小説

三門市電狭軌N形#3

 「わたしと勝負してください」そう、女が言ったのは、たしか二年前の春ごろのことであった。己がボーダーという組織に入って一年が過ぎようとしていた頃のことである。C級から、B級へと上がったばかりだという女とは、東さんの紹介で顔を合わせることになった。「はじめまして。わたし、──といいます」そう、女は自らの名前を名乗って、己に向かって頭を下げた。己より頭ふたつほど低いところにある、まるいまなこが己の顔を、品定めでもするように上から下までを舐めるように見たあとに、「……すごく強いと聞いています」と言った。「弱くはないつもりだ」そう、女に言えば、女はどこか満足そうな顔をして、東さんの方を向いて「ありがとうございます」と言った。東さんは、女に「これでいいのか?」と問うた。「はい」女はそうはっきりと返事をした。「どういう意味ですか」めのまえのふたりの話に付いていけていない己は、東さんにことの次第を問うた。

「紹介を頼まれたんだよ」
「俺をですか?」

そう、東さんに問い返せば、「いいえ」と東さんの代わりに女が返事をした。

「強い人であれば誰でも良いと思いました」
「……ならば太刀川あたりのほうが適任では?」

そう東さんに言えば、東さんはハハハと笑って見せた。「いやあ、二宮が適任だと思って」東さんの言葉に被せるように、女は「あなたはその『太刀川さん』より弱いってことですか」と不躾にものを言ってきた。それも、大真面目に真っ直ぐな目で己の顔を見てくるのだから余計にたちが悪い。個人ポイントの上では太刀川の方が上ではあるが、己が太刀川よりも弱いと言われることには我慢ならなかった。「は?」地を這うような低い声が喉から零れた。東さんが己を宥めるように呼ぶんだ。不服であることが表情に滲むことを隠そうとしない己の顔を、女は怯むでもなくまっすぐと見据えていた。「つまらない冗談でも言っているつもりか?」そう女に問えば、女はあいかわらず、真面目な顔のまま「いいえ」と答えた。

「俺がアイツより弱いつもりはない」
「そうこなくちゃ」

そう女は不敵に笑っていた。初対面の己に向かってそう言う女のことを、失礼なやつだと思った。女は「じゃあやりましょ」と言って一人先に個人戦ブースへと入っていく。女に付き合う義理もなかったが、この際己の強さを身をもって知らしめてやろうと思って女の誘いに乗った。女は、拍子抜けするほど弱かった。十本中十本、フィールドに立っている時間よりベイルアウトしている時間の方が長かったようにさえ、思う。B級隊員になったばかりの、C級に毛が生えた程度なのだから女が弱いのは単純に経験不足からくるものなのだろうとは思うが、それにしても弱すぎた。女がトリガーを構える前に、墜としてしまったため結局、この女がなんのトリガーを使っているかすら分からぬままであった。わかることは、女が鞘を持っていなかったところから、メインで使っているトリガーが弧月では無いことくらいだろう。この女が己よりも拍子抜けしてしまうくらいには弱いことだけは確かで、己の脅威になりそうにすらないこの女が、なんのトリガーを使っていようがそんなことはもうどうでも良い話であった。女は、個人戦が終わった後にブースから出た己に向かって、「本当に強いですね」と言った。どちらかといえばなにもできずに墜とされた女が弱すぎると言ったほうが正しい。「お前が弱すぎるだけだろう」そう言えば、女は「ごもっともです」と言った。悔しがるでもなく、事実を事実のままに受け止めている顔をしていた。「まだまだ先は長いなあ」そう、女はどこか遠くを見るような顔をして、ぼやいた。

「もっとマシな勝負が出来るようになってから来い」

そう言えば、女は満足そうに笑って「また勝負してくれるんですね」と言った。女のその言葉にばつが悪くなってしまい、思わず顔をしかめてしまった。女はそんな己の顔を見て「すごい顔」と言って笑い出してしまった。この女は、どこまでも失礼なやつだと思う。次はもうないことをその場で言って仕舞えば良かったのに、己のの口から出たのは「気が向いたらな」という言葉であった。

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「まだやるのか?」
「うん」
「懲りないな」
「よく褒められるよ、頑張るねって」
「俺は褒めていない」

