小説

三門市電狭軌N形#6

 今回の旅は、ゆきもかえりも、鈍行列車に乗るのだという話を女の母親にしたときに、女の母親は「新幹線に乗ればよかったのに」と言っていたが、女はそれを曖昧に笑ってごまかしていた。家に帰りづらかったとは流石に言えなかったのだろう。女の家を発つときに、女の母親は玄関先で己らに「今度帰ってくるときは先に連絡しなさいね。二宮くんもまた、遊びに来てね」と言うので、女の母親の言葉に「はい」と答えて、己と女は、昨日歩いた道のりを歩いて、駅へと向かった。ミンミンと鳴くセミの声をききながら、遠くまで続く青い田畑に、突き抜けるような青色の広い空を眺める。畑仕事をしている人の姿を尻目に、己らは蒸し蒸しする夏空のしたを歩いていた。

「……また、帰りもちょっと遠いけど」
「知っている」
「ありがとうね」

ここまで付いてきてくれて、と女は言った。「ああ」そう、短く答えると、女はくすくすと笑った。

「……何がおかしい」
「二宮くんはいつも通りだと思って」

女はそう、楽しそうに笑っているのである。「次来るときはもっと、清々しい気持ちで行けそう」ただ、鈍行列車に乗るのは暫くいいかな、と女は言った。悪あがきのためとはいえ、五時間近く列車で過ごすのは女にとっても堪えるものだったのだろう。「まだ背中、ちょっと痛いし」と女は背中に手をやりながら言った。

「次は新幹線でいいだろう」

そう言えば、女は「そうだね」と言った。もう、この女にとって気に病む必要のあることはもう、何もないのだから、新幹線で悪あがきをする必要もないのである。「二宮くんも、また来てよ」そう、女は言った。この女との約束で己の時間を使っただけのことで、己にはもうこの女の実家に行く必要など無いのであるが、「お母さんもまた来て欲しがってたし」と言われてしまえば「……考えておく」としか言えなくなってしまった。「やった」女はそう、嬉しそうな顔をしていた。己と女の旅は、もう終わる。今日の夕方、陽が沈み始めるころにはきっと、己と女は三門市にたどり着いて、この二日の長い旅の終わりを迎えるのである。この女に付き合う形で始まった旅は、女の実家への挨拶と、女の父親への挨拶をする以外のことを何もしなかったのであるが、この旅のことを悪くないと思っている己もたしかに、居た。この女が今まで己に対して挑んできた理由を知ったからという理由もあるのかも知れぬ。女は「ちょっと寂しいな」と言った。

「一泊二日って短いと思ってたけど、こんなに短いとは思わなかった」
「そうだな」

女の言葉にそう、答えた。女は「二宮くんについてきてもらってよかった」と言った。「二宮くんが居なかったら、挫けてたかもしれないって思う」そう、女は続けた。女の言葉に「そうか?」と言えば、女は「うん」と答えた。この女のことだから、己が居ずともきっと、実家に帰って父親への挨拶を済ませていただろうと思う。この女の、一度自分で決めたことを最後までやろうとする性格は、ボーダーの中では多分己が一番よく知っている自信があった。

「途中で挫けるようなタマじゃねえだろ」
「それは買い被りすぎ」
「どうだか」

そう言えば、女は「アハハ」と笑った。多少のことで挫けるような奴なら三桁回負け続けても己に対して個人戦を申し込もうはしないだろう。この女は、自分自身で思っている以上には根性が座っているのだろうが、当の本人はそれに気づいていないようなので、少しばかり頭が痛くなる。女は、駅まで伸びる道のりを歩きながら、「……今日も暑いね」と言った。「ああ」遠くから、鳥の鳴き声が聞こえる。セミの鳴き声の間に、ピイピイ、ピチチと鳴く、鳥の声がひびいた。鳥の声が心地の良い、朝であった。むしむしとした夏の生暖かい空気が、むき出しの頬と、腕を撫でる。女の実家から、駅への道のりを歩いただけで、背中にはじんわりと汗が滲み、シャツが張り付いている感覚がどうにも気持ち悪かった。女も、額から垂れる汗をハンカチで拭いながら、歩いていた。「……早く涼しくなると良いのに」そう、女は言った。「そうだな」あと数か月も経てば、秋がきて随分と涼しくなるだろうが、今はなんとなく、まだこの夏を味わっていたかった。それは、この旅の終わりのことを少なからず、寂しく思っているせいなのかは分からぬ。女は「明日からまた、頑張ろう」とひとりごちた。せめて、二宮くんに個人戦で一回くらい勝てるようにならないと、と言うのであるが、一回だけ勝てればいいと思っているのであれば、この女の先はまだまだ長いのだろうな、と思った。
2020-07-09