷲尾は彼らを見ても何も思っていないのだろうが、本人たちを差し置いて勝手に気まずい思いを二人してしているのはなんとも不思議な話である)。高校生最後の登校日でもある卒業式に男気あふれる告白をした地味な女と、その告白を告白とも気づかずにあっさり流してしまった男が、なぜ一緒に並んでいるのか。あの日から、彼ら二人は一体どのような道を歩んできたのかを、木葉は知らない。木兎のお手伝いさんだと思っていた人間がお手伝いさんではなく、高校生の頃の同級生で、今は木兎の結婚相手で──と考えたあたりでもう頭がおかしくなりそうになったので、木葉は考えるのをやめた。みょうじさんと木兎のこれまでのあゆみにおもいを巡らせていることなど露程も考えていない木兎は「絶対驚くだろうから楽しみにしてたのによー」と若干不満げな顔をしていた。人は驚きすぎるとろくなリアクションも取れなくなってしまうということを、もしかしたらこの男は知らないのかもしれない。

「……おめでとう」

無理やり絞りだした木葉の祝いの言葉に対して、みょうじさんは柔らかく微笑んで「ありがとう」と答えた。この場でみょうじさんのことを知らない学年違いの部員たちが、みょうじさんのことを問うような視線を向けてくるので、みょうじさんについて説明しようと思ったのであるが、みょうじさんを上手く説明する言葉が出てこなかった。「木葉くんとは一年生の時に同じクラスだったよね」そう、みょうじさんが言った。それに首肯すると、「なまえちゃんとは三年の時に同じクラスだった!」木兎が被せるように言った。「光太郎くんとは二年生の時も同じクラスだったよ」そう、みょうじさんが言った。

「そうだっけ?」
「そうだよ」
なまえちゃんほんとに?」
「うん」

みょうじさんに関して言うならば、一介のクラスメイトであったという情報以外が何もない。赤葦が「そうだったんですか」と相槌を打っていたのであるが、何もわかっていないように見えるのは気のせいではないのだろう。実際、この場でみょうじさんのことを当時のクラスメイト以外の言葉で説明出来る人間は、この場にはひとりもいなかった。これは、当時みょうじさんと積極的にかかわった人間が居なかったのだから仕方のない話である。

「木兎、結婚って何か分かってるか」
「流石に俺のこと馬鹿にしすぎ」
「本当に分かってんのかお前」
「役所に行って紙出して終わり!」
「何も分かってねえ」

「ほか何かやったっけ?」「あ、わたしの免許証の苗字変更の手続きに行ったよ」「そうだった」木兎とみょうじさんがそう二人そろって話しているのであるが、それももう、漫才のようにしか聞こえなかった。違う、そういう意味の話をしているわけじゃないという突っ込みを入れるのは野暮というものかもしれない。ここで愛やら恋や金や互いの幸せやら──のような話を、彼らに説くのも変な話である。彼らには彼らのかたちがあるのだから、外野がどうこういう話ではないのである。

みょうじさんと木兎っていつから付き合ってるの」
なまえちゃんと俺?」
「付き合うのってわたしが光太郎くんの家に転がり込んでからの話?」
「何年前だっけ?俺もうおぼえてない」
「わかった、わかったからもういい」

赤葦が若干引いたような顔をして彼らの顔を見ていたので、木葉は彼らの話を止めてしまった。おとなしいと思っていたみょうじさんは思った以上に押しが強かったらしい。「凄いですね」赤葦が引いた顔を隠さずにそう言った。「みょうじさん本当に木兎で良かったの?」そう問えば、みょうじさん(みょうじさんが苗字を変更して木兎になったとは言うが、自分の中での彼女は相変わらずみょうじさんなのである)は「わたしは光太郎くんが良かったからけっこう、頑張っちゃった」とハッキリ言い切ってしまった。「……具体的には?」そう、怖いもの知らずの質問をした小見の口を木葉は封じようとしたけれども、手遅れであった。卒業後、木兎の家に転がり込んだ流れから今に至るまでの話を聞いたあたりで鷲尾が「何も分からないがみょうじさんが木兎の嫁ってことはよくわかった」と言った。みょうじさんと木兎の両方のことを知る面々は、木兎とみょうじの組み合わせを不思議そうな顔をして見ていたはずなのに、彼らの話を聞いた後では誰もが皆どこか納得したような顔をしていた。何もよくわかっていない木兎は木兎で「結婚したぞ!」と上機嫌で言うだけであった。「まさか、二人が結婚するとは思わなかったけど」そう、鷲尾が思ったことを素直に言えば、みょうじさんは「わたし、一回振られてるしね」と卒業式の日のことを思い出したみょうじさんが照れくさそうに笑っていた。「あの日、告白とも受け取ってもらえなかったの、懐かしいね」そう過去を思い出すように、みょうじさんは言った。

「そんなことあったっけ?」
「卒業式の日に光太郎くんに好きって言ったよ」
「そうだっけ?」
「『ありがとな!』って言われて終わった」
「へ~」

木兎は今に至っても高校の卒業式の日のことをよくわかっていなかったらしい。赤葦の、木兎とみょうじさんの二人を見る目が若干細められた。半ば呆れているのだろうということは誰の目にも明らかだった。みょうじさんの告白を見た人間すべてが、今の赤葦と同じ気持ちを卒業式の日に味わっているのである。木葉はあの日の居た堪れなさをなんとなく思い出して、苦い顔をしてしまうのであるが、木兎とみょうじさんは全くと言っていいほど気にしていないようであった。「……木兎さんが結婚ですか」赤葦が、遠くを見るような目をしてそう言った。「おー」木兎は赤葦の言葉を分かっているような、分かっていないような顔をして言った。「おめでとうございます」赤葦がそう、木兎とみょうじさんに言った。みょうじさんは「ありがとうございます」と幸せそうな顔をして答えていた。
2020-07-18