 はじめて個人戦をした日から三ヶ月も経てば、女も多少は成長もする。フィールドに立っている時間よりベイルアウトしている時間の方が長かった女が、こちらに向かって攻撃を仕掛けられる程度には成長していた。しかしながら、当たらない攻撃など当然全くと言っていいほど意味がない。スコーピオンの個人ポイントが漸くマスタークラスに手が届きそうなところまで来ているというのに、己に点数を削られてはマスタークラスまでがの距離がまた遠のいてゆく、ということを繰り返している。マスタークラスも目前になれば、それなりにやれる筈なのであるが、射程のせいか、そもそも己のトリガーと女のトリガーの相性が良くないせいか、女の射程に入る前に、一方的にやられてしまっている。「懲りないな」というのはこの女が、己の使うトリガーと相性が良くないことを知っておきながら、なおも己に向かってこようとする諦めの悪さに対して言った言葉で、それを前向きに捉えられても困る。正直なところ、己にどうしても勝ちたいのであればスコーピオン一本ではなく何か別の手段を考えるべきだとさえ、思う。東さんが、己を適任だと言った理由は、未だ分からずにいた。同じ攻撃手同士、太刀川のほうが己よりも適任であることは火を見るよりも明らかである。

「いつものやろうよ。個人戦、一本でも取れたらジュース奢って」
「俺が勝ったらなんのメリットがある」
「わたしがジュース奢る」
「要らん」
「遠慮しないでよ」
「外聞が悪い」

外から見ればカツアゲしてるようにしか見えん、と言えば女は「えっ、そう見えているの?」と言った。己がこの女に個人戦を付き合っては、飲み物を奢られると言うことが何度か続いた頃に、昔のチームメイトからそう揶揄されたことを思い出した。「わたしが勝てば問題ないでしょ」女はそう言い放った。「デカい口を叩くな」一度も個人戦に勝てたためしのない女が、やけに自信満々な顔をして言うのに苛ついてついそう言ってしまった。

「勝てた試しも無いのに?」
「でも、今日はわからないじゃん」
「俺が勝つ」
「それが捨て台詞にならないといいね」
「お前、言ったこと覚えておけよ」

そう言って個人戦ブースへと入る。この女に付き合う義理もないのに、なぜか己はこの女に延々と付き合ってしまっていた。この女の、毎度毎度諦めずに食ってかかってくる根性を面倒だと思う面もあるのだが、存外、気に入っていた。勝つことに対する渇望、そして超えたいと思う壁の一つだと思われていることに心地よさを感じているからなのかは分からない。

「参りました」
「あまりデカい口をきくなよ」
「はあい」

十分と経たないうちに、結果は出た。「あらまたやってるのね、二宮くんたち」という冷やかしの声は無視した。女は、己の腕を引いて訓練室のそばにある自動販売機のそばへと向かう。「要らん」と言っているのにも関わらず、女は全く人の話を聞いていなかった。お金を入れて、己に向かって「好きなの買いなよ」と言った。

「いい」
「そう言う約束だった」
「俺は了承していない」
「次の人がきたら詰まっちゃうから早くしてよ」

女はそう言って、結局自分で自動販売機のボタンを押した。己が愛飲しているペットボトルの、炭酸飲料だった。がこん、と音が鳴ってペットボトルが一本、取り出し口に落ちた。女はペットボトルを拾い上げて、己に寄越した。炭酸の泡がぽつぽつと浮いてのぼってゆくのを見ながら、女の手からペットボトルを受け取った。

「悪いな」
「二宮くんにぜんぜん勝てない。そろそろ一本くらい取れてもいい頃じゃない?」
「強くなっているのはお前だけじゃないからな」
「それはそうなんだけどさ、腕の一本二本くらい落とせても良くない?って思うんだよね」
「俺は落ちん」
「嫌味なくらい自信満々なのが逆に清々しい」

そう、女はカラカラと笑った。この女が、己に一発を入れられるようになるまでにはそれから更に、半年近くの年月が掛かった。トリオン体から漏出したトリオンの粒子を見た女が、目丸くして己を見ていたことは、今もよく覚えている。「やるなら最後までやれ」己を凝視している間にトリオン供給器官を破壊されて墜ちたあとの女にそう言った。

