小説

その日の気分

 『今から帰る!新幹線すごく暇』と二時間ほど前に、わたしが月島くんに送ったメッセージの返事は、終ぞ無かった。わたしの送ったメッセージの横に表示された既読のマークが、彼の返事のかわりとなっている。そもそも月島くんはけっこう、連絡不精なところがあると思う。彼がなんらかのメッセージを寄越してくるときは、だいたい何かがあったときくらいで、彼とのやりとりは、わたしが日記を送りつけるように、一方的にメッセージを送っていることが多い。なので、わたしが送ったメッセージに対して月島くんが返事を送ってくれること自体があまりない。なので、月島くんが返事を返してくれないことをわたしはあまり気にしていないのであるが、今は暇だったので返事を返してくれたって良いのにと勝手なことを思っていた。結局、月島くんはわたしの暇つぶしには一切付き合ってくれなかったので、わたしは二時間ほどの時間をひとり、何もやることなく新幹線に揺られることになってしまった。背の高いビル群の中を走っていたはずの新幹線は、畑の間をまっすぐに走り、気づいてみれば白い雪の残る山々の風景にすっかり変わっていた。東京で生活をし始めて一年程度、ビル群の風景にも慣れてきたと思ってきていたけれど、わたしにとって見慣れた春先の風景というものは、コンクリートむき出しの地面やビル群よりも、山の頭や畑に白い雪の残っている景色の方であった。軽快な音楽とともに流れた到着アナウンスを聴きながら、窓から外を眺める。東京ほどではないけれども、背の高いビルの群れの中をゆっくりと走り、新幹線は駅のホームへとたどり着いた。『やっと着いた!』わたしは、もう一度月島くんにメッセージを送った。メッセージの読了を告げる既読のマークは、わたしが思ったよりも早くに付いた。
 慣れ親しんだ駅名の書かれた看板を横目に、わたしは新幹線から降りる。春先であるのにもかかわらず、この土地の空気はまだ冬の匂いをたっぷりと残している。暦の上ではすっかり春であるとはいえ、宮城は未だ冬の中にあるようであった。おろしたての春先の新しい洋服ではなく、冬用の、もう少し暖かい恰好をしても良かったと、今の自分の恰好をほんのすこしだけ後悔していた。わたしは肩を窄めて身を小さくし、キャリーバッグを引きながら、早足に駅構内へと向かう。屋内に入ってしまえば寒さは気にならなかった。駅構内を行き交う人々から聞こえてくる独特なはなし言葉の訛りと、改札の向こう側に見える駅隣接のショッピングセンターの懐かしいロゴが見えた時に、わたしはいよいよこの場所に戻ってきたのだと思った。電光掲示板に書かれている在来線の時刻の間隔も、終点の駅名も、どれもこれもわたしにとっては慣れ親しんだものに違いない。仙台駅──わたしが、この駅を最後に訪れたのは、高校を卒業した年の春、東京の学校への進学が決まり、宮城を発つ日であった。生活になじむことばかりを考えていたら三百六十五日が飛ぶように過ぎ、気づいてみれば、宮城を発って一年が経っていた。
 新幹線のホームからエスカレーターを下り、駅構内へとたどり着いたころに、スマートフォンを見ると、新着メッセージの通知が表示された。わたしが暇で暇でしょうがなかった時には一切返信をよこしてくれなかった月島くんから、『南口改札』とだけ書かれた簡潔なメッセージが送られてきていたのである。キャリーバッグを引きずって、指定された改札の前まで歩くと、見知った背格好が見えた。行き交う人々よりも頭ひとつ、ふたつは高いところにあるよく知った顔が見えたときに、わたしはおもわず彼の名前を大きな声で呼んでしまった。「月島くん!」わたしの声に気づいたか、月島くんはスマートフォンの画面からゆっくりと顔をあげてわたしの方を向いた。彼がよく連れて歩いている、彼のトレードマークとも言えるヘッドフォンは首に下げられたままであった。見知った制服姿ではないけれど、月島くんの風貌が、わたしが高校生の頃に見た月島くんその人の姿であったので、どこか懐かしい気持ちになった。月島くんはひどく嫌そうな顔をして、わたしの顔を見ていた。早足に改札を通り抜けて、わたしは壁際にひっそりと立っている月島くんのところへと向かった。

「久しぶり、元気してた?」
「うるさい」
「もー、つれないなァ月島くんは」
「そのウザい絡み方やめてくれる?」
「ちょっと冷たいところが全然変わらないね」
「一年で変わるわけないデショ」

アンタは相変わらずうるさいね、と月島くんは呆れたような顔をしてそう、言った。

「カワイイシティガールになったくらい言ってくれても良いと思うけど」
「そう言うところが田舎者丸出しなんだよ」
「辛辣」

わたしの持っている荷物と、わたしを眺めたあとに、月島くんは「いつ戻るの?」と問うた。「来週の今日」そう返せば、月島くんは興味を失ったような顔をしていた。なら聞くなよ、と思ったけれどそれは言わなかった。大学生の春休みは長いけれど、来週からバイトのシフトが入るから東京に戻らなければならないことを話すと、月島くんは「へえ」とさして興味がなさそうな顔をしてわたしの話を聞いていた。「春休み何かしないの?」そう、わたしが月島くんに問うと、月島くんは「練習」と言った。「バレー?」月島くんは首肯した。わたしは勝手に、月島くんが高校生でバレーを辞めてしまっていたと思っていたので、「まだ続けてたの?」と問えば、月島くんに「悪い?」と言われてしまった。「別に、悪いって言ってないじゃん」と返したけれど、月島くんは何も言わなかった。すっかり仏頂面に戻ってしまった月島くんに、「駅にいるならいるって教えてくれたっていいのに」と言えば、月島くんは「さっき言ったデショ」と言った。南口改札、とだけ告げられたメッセージのことを思い出しながら、「そういう意味じゃない」と言う代わりに「二時間前に教えてくれてもよかったじゃん。既読無視してくれてさあ」と言えば月島くんは「言ったらなんかうるさそうだから嫌」と至極面倒臭そうな顔をして言った。たしかに、月島くんの言う通りだと思ったので「たしかに」と返すと、月島くんは呆れたような顔をしてわたしの顔を見ていた。