「いや、まさか入るとは思わなくて」
「お前の目的は俺に一発を入れるだけなのか?」
「……正論すぎて何も言えない」

女は曖昧に笑っていた。「二宮くんはそこで待ってて」女はそう言って、財布を持って訓練室を出ていった。自動販売機に行っただろう女が戻ってくることにも慣れてしまった。女はペットボトルを二本、自分の飲み物と、勝負に勝った己あての飲み物を持って戻ってきた。この関係も、半年以上繰り返していれば日常の出来事の中の一部になっていた。

「はい」
「悪いな」
「……半年以上掛かってこれか」
「やっと一発か、先は長いな」
「はい、師匠」
「俺はお前の師匠になった覚えはない」
「つめたい」

女は口先を尖らせて言った。「二宮くん一個条件追加していい?」そう、女は続けて言った。

「もうだって半年くらい経つしさ、そろそろいいかなって思うんだけど、どう?」
「何をだ」

女に問うた。

「一本でも取れたらさ、二宮くんわたしのお願いひとつ聞いてよ」
「俺にメリットがない」
「……二宮くんはわたしに負けると思ってるの?」
「は?」

女はむすっとした顔をしてそう言った。思わず地を這うような声が出てしまった。女は、己の顔をジトリとした目で見ていた。そんな顔をされたところで、己がこの女の言うことを聞く筋合いはないのである。

「だいたい、俺がお前に付き合う理由がない」
「わたしにはあるよ」
「何だ」
「わたしが勝ったら教えてあげる」
「なら一生知らないままだろうな」
「生意気」
「それはお前だろう」

だいたいそれが頼んでる側の態度か、と言えば女は「二宮くんのケチ」と捨て台詞を吐いた。己は断じてけち臭いことを言った覚えはない。訓練室にいる人の目が、痛かった。子どものようにむくれて己の顔を見ている女と、己のやりとりを遠巻きに見る人々の目が、己と女とを見てヒソヒソと小声で何かを言い合っているのが目について仕方がなかった。

「わかった。わかったからその態度をやめろ」
「えっ、いいの」

あまりにいたたまれなくなってしまった己はつい女にそう言ってしまった。女は先ほどまでの態度は何だったのか、ケロリとした顔をして己の顔を見ていた。


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「嘘」
「そこまでいうなら今のは無かったことにするぞ」
「それはやめて」

己に対してこの女が白星をあげたのは、条件をさらに追加して一年以上が経った頃のこと、数え年にして二十を迎えた年の、夏の頃のことであった。女の我儘に付き合って即席混成チームでの模擬戦を行った時の出来事である。己以外のメンバーが落とされ、味方の援護の期待もできない中での出来事であった。多勢に無勢と言えば聞こえが悪いが、勝負というものには最低限のルールはあれど、それでも負けは負けである。足止めを食っている間にスコーピオンの一撃が、己のトリオン供給器官を貫いたのである。トリオン体が崩壊する間に見えたのは、女のまるいまなこであった。目を大きく見開いた女は、自分で己に向かって刃を突き立てたのにもかかわらず、自分でなにをやったのか、自分でも理解していないような顔をしていた。

「これは数に入る?」
「数?」
「二宮くんとの勝負。タイマンじゃないとルールに入らないみたいなのって、ある?」
「お前の勝ちでいいだろう、それではまずいのか?」
「いいえ。初めて二宮くん倒したの、あまり実感がない」
「もう一回やるか?」
「とれる自信がない」

女が至極大真面目な顔をして言うものだから鼻で笑ってしまった。女はむっとした顔をして己の顔を見ていたが、女も少なからずそう思っている節があるのか、それ以上は何も言わなかった。女は、「約束のことなんだけどね、二宮くんの時間が欲しいの」と言いづらそうな顔をして言った。

「俺の時間?」
「そう。二宮くん、たしか二週間後の今日、防衛任務無いよね?」
「無いし予定もない」
「よかった」

女はほっとしたような顔をして言った。

「二週間後に、わたしにつきあってほしいの。一泊分の荷物を持って、大体二日くらい、二宮くんの時間をわたしにください」
2020-07-09