「いちいち大げさすぎ」
「そう?」

うんざりしたような顔をしている月島君にそう言えば、彼は「無自覚?」とのたまった。月島くんのちくちくするような物言いが、わたしのよく知る月島くんのままだったので感慨深い気持ちになっていると、月島くんがわたしの顔をジッと見て「失礼なこと考えてない?」と言った。

「ちょっとイヤミなところ変わらないなって」
「失礼なこと考えてるじゃん」
「なんでわかったの」
「顔がうるさかった」
「ひどい」

月島くんはわたしの言うことを無視して歩きだした。月島君の背を追って、わたしも月島くんの後を追って、わたしも下りのエスカレーターに乗った。わたしの方が、一段高いところに立っているのにも関わらず、わたしの頭よりも頭一つはゆうに超えた場所に月島くんの顔があった。「月島くん大きいね」思わずそう言えば、月島くんに「はぁ?」と言われてしまった。エスカレーターを降り、月島くんの後ろをついて歩く。キャリーバッグを引きながら、月島くんの一歩に追いつくのはけっこう、大変だった。月島くんの一歩は、大きい。彼の身長がわたしよりもずっと大きすぎるからという理由もあるかもしれないけれど、月島くんが一歩進むときに、わたしは一歩と半分を歩く必要があるので、彼の歩調に合わせて歩こうとすると、どうしても小走りになってしまう。「月島くん歩くの早いね」とわたしが言うと、月島くんが振り返ってわたしの方を向いて、立ち止まった。

「歩くの遅くない?」
「月島くんの一歩が大きすぎるんだよ」
「僕足長いから」

月島くんが嫌な笑みを浮かべてわたしを見下ろしていたので、「むかつく」と吐いた。月島くんはそれを、小馬鹿にしたような笑みを浮かべて見ているだけであった。そうして、わたしたちはふたたび歩き始める。在来線の中央改札口に向かって歩くときに、もう早足で歩く必要は無かった。月島くんの長い足にとっては、わたしの歩幅は随分と小さいものなのだろうと思う。「月島くんやさしい」そう茶化すように言えば、月島くんは思い切り顔をしかめていた。しかしながら、彼の歩幅は相変わらず、わたしに合わせたものであったので、わたしの言ったことはあながち間違いではないのだろう。仙台駅の在来線の券売機に歩いて行った月島くんの背をぼうっと眺めながら、戻ってくるのを待つ。券売機で乗車券を買い、戻ってきた月島くんに、わたしは「どこかに行くの?」と問うた。月島くんは、わたしと、わたしの持っている荷物を眺めて「帰る」と言った。

「そのデカい荷物持ったままどこかに行けるわけないデショ」
「……ごはんくらいなら行ける」
「何食べたいの」
「ラーメンの気分」

月島くんは「いつでも食べれるじゃん」とうんざりしたような顔をして言った。しかしながら、彼が在来線の改札の方ではなく、飲食施設のある建物の方へと歩いて行くので、わたしは嬉しくなって「やった」と言って月島くんの後をついて行った。月島くんは、横目でわたしの方をちらりと見て、「前見て歩きなよ」と言っていた。「ねえ」わたしが月島くんに話しかけると、月島くんは視線だけをわたしによこした。

「月島くんは今日何してたの」

わたしはそう、月島くんに問うた。仙台駅まで出てくる用事があったのではないかと思って、わたしは彼に問うたのであるが、月島くんは、わたしの顔を至極嫌そうな顔をして見ているだけであった。「なに、わたしに言えないようなことでもしてたの?」そう、茶化すように言えば、月島くんは思い切り顔をしかめてしまった。「……アンタに教える必要なんて無いデショ」そう、月島くんは吐き捨てるように言った。

「わかった、わたしを迎えに来てくれたんだ」

彼のちくちく刺さるような物言いを無視してそう言えば、月島くんは地を這うような声で「はぁ?」と言った。月島くんが高校生の頃、バレー部の仲良しの子(それを本人に言うと否定されるので、わたしは月島くんにバレー部の仲良しの子とは言わないようにしている)にするような顔と態度で言うので思わず笑ってしまった。「わたしを迎えに来るためだけにここまで電車にのって来てくれたんだ」そう言えば、月島くんは嫌なものを見るような目をして、「……自意識過剰」とだけ言った。「月島くんが迎えに来てくれたの、嬉しい」そう、わたしが月島くんの嫌味を無視して言えば、月島くんは大げさにため息をついているだけであった。「月島くんは素直じゃないなあ」そう、追い討ちをかけるように言ったけれど、「ラーメン屋ないから中華ね」とわたしの言葉を一切無視して、壁に貼られた飲食店の一覧を眺めながらそう言った。「いいよ」わたしがそう言えば、月島くんはまっすぐ中華料理屋に向かって歩き出した。ラーメンの気分とは言ったけれど、月島くんがわたしの望みをきいてごはんに付き合ってくれるだけで嬉しかったので、この際メニューなどもうなんでもよかった。「月島く~ん」わたしがそう、彼の名前を呼ぶと、月島くんは心底鬱陶しそうな顔をして、わたしに「なに」と言った。それがまたおかしくて、わたしはまた、笑った。
2020-06-28